きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

誰でもできる!10000RT—基礎知識編その3:『伸びる』ツイート・画像ツイートと文章ツイート

 今回はRTが多くなるツイートについて話します。

当たり前のことですが、いくら会心のネタを呟こうがRTが3桁を超えることは非常に稀です。逆に、「えぇ、こんなツイートが伸びるのか・・・」と困惑することも多々あります。

この差はどうして生まれてしまうのでしょうか? その答えは、ツイートがどのような特徴を持っているかを考えることで浮かび上がってきます。

 

○ツイートは『伸びる』もの

 まずはこちらのツイートをご覧ください。

 

 

 

 このツイートは私がRT数を最も稼げたツイートです。この記事を書き込んでいる現在、RT数は73714、いいね数は53422、ツイートの閲覧数は約873万にものぼります。このツイートを呟いた時、初めの数分で100RTを超え、私はとてつもないRT数を予感したものです。

RTされる勢いは衰えることなく、ピーク時には100RT/分のペースでRTされました。ツイートは伸びるものなのです。伸びれば伸びるほど、多くの人がこのツイートを見て、さらにRTされます。こうして、このツイートは一大メディアに匹敵するほどの閲覧者を得ました。

では、一体どのようにしてこのツイートは伸びていったのでしょうか。

 

○ツイートの伸び方

 伸びるツイートというのは、初めの数分から勢いのあるものです。最初は、自分のフォロワーの中でツイートの共有が起こります。フォロワー内のどれだけの人が自分のツイートに反応するかということが、スタートダッシュをうまく決めることができたかどうかの判断基準になります。

時間が経つにつれ、ツイートの共有は自分のフォロワーの枠を抜け出し、フォロワーのフォロワーへ、そのまたフォロワーへ・・・といった形で広まっていきます。一度ツイートが勢いを持つと、一日は止まることがありません。倍々ゲームでRTが増加していきます。

中でも勢いが目に見えて増すのは、「クラスタ」という同趣味の人たちで固まったコミュニティにツイートが入り込んだ時でしょう。「クラスタ」の人たちはもともと仲間内で情報を共有することに何の抵抗も持たない人たちですから、皆RTすることがさも当たり前かのようにRTしてくれます。例えば艦これクラスタに入り込むと、RTの通知が艦これのキャラクターのアイコンで埋め尽くされることが多々あります。島風の顔がずらっと並んでいる光景は壮観です。

ツイートは深夜や、昼間をまたぐと勢いが減少しますが、その時間帯を乗り越えると再び伸び始めます。人気ツイートはこのようにして、Twitterユーザーの大半が目にして飽き始めるまで伸び続けるのです。

 

○画像・動画ツイートと文章ツイート

 伸びるツイートには、短い文章と面白みのある画像・動画が添付されているものと、文章だけで構成されたもののふた通りのパターンがあります。

 

 画像・動画ツイートは人気ツイートのほとんどを占めるものです。Gifもこのカテゴリに含みます。大抵は笑いを誘うものや、見る者を感動させるようなものが添付されています。以前は画像ツイートがほとんどでしたが、最近、添付できる動画の時間が2分30秒に延長されたことで、動画が添付されたツイートが急増しました。

これら画像・動画ツイートの利点は視覚的にダイレクトに訴えることができ、誰にでも面白みが分かりやすいという点です。誰にでも分かりやすいということは、ツイートを伸ばす上で重要な要素であると私は考えています。でなければ、大勢の人にツイートが共有される確率が極端に低くなるからです。画像・動画ツイートはこの点において文章ツイートよりもアドバンテージがあると考えても良いでしょう。

欠点としては、FF外からクソのような受けを狙ったつまらないリプライが送られてくるといったところでしょうか? 通知欄が大喜利大会になること間違いなしです。

 

 文章ツイートは文章だけで相手に大きなリアクションを与えることを狙う、なかなかに高度なセンスの必要なツイートです。

 

 

 私も、このツイートぐらいしか文章ツイートで4桁RTまでこぎつけたものがありませんでした。文章ツイートでRTを稼ぐには、よっぽど貴重な経験をするか、妄想力を駆使して嘘体験談を書き込むか(滑ると恥ずかしい)、優れた観察眼で物事を批評しなくてはいけません。その分、一度コツを掴めばいくらでもヒットツイートを量産できるようになるでしょう。その成れの果てがアルファツイッタラーと呼ばれる人たちです。

また、リプライが大喜利合戦になることが少なくなることもメリットの一つです。その代わり、体験談に便乗した隙あらば自分語りしてくるようなクソリプや、どうでもいいような意見をねじ込んでくるクソリプが通知欄に溢れかえりますけどね。ファッッッッッッック!!!!!

 

○あなたの嗜好に狙いを決めて

 「誰にでも分かりやすいツイートの方が分かりやすい」と先述しましたが、逆にあるクラスタの中でしか分からないようなネタをぶち込むといった方法もあります。この方法は人口の多いクラスタ(ex:艦これ・刀剣乱舞・ラブライブアイドルマスター・東方などなど)に効果的です。

クラスタというものは、ぶっちゃければ内輪での結束がやたらと硬いので、そこにエサ(ツイート)を投入してやれば喜んで貪って(RT)くれます。もし、あなたが彼らの安定的なエサ係になれたなら、クラスタの崩壊が起こらない限り、半永久的にヒットツイートを連発することができるでしょう。キャラクターの絵が描けるなら、崇拝されること間違いなしです。

 

 今回はここまでです。今回はツイートの伸び方、大まかなツイートの分類について話しました。次回はさらに細かなRTされやすいツイートの分類について話します。キーワードは『感情を喚起する』です。

 

○参考文献

ないです。

日記:働かずに食う

1/21 晴れ 

 トランプ氏が大統領に就任した。スピーチを全文読んだが、グローバリズムの終焉を感じた。イギリスの EU離脱や、全世界の右傾化なども非常に気になる。これからはどんどん閉じた世界になっていくのかもしれない。他文化に対する不寛容は災厄をもたらすと思うが・・・。

 

 働きたくない。

最近になって、ますます働きたくない欲が増してきた。社会不適合者としての素質が急速に芽生えつつある。友人たちのように毎日のようにバイトに赴くことはもちろん、就職活動もしたくなければ、どこかのビジネスアカウントのように空き時間を利用することすら面倒臭いと思っている。けれども、うまい飯にはありつきたい。

「働かずに食う」とは私の夢の一つでもある。「働かざる者食うべからず」ということわざもあるが、そんなものは社畜のエサにでもしてしまおう。

 

 現代日本においては、生活保護を受けるという選択肢がある。毎月ハローワークに顔を出すだけで十数万円がもらえる素晴らしい制度だ。この制度を受けて、最底辺のセーフティネットをハンモック代わりにうたた寝するのもいいかもしれない。農場暮らし以上のスローライフが満喫できるだろう。

ただ、毎日が退屈そうだ。実際、某掲示板には「シコってたら一日が終わった」だの、「朝起きて2chして寝るだけの生活」だの、どうしようもない受給者の声が多数上がっている。贅沢言うようだが、こうはなりたくないものである。

 

 次に、最低限働くという手段がある。ほとんど働いていないような生活、食うためだけに働くような暮らしをすれば、働かずに食っているのと変わらない。

そこで原始的生活だ。例えば、ベネゼエラのヤノマモ族は一日に2.8時間働くだけで生活している。これは日本の平均実質勤務時間である9時間の約1/3である。勤務内容は採集・狩猟のみである。これほど楽な暮らしはない。確か、縄文時代の日本人も同じような生活をしていたと聞いた覚えがある。食料が簡単に手に入る豊かな環境があれば人は生きていくのには困らないのだ。

しかし、この方法を持ってしても、私の欲のために原始的な生活を送りたくない理由が発生する。その理由とは、「原始的生活では現代文明に入り浸れないから」ということだ。

まず、豊かな地域は人口密度が恐ろしいほど低い。そうでなければ、採集といった不安定な方法で十分な食料を確保することはできないからだ。人口密度の低下は人々の交流を減少させる。その結果、モノ・アイデアの交換が行われず、身の回りの何もかもが進歩しない。現に、大昔にタスマニアに移住した人々は、このような状況に晒されたために移住前よりも技術が退化したという例もある。豊かな環境に対する依存は停滞を生むのだ。

また、豊かであるがゆえに、熱帯圏に住む人々は、高緯度の地域に住む人々に技術的な遅れをとったという説もあるくらいだ。年間の温度差が激しいなど不安定な環境では、安定して食料を得るために人々が集まり、農耕を始める必要性が生じる。人が集まればアイデアは乱行を始める。そして、より高度な技術が産声をあげるのだ。

原始的生活を行うことは、文明の産物と永久に別れを告げることを意味する。残念ながら、私は電子メディアなしには生きていけない体なので、採集生活を送ることは出来ない。電柱のそびえ立つ町で暮らしていきたいのだ。

 

 私のわがままを突き通した結果、働かずに食うというのはやはり難しいということが判明した(当たり前だが)。

より現実的な解決策は、働くということを何とも思わないようになることだろう。勉強することを何とも思わないような人々が東大の試験に合格するように、仕事を淡々とこなしていければ、それは幸せなことだ。働くことが楽しければなおさらである。

結論、ストレスなく働くことが働かずに食う方法。矛盾。

 

日記:眠る狂気

1/18 曇り 

 風邪をひいた。今年度は私の人生史上最高頻度で風邪をひいている。次回の定期テストまでには完治させたい。体調を崩すと、頭の回転が悲しいほどに鈍くなる。自分の愚鈍さが普段より身に染みて感じられる。

子供の頃は、学校を休めるので体調を崩すのが好きだった。いつから私は風邪を忌避するアクティブな人間になってしまったのだろうか。

 

 最近、人間同士の争いをよく見かける。朝の電車で、ある日の教室で、ある時のネットで、私の行く先行く先で争いごとが起こっている。まったく、ロクでもない巡り合わせだ。どうして、そこまで忙しく諍いを起こせるのか純粋に疑問だ。こういう争いを見かけるたび、人間のハード的な面はここ数千年変化していないのだと厭に感じられる。

 

 ルワンダ虐殺をご存知だろうか。

このジェノサイドは、アフリカのルワンダという国で、多数の貧しいツチ族と比較的裕福なフツ族の間で起こったものだ。

元々は断続的に続いていた紛争だったのだが、フツ族の大統領が暗殺されたことから虐殺は始まった。ツチ族フツ族は双方とも疑心暗鬼に陥り、互いを殺しあった(といっても、裕福なフツ族の一方的な虐殺だったが)。

犠牲者は50万〜100万人の間だと言われ、数字が正しければルワンダの人口の1,2割の人口が消し飛んだ計算になる。そもそも、犠牲者が多すぎてまともな統計ができないという状況だ。

この虐殺でのエピソードは目を覆いたくなるようなものばかりだが、個人的に一番ショッキングだったのが

ツチ族の親が、自分の子供を親しくしていた隣人のフツ族に預けたら、次の日には殺されていた」

といったものだ。「人間は状況によって簡単に他者を殺し得る」という事実が残酷なまでに伝わってくる。

 

 このような虐殺はいかにも大昔の事件のように思えるだろうが、実際に、1994年に起こったものだ。ほぼ現代である。生物学的に自分たちと同様な人間が、ごく最近に、この愚行を行なっていたという事実に恐怖する。「人間は状況によって簡単に他者を殺し得る」とは、まさに私たちにも当てはまることだろう。私はその鱗片を日々感じ取っている。

現に今も、フィリピンでは警官が権威を盾にして麻薬中毒者という肩書きの付いた、れっきとした人間を撃ち殺している。中には免罪で射殺された人も多いと聞く。何のためらいもなく他者を殺せる素質は、間違いなく私たち全員に眠っている。

 

 駅ですれ違う私立通いの小学生や、しおれたサラリーマンや、品のない笑い方をする女子高生にも、人を殺す能力があるのだといざ考えると、何とも言えぬ形容しがたい不思議な感覚になる。この凶悪な素質を眠らせることのできる日本社会のありがたみは、こういうことを考えた時になって初めてわかるのだ。

といっても、1960年代の学生運動や、1995年のオウム事件などで、時々ある程度の数の人たちにこの素質が芽生えてしまうのが玉に瑕だろう。何となく、オウム事件の主犯格に高学歴が多かったことを思い出した。

 

 近頃は人に殺される夢ばかり見る。必死に抵抗を試みるのだが、いつも最終的には殺されてしまう。そして目覚め、自分にも人殺しを再現できる素質があることを、否が応にも認識させられるのだ。

悪しき素質を眠らせたままでいられるかどうかは、社会だけでなく、自分自身にもかかっている。

どうせ夢で殺されるなら、せめておっさんに殺されるんじゃなくて、美女に絞殺される夢を見たいなぁ・・・。

 

誰でもできる!10000RT—基礎知識編その2:欲望渦巻くSNS

 今回は、Twitterという社会の中で渦巻く『欲望』について話します。

Twitterを含むSNSがここまで成功した背景には、人間の『繋がりたい』『承認されたい』という欲望があります。いつでもアプリを開けば誰かと繋がることができ、自分が投稿をすれば誰かからのリアクションが返ってくる。他者との繋がりや、他者からの承認を得ることができるのがSNSの大きな特徴です。

数あるSNSの中でも、Twitterはこの二つの欲望を満たすための機能に特化しています。二つの欲望を知ることで、ユーザー同士がどのように結びついているのかを知ることができるでしょう。

 

○『繋がりたい』という欲望

 まずは『繋がりたい』という欲望について説明します。

 第一に、人間は社会的動物の一種です。他の社会的動物にはサル・犬・アリなどが挙げられます。社会性動物は、基本的に一個体だけで生活することは不可能だと言えるでしょう。なぜなら、一個体の上位システムとして社会が存在している現状、社会の助けを得ることなしに個体が生存することは非常に難しいからです。

人間を例に出せば、もう既に社会に属している両親や助産師・医師の助けでこの世に生を受け、学校で社会の仕組みを体感的に学び、大人になる頃には立派な社会の構成員の一員となります。

一見、孤独に見える不登校児やホームレスも、社会に属していると言わざるを得ません。なぜなら、不登校児は社会の誰かが生産した食料・道具と生活し、ホームレスはどこで炊き出しが行われているか、集めた缶はどこで売れるかといった情報を誰かから入手しているからです。真に人間が孤独になるのはこの世を去る時のみです。

もの・情報は人間を介して社会の中で網目状に広がっています。むしろ、網目状に広がった人間同士の相互作用こそが社会と呼べるものでしょう。社会の実態とは、人間同士の繋がりそのものなのです。

 

 生きていく上で他者と繋がることが不可欠な以上、人間は他者と『繋がりたい』という欲望に駆られます。SNSの登場以前、私たちは現実世界で接している以外に、他者のことを気にかける必要はありませんでした。一人でいるときに、気軽に他者と繋がることのできる道具が存在していなかったからです。せいぜい、今よりもはるかに手間のかかるインターネットと、電話やメールくらいしかありませんでした。メールには既読機能など無いので、SNSほど他者の繋がりを強力にすることはありません。(それでも、メール依存症なんていう言葉が誕生していたり、返信をする時間などで人間関係の駆け引きをすることはありましたが)

 

http://3.bp.blogspot.com/-HbBGNj1rD2s/VyNdoMRK9cI/AAAAAAAA6Oo/GuyCErDSBxYzIYGNjionH20EJJrIrTRLwCLcB/s800/smartphone_chudoku.png

 

 ところが、スマートフォンの普及や、SNS・メッセージアプリの誕生で私たちの人間関係の様相は大きく変わりました。これらの新しく生まれた道具は、人間関係を極限まで繋げることのできる多くの機能が仕組まれていました。各SNSのタイムラインはいつでも自分と繋がっている人の様子を確認することができ、LINEの既読機能は「すぐ返信しなければ」という必要を創り出しました。こうして現在のベッタベタな人間関係が誕生したわけです。

SNS・メッセージアプリは『繋がりたい』という欲望をうまく刺激しました。そして、人間の繋がりはもう一つの『承認されたい』という欲望も駆動し始めたのです。

 

○『承認されたい』という欲望

 人間の『承認されたい』という欲望は、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した『欲求段階説』の四段階目と一致します。

 

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/3d/f1743b5943352abcd4e20c8f0fd3676d.png

 マズロー欲求段階説では、人間の欲求は

1.生理的欲求 (Physiological needs)

2.安全の欲求 (Safety needs)

3.社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

4.承認(尊重)の欲求 (Esteem)

5.自己実現の欲求 (Self-actualization)

の五段階で、数字が小さいほど原初的な欲求だといった風に並べられています。

第一、第二欲求はスマートフォンを得ることができる状態で既に満たされています。

次の第三欲求は、『繋がりたい』という欲望そのものです。他者と繋がることで、自分が集団に属しているという感覚を得ることができ、次の承認欲求を得る段階へと移ることができます。

 

 承認欲求とは、自分が集団から価値のある存在だと認められ、尊重されることを求める欲求のことです。SNSはこの欲求を満たすことにとても長けています。

趣味のアカウントを持っている人を例にします。これらのユーザーは、フォロワーが増えるにつれ『クラスタ』と呼ばれる集団に次第に属していきます。艦これクラスタ・刀剣乱舞クラスタなどが最近勢いのあるクラスタです。クラスタ内では、その趣味に応じたネタや、イラストが高く評価されます。また、虚構のキャラクターの誕生日を祝ったり、趣味について多くを共に語り合うことで互いに承認しあいます。

クラスタに属していないユーザーも、大抵は現実世界での友人たちと相互フォローの関係にあるので、互いに日頃起きた出来事について共有し合っています。互いの生活をリアルタイムで確認しあえることが、承認欲求を満たすことになるのです。

 

 共通の趣味や現実世界での友人関係を元にユーザーたちはSNS上で繋がりあい、〇〇大学・〇〇ファンといった集団に属し、互いの投稿にリアクションを起こして承認しあいます。

今やスマートフォンはいつでも友人に接触することのできる触手として機能していると言えるでしょう。触手はフォローすることでどこまでも伸び、絡み合い、じっとりと互いの身体を這うことで承認の快楽を貪るのです。

 

 なんかエロくなってきたのでここで今回は終わります。次回はいよいよ、今回と前回で書いたことを踏まえて、RT数の多いツイートの特徴へと迫っていきます。

 

 余談ですが、Twitterには裏垢というシステムがあります。

要はプライバシーを守るための機能である鍵垢を利用した、互いに親しい人だけで相互フォローが構成されたアカウントのことです。

このアカウントもRTさせる対象として考慮してしまうと、ツイートするのがにっちもさっちも行かなくなるので、この連載では裏垢の存在についてはあまり考えません。トピック的な形で裏垢について触れることはあるかもしれません。

 

○参考文献

 

https://www.amazon.co.jp/ネット社会の諸相-飯田良明/dp/4762025364

 

https://www.amazon.co.jp/承認をめぐる病-斎藤環/dp/4535984018

 

誰でもできる!10000RT—基礎知識編その1:Twitter再入門

 皆さんが日々なんとなく使っているTwitter。ある人は友達同士の交流に使い、またある人は情報収集のために使い、さらにある人は人知れず愚痴をこぼすために使っています。様々な利用法をされているこのサービス、そもそも一体どのようなものなのでしょうか?

 

Twitterとはどのようなものか?

 WikipediaにはTwitterについて

Twitterは、『ツイート』と称される140文字以内の短文の投稿を共有するウェブ上の情報サービスである」

「緩い『繋がり』(人間関係)が発生し、広い意味でのソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)の1つといわれることもあるが、Twitter社自身は、『社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワーク』(通信網)であると規定し、SNSではないとしている」

と書かれています。

実際、140文字以内で投稿する・社会的な繋がりが生まれるということが、他のSNSには見られないTwitterの最大の特徴です。

 

 Twitterでは、フォロー・フォロワーという目に見える数値が繋がりを生み出し、RT・お気に入り・リプライという機能が情報の共有や評価を促進します。これだけならFacebookなどの他のSNSでも見かける機能です。

しかし、140文字という制限が他のSNSと差別化される要素となっています。この制限のおかげで、よりユーザーは気軽に自分の身の回りのイベントや、自分の感情を投稿することができる訳です。Twitterという語を和訳すると「さえずり・無駄話」という意味になりますが、それはこの特徴のことをよく表現していると言えるでしょう。

 

 気軽にツイートできる結果として、Twitterでは情報の流れが加速していきます。FacebookInstagramのタイムラインを『川』に例えるなら、Twitterのタイムラインは『滝』になぞらえることができるでしょう。それほどまでにツイッターのタイムラインの流れは他のSNSと違い速いのです。有事の際にはTwitterがよく活用されていることから、情報がいかに速いかが伺えます。

 

パノプティコンシノプティコン

 さて、ここまでTwitterは他のSNSより情報の流れが速く、社会的な繋がりが強いということを説明してきました。

これらの特徴に起因して、ユーザー間でどのような現象が発生しているのかを次に話します。Twitter内での人間関係を考えることによって、よりRTという機能がどのように作用するのかを知ることができるでしょう。

 

 ユーザー同士はTwitter内で互いにフォローしあうことによって、情報の共有を行うことができるようになります。基本的に他者にフォローされるということは、その人に自分がある程度の興味を持たれているということの指針となります。

相互フォローが進むと、現実世界の友人同士・ネット上で同じ趣味を持っている人といった、自分が興味を持っている・持たれている人でタイムラインは溢れかえることになるでしょう。

 

 この状況はさながら、哲学者であるミシェル・フーコーの唱えた『パノプティコン』を彷彿とさせます。パノプティコンとは、ジェレミ・ベンサムによって構想された刑務所の形態の一つです。和訳すれば「全展望監視システム・少数による多数の監視」という意味になります。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/Presidio-modelo2.JPG

 

 画像を参照してくだされば分かるように、パノプティコンでは、囚人達はそれぞれ個室の独房に入れられます。独房は円形に配置され、それぞれの入り口は円の中心に向けられています。円形の牢獄の中央部には監視塔がそびえ立っており、そこから各独房の内部が見えるようになっています。これに対して、囚人の側からは監視塔の内部をうかがい知る事ができません。それゆえ、実際に監視されているかどうかにかかわらず、囚人は常に監視されている意識を持たざるをえなくなります。囚人は監視の目を内面化して行動するようになり、自ら行動を律することを迫られます。

 

 フーコーはこのパノプティコンを例に挙げ、「近代社会はルールに自ずと従わなければ生きていけないようになっている」ということを論じました。確かに、Twitterではタイムラインを眺めていても(お気に入り登録など、何らかの反応を起こさない限りは)投稿者に見られていることが分からないような仕組みになっています。

 

 もし、あなたが相互フォローの人々の間でまかり通っているルールに反したツイートを見かければ、きっと憤慨するでしょう。ヤンキーがヤンキー仲間のヲタクっぽいツイートを見かけると「何だこいつ!?調子に乗りやがってキメェ」と不快感を覚えるのと同じように、ヲタクがヲタク仲間の攻撃的な内容のツイートを見かけると「ブヒィ!こんな非常識なツイート、拡散してやる!」となるのと同様にです。私たちは自分の属する文化のルールに従い、タイムラインを監視しているとも言えます。

 

 ところが、この状況は逆に「私たちがフォロワー全員に監視されている」と言い換えることもできます。トマス・マシーセンの言葉を借りれば「シノプティコン」——多数による少数の監視です。私たちがタイムラインの大人数を監視できるように、私たちはタイムラインの大人数によって監視されているのです。

このことは非常に意識しにくく、炎上ツイートが毎日のように発生する一因にもなっています。監視者の存在を意識しにくいというのがデジタル媒体全体の特徴でもあるのです。私たちもルールに従わなければいけない以上、Twitterは決して自由につぶやける場所ではありません。ツイートは監視されているものだということを覚えておきましょう。

 

 Twitterが監獄と違うのは、監視者が監視対象に対してリアクションを起こすことが可能な点です。お気に入り・RT・リプライ……リアクションを起こすための道具がTwitterには多く備えられています。

中でも、RTは任意でより監視者を増やせるという特性を持っています。RTされるたびに、監視者は倍々に増えていきます。10000RTを超えれば、監視者は数百万人にも膨れ上がるでしょう。これらの非常に膨大な数の監視者にRTさせるために、ツイートでどのように働きかけるのかということがRTを得る際には重要になってくるのです。

 

 今回はこれまでです。次回はTwitterに渦巻く『欲望』について話します。

 

○参考文献

https://www.amazon.co.jp/監獄の誕生―監視と処罰-ミシェル・フーコー/dp/4105067036

https://www.amazon.co.jp/いま世界の哲学者が考えていること-岡本-裕一朗/dp/4478067023/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1484482751&sr=8-1&keywords=世界の哲学者

誰でもできる!10000RT—はじめに

 皆さんこんにちは。金こんにゃくです。

 

 私は高校生の頃、「〆まんなん」というニックネームでTwitterをしていました。

 このアカウントは、最盛期にはフォロワー80000人を超え、毎週のようにうん千・うん万という凄まじいRT数のツイートを連発していました。全ツイートの累計RT数は25万を優に超えています。

そのほかにも、フォロワーさんに200枚以上オリジナルキャラクターのイラストを書いてもらったり、1000人ほどのユーザーの団体の団長をしていたこともありました。まさに若気の至り、チ○毛の至りです。当時の私はTwitterに青春を捧げていたようなものでした。

 

 しかし、受験戦争の波に飲み込まれ、Twitterガチ勢を続ける気力を無くした今では、「〆まんなん」のアカウントがネットの大海に寂しく浮かんでいるのみです。いつの間にか団体は解散し、私のアカウントは皆に忘れ去られてしまいました。私の青春は塵と化したかと思われました。

 

 それでも、私の脳内にはTwitterガチ勢時代のノウハウだけはこびりついたままでいます。

このノウハウを無駄にはしたくない。私の青春を価値あるものにしたい! 

そこで私は思いついたのです。「私の青春で生み出してしまったこのロクでもないノウハウを後世に伝えよう!」と。

 

 正直、先に述べておきますが、ツイートが何RTもいったところで身元に一銭も入りませんし、彼女ができる訳でもありません。自己愛・承認欲求が満たされるくらいしか利点はありません。これは私が過去に痛いほど経験したことです。

さらに、データは正確なものを使用するために尽力しますが、『ノウハウ』という通り、以下の方法を実践したとしてもツイートが100%伸びる保証はありませんし、科学的な根拠もありません。偏見とステレオタイプもわんさか盛り込んでいます。

 

 これらを踏まえてなお、「人生に一度はものすごい数のRTを経験してみたい!」と考える人に、この雑記を見てもらえれば幸いです。もし、全て読んでもらえることができたならば、100%とはいかなくても、プロ野球選手の打率よりはツイートがヒットすること間違いなしです。それだけの自信が私にはあります。10000RTのホームラン目指して、みなさん頑張っていきましょう。

 あ、あと不定期更新です。

 

 全体の流れとしては以下のようになっております。変更等はあるかもしれませんが、大筋以下の通りで進行していきます。

 大きく分けて、基礎知識編・実践編・応用編の三部で論じます。

 基礎知識編では、Twitterとはそもそもどのようなサービスなのか、数多くのRTを獲得するツイートはどのようなものなのかといったことを話します。個人的見解から学術的な研究まで参考にし、広く深くTwitterとはどのようなシステムなのかを説明します。

 実践編では、基礎知識を踏まえていざツイートをする段階に移ります。どのようなアカウントがいいか、文体はどうすればいいかなど、RT数の多いツイートがどのように生まれるか話します。ここは完全な経験談です。自分のツイートを引用したり、他人のツイートを紹介したりしながら論じます。

 応用編では、私が多用していた小手先の技術を話します。綺麗なテクニックから、ドス黒いスキルまで、丸裸でお送りします。パクツイ・炎上なんでも御座れの『汚いTwitter』をご覧あれ。

 

 さて、それでは早速基礎知識から話していきましょう。あなたのTwitterライフに幸多きことを願って。

 

日記:恐ろしき穀物

1/11 晴れ 

 日付がゾロ目。なにも書くことのない素晴らしい一日だった。平成が終わろうが、アメリカの大統領が変わろうが、私の日常にはあまり関係がない。

溢れんばかりのパワーを発散する場所を探しに一人で色々なところに赴いたりするが、なかなか刺激のある出来事には恵まれない。このままではエネルギーが溜まりまくった挙句にオーバーヒートしてしまう。行き着く先は迷走。それだけは避けたい。

 

 私は米が好きだ。日々の活力の源になってくれるし、様々なおかずにも合う。

一時期、炭水化物制限ダイエットにより米には逆風が吹き荒れたが、そんな風潮にはビクともせず、日本を含む世界各国の主食という偉大な地位を守り続けている。

穀物繋がりで言えば、小麦も米に劣らず世界的な主食の一つである。主にパンやパスタといった形でこれまた世界中で愛されている。

私もパスタはめちゃくちゃ好きだ。保存がきいて、安くて、作りやすくて、美味い。万能な食べ物だと思う。

 

 米を食べている時、恐ろしいことに気が付いた。「私たちは穀物を利用しているのではなくて、穀物に利用されているのでは?」という考えが頭をよぎったのである。

古来より、私たち人類は米を含む穀物を有効的に活用してきた。東南アジアに原生していた米や、西アジアに原生していた小麦の栽培を始めたことから、都市国家が形作られ、現在の世界に繋がっていったことは言うまでもない。これらの穀物無くして人類の繁栄はあり得なかっただろう。

人類のおかげで、穀物は世界で最も繁栄している植物になったとも、逆説的に言えるだろう。今や地球は米の水田、小麦・トウモロコシの草原、イモ類の畑に覆い尽くされている。

 

 現在の視点から見れば、間違いなく穀物は最悪の外来生物の一つとみなされるだろう。その有用性ゆえに、穀物が育ちやすい環境を人類が作り出すことを誘発したからだ。

日本では水田を作るために森が切り崩され、ヨーロッパでも畑を作るために想像できないほどの樹木が伐採された。今でも、世界では穀物を作り出すために熱帯雨林が切り開かれ、数々の種の存続、生物多様性が脅かされている。

穀物がなければ私たちの生活が成り立たないことは自明である。日本語でも、『ご飯』とはお米自体のことも指す。米とともに日本社会は発展してきた。これは世界各地の穀物でも同様である。もはや人類は穀物に依存しているといっても過言ではないかもしれない。

 

 ライ麦という穀物がある。この穀物は、もともとコムギ畑の雑草であったものが、コムギに似た姿の個体が除草を免れ、そこから繁殖した個体の中から、さらにコムギに似た個体が除草を逃れ、といったことが繰り返され、よりコムギに似た姿へと進化したものだ。さらに環境の劣悪な畑では、コムギが絶えてライムギが残り、穀物として利用されるようになった。

この例は明らかに、穀物の種の存続という目的に人類が利用された典型例である。

他の穀物も、人類が気にいるように、栽培化されてからはより大きな身をつけるようになった。人類が意識的・無意識的に選択した結果であれ、穀物は人類に種の未来を託したことにより、大きな成功を収めたのだ。

もし人類が原始的な穀物を食い尽くしていれば、間違いなくこれらの種は絶滅していただろう。しかし、知能が発達していた人類は穀物との奇妙な共存を選んだ。一定数の種を残す代わりに、人類が食物としてこれらを利用するという穀物の偶然に仕掛けた賭けに、私たちの先祖は乗ったのだ。

穀物は今も増加を続けている。最近ではバイオエタノールといった食とは別の面の有用性も見えてきた。この奇妙な共存の行き着く先は、人類と穀物が極限まで増え続けるか、ある一定数でどちらも減少を迎えるかだろう。どちらに転ぶかはまだわからない。

 

 日記を書いて入る最中に、数年前、ドロドロになった米とオレンジを混ぜた謎のフランス料理を食べたことを思い出した。

文化が違えば穀物の活用法も違う。形を変えて、穀物は世界を渡っていくのだろう。これまでも、そしてこれからも。

初めて体験した異文化の味は、ひどく甘かった。