きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

サルでもわかる!履修登録講座

・はじめに

 新入生の方は初めまして。その他の方はこんにちは。金こんにゃくです。

今回の記事では、「大学でどんな授業を取ればいいか全く分からぬ……」という去年の私のような人達のために、履修についてざっくりと説明します。

私がピカピカの大学一年生の頃、シラバス? レポート? は?」といった感じで、履修というものの正体がまったく掴めていませんでした。

なので、そこらへんの用語の説明等も踏まえ、大学で充実した勉強も、単位を楽に取ることもできる履修の組み方をお伝えしようと思います。

 

・基本用語解説

 ここでは、大学の履修登録に頻出する用語を噛み砕いて説明します。なんとなくでも理解している人は飛ばしても構いません。

 

シラバス…講義を担当する先生が書いた授業の計画書です。ググると出てきます。毎回の授業の概要、必要な教科書、成績評価の内約など、講義についての内容が詳しく書かれています。その授業がどのようなものなのかを判断する一番の基準になります。

 

レポート…大学では、先生から「〇〇について論ぜよ」や、「〇〇について調べよ」のような課題が出され、それが成績評価の基準になることがあります。この課題がレポートです。レポートを日本語に直訳すると「報告書」です。この名の通り、感想文のように書くのではなく、しっかりとした根拠に基づいて意見を述べなければなりません。

レポートは学期末だけでなく、授業期間の最中にも、しかも場合によっては数回提出が求められることもあるので、そこは要注意です。

文字数としては、1600~2000文字程度の課題がほとんどです。

 

テスト…基本的に、大学のテストも高校のテストと同じような感じです。テストの内容は、自分の意見を書かされる論述式のテストが多いように個人的には感じます。

テストには大きく分けて「授業内テスト」と「定期テスト」の二種類があります。授業内テストは講義の最終回で行われるものです。定期テストは「試験期間」と呼ばれる、講義が行われず、試験のみが行われる期間中に受けなければならないテストのことを指します。

先生によってテストの難しさはまちまちです。口コミを参考にしましょう。

 

申し込み科目…全ての学部が履修することのできる「全学科目」や特定の科目では、少人数で講義が行われるため、通常の履修期間よりも早めに抽選申し込みが始まります。これらを申し込み科目と言います。だいたい楽単です。

 

・履修の決め方

  1. まずは必修科目を確認しよう!

 必修科目とは、読んで字のごとく、必ず履修しなければならない科目のことです。英語や第二言語といった言語科目などがこれにあたります。

これらの科目を落としてしまうと、次の学期や学年でも、同じ科目を履修しなければならない羽目になります。この必修を落とし続けると、自由に授業を決められる余裕がどんどん無くなります。さらに、必修を落とし続けるとゼミには入れない、もっとひどい場合は留年しなければなりません。

必修科目は死ぬ気で単位を獲得(100点満点中60点以上を取る)しましょう。

 

  1. 専門科目を履修しよう!

 専門科目とは、学部や学科ごとの専門的な知識を学ぶ授業のことです。

専門科目はたいていの場合、四年間で履修しなければならない単位数が決まっています。これが足らないと、留年しなければなりません。ですので、必修科目の次に優先的に履修するようにしましょう。

何らかの不条理的なパワーが働いて、自分の望む学部・学科に行けなかった人以外は、自分の専攻している学問にある程度の興味を持っているはずなので、専門科目の勉強は楽しめるでしょう。

 

  1. 教養科目を履修しよう!

 一年のうちはまだ履修できる専門科目の数が少ないので、代わりに自分の見識を広める教養科目を取ることになります。教養科目はだいたい「経済学」だの「心理学」だの、学問の大雑把な名前が教科名になっています。

教養科目は自分の専門と畑違いの学問の概要をわかりやすく知ることのできる珍しい機会です。少しでも興味が向いたらじゃんじゃん履修していきましょう。

教養科目は楽単の場合が多いので、自分の苦手な科目に敢えて挑戦してみてもいいかもしれません。

 

・履修が決まったら 〜その他のアドバイス集〜

 ここまでお疲れ様でした。無事に時間割を決めることができたら、あとは大学の授業が始まるのを待つのみです。

SNSで同じ専攻の人とコンタクトを取るなり、新歓に参加するなり、本を読むなり好きに一週間程度を過ごしましょう。

新学期の最初一週間のスケジュールくらいは確認しておいた方が無難かもしれません。

 

・ある教科が楽単かどうか判断する最高の基準は「成績における出席点の割合」です。

大学では出席が成績に加点される科目が多いです。出席点が50%以上だと、ほぼ100%楽単です。出席点の割合が小さくなるほど単位取得が難しくなる傾向にあります。出席50%レポート50%の科目などは間違いなく楽単です。

逆に、テスト100%の教科はなかなか手応えのある科目が多いでしょう。その代わり、難しい科目ほど授業が充実しているようには思います。

 

・もし、履修した教科が「自分に合わないな」と感じたら、履修変更の時期に科目を変更しましょう。早めに変更しておいた方が後々苦しまずに済みます。

 

一人で授業を受けるのが心細いなら、SNSや新入生オリエンテーション、新歓の時に一緒に受ける人を募っておきましょう。友達と協力することで、レポート課題が楽になるなど、数多くの利益を享受することができます。

しかし、一緒に授業を受けようと募ったその人と馬が合わなかった場合、地獄が生まれるのでその覚悟はしておきましょう。人によっては、最初は一人で授業を受けておいた方が色々捗るかもしれません。

 

・「楽天みんなのキャンパス」というサイトでは、様々な大学の講義の充実度・楽単度が掲載されています。私はこれをめちゃくちゃ参考にしています。もし気になる教科があったら、検索してみてもいいかもしれません。

リンクはこちら→ https://campus.nikki.ne.jp

 

・朝に弱い人は一限に授業を入れるのはやめましょう。もしくは、早起きを習慣にしましょう。大学生活は自由ですが、その分堕ちる人はどこまでも堕ちていきます。社会人になって苦労しないように早起きには慣れておいた方がいいかもしれません。

必修科目が一限に入っていることも結構多いです。そこは踏ん張りましょう。

 

 ・終わりに

 以上で履修登録講座を終わりとさせていただきます。本当にざっくり説明してきたので、至らぬ点も多いとかと思われます。ですので、履修に関する質問をツイッターの方で受け付けようと思います。

金こんにゃく(@_ _O72)のアカウントの方にリプライを飛ばしていただけると、できるだけ早急に質問に答えます。

この履修講座が、あなたの新生活の助けに少しでもなっていただければ幸いです。それでは、ご閲覧ありがとうございました。

 

日記:目指せボカロP

4/2 曇り時々晴れ 

 何事もない素晴らしい日曜日。するべきことは多いのだが、あまりにもそれが積み重なりすぎて、まるでやる気が湧かない。

さらに、西洋人のおっさんに射殺される夢も見たのでテンションも急降下中である。せめておっさんが美少女だったら救いはまだあったのに・・・。

 

 音ゲーをしていると、プレイしたい曲の少なさにイライラしてくる。もっとボカロ楽曲を追加してくれ! と思うのだが、無理なものは無理だ。セガ社員も頑張っている。

だから、最近私は無性にボカロ楽曲を作りたい気分になっている。自分で言うのも変だが、論理が飛躍しすぎな気もする。

大抵、私が趣味を始めるきっかけは不純なものだ。富や名声を求め様々なことに手を出すも、自分の品位を下げる方向へ向かってしまう。そもそも動画作りだって、最初は健全な音MADを作るつもりだったのだ。どうしてこうなった? 

 

 ボカロPになるには、音楽理論の勉強、ソフトの購入、作詞などなど、様々な下準備が必要だ。PVを製作するにあたっては、イラストや曲を売り込む歌い手も必要となってくる。今のボカロの現状じゃ、ある程度有名な歌い手が楽曲を歌ってくれないと、ロクに再生数も伸びないだろう。

作詞はまだしも、作曲となると急にハードルが上がる。音楽分野に全く精通していない私では厳しい世界だ。精進あるのみ。

 

 小難しい単語と、やたら長い英語を組み合わせると、ボカロの楽曲っぽいものが出来上がるということに気がついた。試しに即興で作ってみる。

「水溶性アーキテクト」、「尿路結石ウンウンヘクチウム」、「豊胸発情コンプレックス」。

最後のは同人誌っぽくなってしまった。もし実在したら間違いなく読む。これもしかしたらまともな曲名さえつけらないんじゃないか?

日記:二十歳の自分への手紙

3/11 曇り 

 東日本大震災から6年。私が13歳になってからも6年。6年という期間で世間の全てが変わってしまった。原発は止まったし、SNSがより普及したし、私の身長も30cm近く伸びた。明日にでも寄付にしよう。

 

 19歳になった。思い返せば、18歳は本当に濃い一年だった。18歳最初の頃の私は自分がこの一年で3000冊以上本を乱読するとは思っていなかっただろうし、動画投稿を始めるとも考えていなかったし、女子とある程度はまともに話せるようになるとは想像できなかった。一年で人は自分の予想以上に変わる。プラスしかりマイナスしかり。

 

 子供の頃に「二十歳の自分への手紙」というものを書いた人はおそらく多いだろう。たいていの人は、卒業アルバムの後半に載っていたりするのかもしれない。

あいにく、私の小中学校にそのような風習はなかったので、私は未来の自分に一回も手紙を書いたことがない。

なので、今書こうと思う。二十歳になって読み直しても一年前の日記なんて覚えていないだろう。

 

 拝啓、二十歳の私。元気にしてますか? 19歳の私はたまに落ち込むこともあるけど基本的には元気です。最近は、心理学関連の本を読み直したり、青春小説を読んだり、汚い動画を作ったりしています。二十歳の私は何をしているでしょうか? 今私がやっていることは継続できていますか? それとも何か新しいことを始めていますか? ご飯はちゃんと食べてますか? 彼女はできてますか? 単位は十分にとれてますか? 友人は増えていますか? フォロワーは増えていますか? 賢くなっていますか? 健康に日々を過ごしていますか? というか生きていますか? 

 

 メンヘラ彼女みたいになってしまった。全く未来は見えない。不安ばかりである。だから面白い。はいはい意識高い高い。

 

 18歳と二十歳に比べると19歳はあまり年齢に価値がない。だからこそ、自分の行いで価値のある一年にしたいものだ。ラストティーン楽しんで♡♡

 

日記:春の生存報告

3/1 曇りのち雨 

 三月が始まった。まだ春休みが半分しか経っていないことに気がついて、思わず発狂しかけた。無間地獄に閉じ込められたような気分だ。大学生の春休みは長すぎる。

日記は日常で何かが起こらなければ書けない。最近、日記をあまり更新しなかった。つまりはそういうことである

 

 春というのは私にとって復活の季節だ。

冬の間は本当に元気が出ない。常に気分は憂鬱であり、マイナス思考が続く。誰かと会えば気分は改善されるのだが、大学生というのは本当に予定を入れなければ誰とも会えないので、抑うつ気分をこれまで以上に悪化させてしまった。ストレスのあまり生産的なことをする気分にも、自慰をする気分にもなれなかった。本当に半うつ病である。しばらくはサンシャイン池崎でしか笑えなかったほどである。 

 

 気温が上がるにつれ、テンションも上がってくるというものである。地球に帰還し、ようやく降り立った宇宙飛行士の気分だ。

でも、日記を万全に書くほどの元気はまだないので、ここで終わりとする。残り懲役一ヶ月をいかに有益に過ごすか考えることで暇を潰そう。

日記:批評家の銅像は建たない

2/17 雨 

 久しぶりの雨である。こういう日は読書をするに限る。

 

 動画を作り、ニコニコ動画に投稿すると、コメントという形で、自分の作品に対するいろいろな批評を見ることができる。

「シンプルだけど面白かった」、「面白かった+114514点」、「草」などのコメントを見かけると、とても嬉しく思う。

しかしながら、逆にこっぴどく酷評されることもある。「つまんね」、「この内容なら3分でまとめろ」、「投稿やめろ」などの言葉が寄せられることもあった。細やかな批判なら素直に反省できる。しかし、こういう類のコメントを見かけたときは、まず全裸になり、両手の親指と人差し指で乳首を限界まで引っ張りながら、舌を天頂に思いっきり突き出し、太ももでキンタマを揉みしだきながら奇声をあげつつ家の中を猛ダッシュするようにしている。

次こそは! という気持ちに切り替えることが何かを作る上では必要だ。そのためには奇行も辞さない。気持ちを切り替える手軽な奇行としては、やたらと長いカタカナ語を連呼するという方法がある。コンスタンティノープル!! コンスタンティノープル!!

 

 奇声をあげながら、批評するということについて考えた。芸人しかり、漫画しかり、何にでも批評家はいるもので、的確な指摘を飛ばしたり飛ばさなかったりしている。

でも、そのような優れた観察眼を持ち合わせている批評家が偉いかと言われると、そうではない。『進撃の巨人』の実写映画の脚本は有名な映画批評家が務めたらしいが、散々この映画は叩かれていた。失敗したのは明らかだろう。いつもは批評している人が、こっぴどく批評される側に回るというのも皮肉な話だ。

さらに、「クリエイターの像は建つが、批評家の像は建たない」という悲しい名言もある。言われてみれば確かにそうだ。銅像が立つほどの批評家というのを私は一人も知らない。

 

 それでも私たちは批評家になってしまう。コンテンツだけならまだしも、悲しいことに他者の人間関係や行動まで批評してしまうことが多々ある。そこからガラガラと日々の平穏が崩れることもあるだろう。

それでも、批評は進歩を生むので、なかなか無視するわけにはいかない。私個人に対する厳しい批評も、渋い顔をして受け入れようと思い始めている。暴言には奇声で対抗だ。

 

 最近まで、批評する側だった私が批評される側に回った結果、おちおち声高々に批評することができなくなった。もうPPAPがつまらないだの、ブリゾンちえみの面白さがわからないなんて言えないよ! こちらとしては「面白くないものをブームにすることができるか」という社会実験に巻き込まれている気分だ。

しかし、製作者ならではの利点もある。何度コメントでボロクソに言われても、私が諦めずに技術の向上に励むことができれば、もしかしたら銅像が建つかもしれない。

時は2100年、某駅の改札前。両手の親指と人差し指で乳首を限界まで引っ張りながら、舌を天頂に思いっきり突き出し、太ももでキンタマを揉みしだきながら奇声をあげつている全裸の男の銅像。彼は今日も、行き交う人々を温かい目で見守っている……。

狂気だ。

日記:バレンタイン前夜祭

2/13 曇り

 バレンタイン前日。バレンタインの由来は、聖ウァレンティヌスが婚姻を禁止されていたローマ帝国の兵士達の結婚式を内緒で執り行ったために処刑されたことらしい。彼の処刑日が現在のバレンタインになっているという。

そんなことはどうでもいい。聖人の血よりも、バレンタインの日に貰えるチョコの方が価値がある。私なんかは人生でチョコを貰ったことがないんだから尚更である。

献血センターで500ml献血すれば可愛い看護婦さんからチョコを貰えるだろうか? せっかく共学の大学に通っているのだから、せめて一回はチョコを貰いたいものだ……。

 

 明日のことを考えると憂鬱になってきたので今日はここで日記を終える。ああ虚無。

日記:私がブログを有料にしない理由

2/10 自分の製作した動画がyoutubeに無断転載されていた。と言っても、私にコンタクトを取る方法がニコニコからは存在しないので仕方ないのかもしれない。

無断転載が嫌いなわけでも無いので、もししてくれるならどんどん動画を転載してほしい。そうすれば、より汚いインターネットの世界へと変わっていくだろう。それは快感。

 

 ツイッターで、「ブログを配信することをビジネスにしませんか?」という誘いが来た。私自身は全くこのブログがお金に変わるものだとは思っていなかったので、心底意外な誘いだった。私の返答を先に言えば、ブログを使ってお金を稼ぐことは嫌だ

 

 理由その1。このブログを配信してお金を稼ぐような仕組みを作ってしまうと、私の書くことにある程度の責任が発生してしまう。『無責任に振る舞える』という学生特有の権利を失うことは大きなデメリットになる。

それに、これまでのように不定期更新や、煮詰まって途中で執筆を投げ出すということがおちおち出来なくなってしまう。私のような変態クソ自由人にそれは堪えるのだ。

 

 理由その2。私は学生のうちからビジネスを行うことを愚策だと思っている。お金は普通のバイトで十分に稼げるし、わざわざ起業をしなくても経営のノウハウなどはサークルや生協委員会の活動で体感的に学ぶことができるからだ。

マーケティングがしたいのなら、一回自分で再生数を稼ぐことを目的に動画を制作してみるといい。最低限のPCスキル、動画サイトのユーザーが何を必要としているか、サムネイルはどのような画像にするか、動画の作りは人が楽しめるものかなど、マーケティングのエッセンスをこれ以上ないほどに学び、習得することができる。しかも無料で。

よくわからない肩書きだけの講師をセミナーに招くまでもない。私たちにはインターネットも、大学図書館もある。これ以上何を望むというのだろうか? ビジネスを行う人はただ別のベターな方法が見えていないだけだと思う。

 

 理由その3。有料でブログを配信すると、タダで配信している今よりも閲覧が減る。そして、情報というモノにおいて、タダで配信されるより価値の高い状態はない。

テレビ・ラジオ・インターネット、これらは機器さえ揃えば安価に情報を得ることが出来るモノたちだ。情報を得る機会はスマホの普及によって近年ますます増加している。

大正時代、本の価格は今の約8倍だった。現在の価格にして一冊二、三万円である。比較的情報吸収能率の悪い紙媒体でさえ、この有様なのだ。昭和30年のテレビの値段は、サラリーマンの月収が約三万円なのに比べてなんと三十万円。馬鹿高い。情報の価格は昔に比べて下がっていることは明らかだ。

しかし、それとは対照的に価値は上がっている。情報に触れる人の数が増えるたびに、情報の質はより洗練されるからだ。面白いもの・感動するものが多くの人の目に触れることにより厳選されていく。ツイッターでRT数の多いツイートはまあ面白いというのが最たる例だろう。そして、何遍も繰り返すが、この洗練された情報は無料で得ることが出来るのだ。逆に言えば、情報は無料でなければ多くの人の目に触れることが出来ない。大人数の人間なくして情報の価値が向上することはありえないのだ。

個人的な体験を述べれば、無料で情報を得ることができたおかげで、私は動画制作が少しできるようになったし、様々な素晴らしき知識にも出会うことができた。タダは機会を生む。情報を選別できる鑑識眼さえあれば、無料の情報は至上の価値を孕む。

私のこのブログにも同じことが言える。もしかしたらここに書き込んだ私のアイデアが、誰かが転用して世界を変える革新を引き起こすかもしれない。決してありえないことではない。ブログが無料であるからこそ、その可能性が生じる。人に触れることで爆発的な化学反応を起こすという情報特有の性質のおかげで、世界はこれまで進歩して来た。これからもより情報は安くなり、より革新が起こるようになるだろう。情報のおかげで人類は加速する。加速したまま崖に突っ込むかもしれないが。

 

 ここまで、私が日記を無料にしない理由を書いてきた。「ブログを有料化すれば閲覧してくれる人は興味を持って来ているので、そちらの方が効率は良いのではないか?」といった批判が寄せられるかもしれない。そのことに対しては、理由1・2と、「興味を持っていない人に無理やり興味を持たせる楽しさを知りたいから」という個人的な雑い理由で反論できる。

というか、学生のうちからビジネスをしている人は目的と手段が食い違っているように思う。株をやるにしても、学生がやるより人工知能にさせた方がよっぽど稼げる。人間の判断がそこまで合理的でないというのは既に行動経済学がの研究結果が証明している。

意識高い系学生への怨念が吹き出したので今日はこの辺で。