きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:断捨離だったりラジバンダリ

4/22 晴れ 

 日記を書くのをしばらくサボっていたが、その間に大学生活を変えうるであろう出来事が数多く起こった。放送部に勧誘されたり、中国語同好会にいつの間にか入っていたり、交友関係が一気に広がったり。

変化は少しずつ日常を蝕んでいくものであり、気が付かぬうちにかつての日常に成り代わっているものである。なんとなく、『スワンプマン』という思考実験を思い出した。気になる方は各自検索していただきたい。その先には眠れぬ夜が待っていることだろう。

 

 いらぬものばかりで、身の回りが埋まってきた感じがする。

いらぬものばかりに囲まれている状態が続くと、非常に息苦しくなってくる。うまく言葉に言い表せないが、これは『自分』の領域が侵食されていくような感覚に近い。普段の生活の中で、いらぬものまで気に掛けなくてはならなくなるので、だんだん何かをするのが煩雑になってくるし、それに、とても疲れやすくなる。

この現況を打開するにはアレしかない。断捨離である。

 

 まずは趣味である。

数ある私の趣味の中でも、一番無駄だと思われる音ゲーから切り捨てよう。音ゲーをするのは新曲が配信された時だけにしよう。

次に動画制作。月に二回程度の投稿にする。これで、汚い映像に触れなければならない時間はグッと減ったはずである。

読書は一日に十冊程度を維持しよう。読みすぎは体に悪い。それはこの一年が証明している。

これらとは逆に、親に借金をしてまで購入したカメラに関わる時間を増量するつもりである。撮影がうまくなると、ツイッターのネタをいちいち考えなくて済むようになるので、経済的である。

 

 次に生活全般の物事を断捨離する。

まずは……と考えたものの、何を改善すべきか思い付かなかった。正しい生活習慣を送ってきた証である。自分で自分を褒めてやる。よお~~~~~~~~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしとってもとってもとってもとってもとってもとってもきゃわィィイイねェェェェェェェェェ、ピーちゃん! よく出来たッ!

よく私が人様に指摘されがちな服装も、このままでいいだろう。服装など、一つの季節に三から四パターンあれば充分なのであって、それ以上は自己満足の領域である。

冬はコートを羽織っていたのでほぼワンパターンの服装だったが、何も悪いことは起きなかった。良いことも起きなかった。さらに、他人はそれほど自分の服装に注目していないし、私もそれほど人の服装に注目していない。したとしても、チェックシャツかどうかという点くらいである。チェックシャツは童貞。

こんなことを言っては様々な人にボコボコにされそうだが、「髪色で大学生活が変わる」というのは、全くの幻想だと思う。

髪色を茶色に変えて、自らの印象を明るくするというのはわからんでもない。しかし、金髪などの蛍光色に変えるのは完全な悪手である。

京都工芸繊維大学とリース大学の共同研究がこれを示している。

ci.nii.ac.jp

論文によると、黒髪が一番日本人にとって好感度の持てる髪色であり、次に茶髪、栗色が続いている。私も黒髪が好きだ。

一方、最も印象が悪いのは金髪であり、次に赤、緑、青という結果となっている。

私はモテたいので、黒髪であり続ける。いや、髪色以前に、このような日記を書いている時点で好感度はだだ下がりかもしれない。

 

 最後に、人間関係の断捨離を考えた。

交友関係が(私視点で)広がりすぎて、一人の時間と他者と関わっている時間のバランスが崩れている気がする。また、各人に注げる時間的リソースも明らかに減少している。各人と関わる時間が減少するというのはなんだか相手に対して不誠実な感じがする。

そもそもの話、友人の名前の記憶すら最近危うい。対人認知の限界を迎えている。これ以上交友関係を増やすのは少々マズイかもしれない。

だからと言って、今ある関係を削るのはさらにマズイので、現状維持。より各人との関係の良好化に努めたい。それが一番無理なく、他者に対して誠実であり続けうことができる方法だと悟った。人間関係のリセット癖が自分には無くて良かったとつくづく思う。

 

 ここまで、いろいろなものを断捨離してきた。

今日立てた目標が達成されるのなら困ることもないのだが、大抵は失敗するのがいつもの私だ。私にとって、目標は破棄されるためにある。

志は大きく、器量は小さく。最低である。

 

サルでもわかる!履修登録講座

・はじめに

 新入生の方は初めまして。その他の方はこんにちは。金こんにゃくです。

今回の記事では、「大学でどんな授業を取ればいいか全く分からぬ……」という去年の私のような人達のために、履修についてざっくりと説明します。

私がピカピカの大学一年生の頃、シラバス? レポート? は?」といった感じで、履修というものの正体がまったく掴めていませんでした。

なので、そこらへんの用語の説明等も踏まえ、大学で充実した勉強も、単位を楽に取ることもできる履修の組み方をお伝えしようと思います。

 

・基本用語解説

 ここでは、大学の履修登録に頻出する用語を噛み砕いて説明します。なんとなくでも理解している人は飛ばしても構いません。

 

シラバス…講義を担当する先生が書いた授業の計画書です。ググると出てきます。毎回の授業の概要、必要な教科書、成績評価の内約など、講義についての内容が詳しく書かれています。その授業がどのようなものなのかを判断する一番の基準になります。

 

レポート…大学では、先生から「〇〇について論ぜよ」や、「〇〇について調べよ」のような課題が出され、それが成績評価の基準になることがあります。この課題がレポートです。レポートを日本語に直訳すると「報告書」です。この名の通り、感想文のように書くのではなく、しっかりとした根拠に基づいて意見を述べなければなりません。

レポートは学期末だけでなく、授業期間の最中にも、しかも場合によっては数回提出が求められることもあるので、そこは要注意です。

文字数としては、1600~2000文字程度の課題がほとんどです。

 

テスト…基本的に、大学のテストも高校のテストと同じような感じです。テストの内容は、自分の意見を書かされる論述式のテストが多いように個人的には感じます。

テストには大きく分けて「授業内テスト」と「定期テスト」の二種類があります。授業内テストは講義の最終回で行われるものです。定期テストは「試験期間」と呼ばれる、講義が行われず、試験のみが行われる期間中に受けなければならないテストのことを指します。

先生によってテストの難しさはまちまちです。口コミを参考にしましょう。

 

申し込み科目…全ての学部が履修することのできる「全学科目」や特定の科目では、少人数で講義が行われるため、通常の履修期間よりも早めに抽選申し込みが始まります。これらを申し込み科目と言います。だいたい楽単です。

 

・履修の決め方

  1. まずは必修科目を確認しよう!

 必修科目とは、読んで字のごとく、必ず履修しなければならない科目のことです。英語や第二言語といった言語科目などがこれにあたります。

これらの科目を落としてしまうと、次の学期や学年でも、同じ科目を履修しなければならない羽目になります。この必修を落とし続けると、自由に授業を決められる余裕がどんどん無くなります。さらに、必修を落とし続けるとゼミには入れない、もっとひどい場合は留年しなければなりません。

必修科目は死ぬ気で単位を獲得(100点満点中60点以上を取る)しましょう。

 

  1. 専門科目を履修しよう!

 専門科目とは、学部や学科ごとの専門的な知識を学ぶ授業のことです。

専門科目はたいていの場合、四年間で履修しなければならない単位数が決まっています。これが足らないと、留年しなければなりません。ですので、必修科目の次に優先的に履修するようにしましょう。

何らかの不条理的なパワーが働いて、自分の望む学部・学科に行けなかった人以外は、自分の専攻している学問にある程度の興味を持っているはずなので、専門科目の勉強は楽しめるでしょう。

 

  1. 教養科目を履修しよう!

 一年のうちはまだ履修できる専門科目の数が少ないので、代わりに自分の見識を広める教養科目を取ることになります。教養科目はだいたい「経済学」だの「心理学」だの、学問の大雑把な名前が教科名になっています。

教養科目は自分の専門と畑違いの学問の概要をわかりやすく知ることのできる珍しい機会です。少しでも興味が向いたらじゃんじゃん履修していきましょう。

教養科目は楽単の場合が多いので、自分の苦手な科目に敢えて挑戦してみてもいいかもしれません。

 

・履修が決まったら 〜その他のアドバイス集〜

 ここまでお疲れ様でした。無事に時間割を決めることができたら、あとは大学の授業が始まるのを待つのみです。

SNSで同じ専攻の人とコンタクトを取るなり、新歓に参加するなり、本を読むなり好きに一週間程度を過ごしましょう。

新学期の最初一週間のスケジュールくらいは確認しておいた方が無難かもしれません。

 

・ある教科が楽単かどうか判断する最高の基準は「成績における出席点の割合」です。

大学では出席が成績に加点される科目が多いです。出席点が50%以上だと、ほぼ100%楽単です。出席点の割合が小さくなるほど単位取得が難しくなる傾向にあります。出席50%レポート50%の科目などは間違いなく楽単です。

逆に、テスト100%の教科はなかなか手応えのある科目が多いでしょう。その代わり、難しい科目ほど授業が充実しているようには思います。

 

・もし、履修した教科が「自分に合わないな」と感じたら、履修変更の時期に科目を変更しましょう。早めに変更しておいた方が後々苦しまずに済みます。

 

一人で授業を受けるのが心細いなら、SNSや新入生オリエンテーション、新歓の時に一緒に受ける人を募っておきましょう。友達と協力することで、レポート課題が楽になるなど、数多くの利益を享受することができます。

しかし、一緒に授業を受けようと募ったその人と馬が合わなかった場合、地獄が生まれるのでその覚悟はしておきましょう。人によっては、最初は一人で授業を受けておいた方が色々捗るかもしれません。

 

・「楽天みんなのキャンパス」というサイトでは、様々な大学の講義の充実度・楽単度が掲載されています。私はこれをめちゃくちゃ参考にしています。もし気になる教科があったら、検索してみてもいいかもしれません。

リンクはこちら→ https://campus.nikki.ne.jp

 

・朝に弱い人は一限に授業を入れるのはやめましょう。もしくは、早起きを習慣にしましょう。大学生活は自由ですが、その分堕ちる人はどこまでも堕ちていきます。社会人になって苦労しないように早起きには慣れておいた方がいいかもしれません。

必修科目が一限に入っていることも結構多いです。そこは踏ん張りましょう。

 

 ・終わりに

 以上で履修登録講座を終わりとさせていただきます。本当にざっくり説明してきたので、至らぬ点も多いとかと思われます。ですので、履修に関する質問をツイッターの方で受け付けようと思います。

金こんにゃく(@_ _O72)のアカウントの方にリプライを飛ばしていただけると、できるだけ早急に質問に答えます。

この履修講座が、あなたの新生活の助けに少しでもなっていただければ幸いです。それでは、ご閲覧ありがとうございました。

 

日記:目指せボカロP

4/2 曇り時々晴れ 

 何事もない素晴らしい日曜日。するべきことは多いのだが、あまりにもそれが積み重なりすぎて、まるでやる気が湧かない。

さらに、西洋人のおっさんに射殺される夢も見たのでテンションも急降下中である。せめておっさんが美少女だったら救いはまだあったのに・・・。

 

 音ゲーをしていると、プレイしたい曲の少なさにイライラしてくる。もっとボカロ楽曲を追加してくれ! と思うのだが、無理なものは無理だ。セガ社員も頑張っている。

だから、最近私は無性にボカロ楽曲を作りたい気分になっている。自分で言うのも変だが、論理が飛躍しすぎな気もする。

大抵、私が趣味を始めるきっかけは不純なものだ。富や名声を求め様々なことに手を出すも、自分の品位を下げる方向へ向かってしまう。そもそも動画作りだって、最初は健全な音MADを作るつもりだったのだ。どうしてこうなった? 

 

 ボカロPになるには、音楽理論の勉強、ソフトの購入、作詞などなど、様々な下準備が必要だ。PVを製作するにあたっては、イラストや曲を売り込む歌い手も必要となってくる。今のボカロの現状じゃ、ある程度有名な歌い手が楽曲を歌ってくれないと、ロクに再生数も伸びないだろう。

作詞はまだしも、作曲となると急にハードルが上がる。音楽分野に全く精通していない私では厳しい世界だ。精進あるのみ。

 

 小難しい単語と、やたら長い英語を組み合わせると、ボカロの楽曲っぽいものが出来上がるということに気がついた。試しに即興で作ってみる。

「水溶性アーキテクト」、「尿路結石ウンウンヘクチウム」、「豊胸発情コンプレックス」。

最後のは同人誌っぽくなってしまった。もし実在したら間違いなく読む。これもしかしたらまともな曲名さえつけらないんじゃないか?

日記:二十歳の自分への手紙

3/11 曇り 

 東日本大震災から6年。私が13歳になってからも6年。6年という期間で世間の全てが変わってしまった。原発は止まったし、SNSがより普及したし、私の身長も30cm近く伸びた。明日にでも寄付にしよう。

 

 19歳になった。思い返せば、18歳は本当に濃い一年だった。18歳最初の頃の私は自分がこの一年で3000冊以上本を乱読するとは思っていなかっただろうし、動画投稿を始めるとも考えていなかったし、女子とある程度はまともに話せるようになるとは想像できなかった。一年で人は自分の予想以上に変わる。プラスしかりマイナスしかり。

 

 子供の頃に「二十歳の自分への手紙」というものを書いた人はおそらく多いだろう。たいていの人は、卒業アルバムの後半に載っていたりするのかもしれない。

あいにく、私の小中学校にそのような風習はなかったので、私は未来の自分に一回も手紙を書いたことがない。

なので、今書こうと思う。二十歳になって読み直しても一年前の日記なんて覚えていないだろう。

 

 拝啓、二十歳の私。元気にしてますか? 19歳の私はたまに落ち込むこともあるけど基本的には元気です。最近は、心理学関連の本を読み直したり、青春小説を読んだり、汚い動画を作ったりしています。二十歳の私は何をしているでしょうか? 今私がやっていることは継続できていますか? それとも何か新しいことを始めていますか? ご飯はちゃんと食べてますか? 彼女はできてますか? 単位は十分にとれてますか? 友人は増えていますか? フォロワーは増えていますか? 賢くなっていますか? 健康に日々を過ごしていますか? というか生きていますか? 

 

 メンヘラ彼女みたいになってしまった。全く未来は見えない。不安ばかりである。だから面白い。はいはい意識高い高い。

 

 18歳と二十歳に比べると19歳はあまり年齢に価値がない。だからこそ、自分の行いで価値のある一年にしたいものだ。ラストティーン楽しんで♡♡

 

日記:春の生存報告

3/1 曇りのち雨 

 三月が始まった。まだ春休みが半分しか経っていないことに気がついて、思わず発狂しかけた。無間地獄に閉じ込められたような気分だ。大学生の春休みは長すぎる。

日記は日常で何かが起こらなければ書けない。最近、日記をあまり更新しなかった。つまりはそういうことである

 

 春というのは私にとって復活の季節だ。

冬の間は本当に元気が出ない。常に気分は憂鬱であり、マイナス思考が続く。誰かと会えば気分は改善されるのだが、大学生というのは本当に予定を入れなければ誰とも会えないので、抑うつ気分をこれまで以上に悪化させてしまった。ストレスのあまり生産的なことをする気分にも、自慰をする気分にもなれなかった。本当に半うつ病である。しばらくはサンシャイン池崎でしか笑えなかったほどである。 

 

 気温が上がるにつれ、テンションも上がってくるというものである。地球に帰還し、ようやく降り立った宇宙飛行士の気分だ。

でも、日記を万全に書くほどの元気はまだないので、ここで終わりとする。残り懲役一ヶ月をいかに有益に過ごすか考えることで暇を潰そう。

日記:批評家の銅像は建たない

2/17 雨 

 久しぶりの雨である。こういう日は読書をするに限る。

 

 動画を作り、ニコニコ動画に投稿すると、コメントという形で、自分の作品に対するいろいろな批評を見ることができる。

「シンプルだけど面白かった」、「面白かった+114514点」、「草」などのコメントを見かけると、とても嬉しく思う。

しかしながら、逆にこっぴどく酷評されることもある。「つまんね」、「この内容なら3分でまとめろ」、「投稿やめろ」などの言葉が寄せられることもあった。細やかな批判なら素直に反省できる。しかし、こういう類のコメントを見かけたときは、まず全裸になり、両手の親指と人差し指で乳首を限界まで引っ張りながら、舌を天頂に思いっきり突き出し、太ももでキンタマを揉みしだきながら奇声をあげつつ家の中を猛ダッシュするようにしている。

次こそは! という気持ちに切り替えることが何かを作る上では必要だ。そのためには奇行も辞さない。気持ちを切り替える手軽な奇行としては、やたらと長いカタカナ語を連呼するという方法がある。コンスタンティノープル!! コンスタンティノープル!!

 

 奇声をあげながら、批評するということについて考えた。芸人しかり、漫画しかり、何にでも批評家はいるもので、的確な指摘を飛ばしたり飛ばさなかったりしている。

でも、そのような優れた観察眼を持ち合わせている批評家が偉いかと言われると、そうではない。『進撃の巨人』の実写映画の脚本は有名な映画批評家が務めたらしいが、散々この映画は叩かれていた。失敗したのは明らかだろう。いつもは批評している人が、こっぴどく批評される側に回るというのも皮肉な話だ。

さらに、「クリエイターの像は建つが、批評家の像は建たない」という悲しい名言もある。言われてみれば確かにそうだ。銅像が立つほどの批評家というのを私は一人も知らない。

 

 それでも私たちは批評家になってしまう。コンテンツだけならまだしも、悲しいことに他者の人間関係や行動まで批評してしまうことが多々ある。そこからガラガラと日々の平穏が崩れることもあるだろう。

それでも、批評は進歩を生むので、なかなか無視するわけにはいかない。私個人に対する厳しい批評も、渋い顔をして受け入れようと思い始めている。暴言には奇声で対抗だ。

 

 最近まで、批評する側だった私が批評される側に回った結果、おちおち声高々に批評することができなくなった。もうPPAPがつまらないだの、ブリゾンちえみの面白さがわからないなんて言えないよ! こちらとしては「面白くないものをブームにすることができるか」という社会実験に巻き込まれている気分だ。

しかし、製作者ならではの利点もある。何度コメントでボロクソに言われても、私が諦めずに技術の向上に励むことができれば、もしかしたら銅像が建つかもしれない。

時は2100年、某駅の改札前。両手の親指と人差し指で乳首を限界まで引っ張りながら、舌を天頂に思いっきり突き出し、太ももでキンタマを揉みしだきながら奇声をあげつている全裸の男の銅像。彼は今日も、行き交う人々を温かい目で見守っている……。

狂気だ。

日記:バレンタイン前夜祭

2/13 曇り

 バレンタイン前日。バレンタインの由来は、聖ウァレンティヌスが婚姻を禁止されていたローマ帝国の兵士達の結婚式を内緒で執り行ったために処刑されたことらしい。彼の処刑日が現在のバレンタインになっているという。

そんなことはどうでもいい。聖人の血よりも、バレンタインの日に貰えるチョコの方が価値がある。私なんかは人生でチョコを貰ったことがないんだから尚更である。

献血センターで500ml献血すれば可愛い看護婦さんからチョコを貰えるだろうか? せっかく共学の大学に通っているのだから、せめて一回はチョコを貰いたいものだ……。

 

 明日のことを考えると憂鬱になってきたので今日はここで日記を終える。ああ虚無。