きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

私は日本語ができない

10/6 雨

 

 久しぶりに雨が降ったような気がする。

 一週間は長いようで短く、すぐに実習の授業がまた来てしまった。

 今ではあまり顔の見せていないサークルの先輩がTAとして配属されているので、最初はなかなか気まずかった。

 今は普通に話せている。私の発話の内容が普通かどうかはわからない。

 相手にどう思われているかはともかく、今尚話してくれるというのはありがたいことだと思う。

 集団の中で生活するのが苦手な私には、ノンサー生活もなかなか捨てたものではない。

 個人が自由な人間関係の中で生活できるというのは、大学という場の利点だと感じた。

 

 私は日本語が苦手だ。

 普段、文章を他の人よりは書きまくっている私だが、それでも全く日本語が上達した実感が抱けない。

 私の日本語の拙さはこういうブログよりも、日常生活の場で露呈してしまう。

 例えば、人に「頑張れ」という内容のラインを送る時、何か文言を和らげるための語尾を付けようとしてしまった。

 ストレートに人を応援するのが私は苦手だ。なんだか、真面目な応援はその人の努力に対して無責任な感じがするからだ。

 ここは素直に顔文字や記号でも付けておけば良かったのだが、その時私は関西弁で語尾を和らげようとしてしまった。

 気づいた頃には「頑張れや」と送信してしまっていた。

 後から見ると、ガラが悪く、上から目線のとんでもないメッセージである。関西弁を付ける場所を大いに間違えてしまった。

 私はその日の自分の失敗を、何度も反芻してしまう人間なので、脳内で何度もこの失敗がループしたものだ。送った相手がなんとも思っていなければいいが。

 

 日本語のニュアンスの他にも、単語の読み方をよく間違える。

 高三まで「字幕」「じぼ」と読んでいたし、「好々爺」「すきすきじじい」と読んでいた。

 最近にも紀伊國屋「きいくにや」と読んでしまって、それを友人に指摘された。

 英語やドイツ語はもちろん、日本語さえまともに読めない。

 自分の間違えを、逐一誰かが訂正してくれるのはありがたい。

 そのままずっとバカを晒すより、その場で正しい読み方を教わった方がよっぽど効率的だ。

 私は小学生の頃から分からない漢字は辞書を引くことなく、なんとなくでその読み方を想像して黙読していた。

 おかげで読書は嫌いにならずに済んだが、その弊害が大学生となった現在に現れている。その時その時で、細かく正しい読み方を学んでいくしかない。

 

 英語の早期教育が唱えられる現在、日本語さえも使いこなせない人は結構な人数いると思う。

 私だって、日記を習慣づけていなかったら、マトモに自分の意見や考えを文章化することすら困難だったかもしれない。

 日本語はスポーツと同じで、日々鍛えることでその技量を増すことができる。

 文章力に不安のある人は、是非とも日記を始めることをオススメする。

 というか、私が人の日記を読みたいだけである。

 恥ずかしいラインを送ることも、変な音読をすることもない、素晴らしい日本語ライフを送りたいものだ。

「いじめ」を考える

10/4 晴れ

 

 10月が始まり、日記はサボり、満月は登り、時は流れる。

 ノーベル賞の季節だが、まるで今回は心理学と関連した話題が出てこない。強いていうなら「体内時計」だろうか。

 ノーベル賞にも心理学の部門を創設してほしい。数学とは違い、ノーベルは心理学に対する怨念がないはずだ。そろそろ心理学にも、れっきとした科学の光を当ててやってほしい。

 もし今の状況で、心理学でノーベル賞を獲るなら、「心の理論」や「ミラーミューロン」くらいだろうか。

 ロジャーズが平和賞を貰いかけた「エンカウンターグループ」が成功すれば、平和賞も獲得できるかもしれない。もしくは自らの文筆で「夜と霧」のようなものを完成させて、文学賞を狙うかである。

 ノーベル賞は毎年数人しか選ばれない非常に狭い門だ。固執するのは良くないだろう。

 でも、やっぱりノーベル賞を獲得して周囲からチヤホヤされたいのだ。

 

 大学に入学してから、『いじめ』の経験者に何人か会った。

 私が中学生だった頃にも、何人かいじめられっ子がいたので、いじめの経験者に会うこと自体は珍しいことではないだろう。

 彼らを助けようという気は当時の私には毛頭無かったが、なんとなくいじめっ子が気に入らなかったので、学校裏サイトを創設して、彼らのグループを疑心暗鬼に陥れ、貶めようとしたことがあった。

 結果、彼らに胸ぐらを掴まれたり、殴り合いの喧嘩になったりしたのはまた別の話だ。

 現在は、私が彼らよりも社会的地位も知能もバイタリティも性格も金銭的な羽振りも、全て上位に立つことができているので、非常に気分がいい。

 低学歴ヤンキーは死ぬまで地元を愛して、将来が報われない子供を育て、子孫代々ブルーカラーとして細々と生きていくがよい。そう、心の中でほくそ笑んでいる。

 昔の私はクソガキで狂犬だった。改めて、そう思う。それは今も変わらないのかもしれない。

 

 いじめの問題は、昔から異論されているのにもかかわらず、全く解決していない。環境問題の方がまだ幾分はマシである。

 いじめが原因の自殺というのは、未だに多い。

 事故や病気を差し置いて、学校での問題は中学生の死因の第一位となっている。

 そろそろ、本気でいじめの問題を解決しなければならない。

 子供への曖昧な呼びかけは、明日にも自分を殺すであろう子供には届いていないのだ。

 

 いじめに対する教育学からのアプローチは散々これまで行われてきたので、今日は比較行動学の視点から、いじめという問題を眺めていきたい。

 ヒトに一番近い動物であるチンパンジーや、その他のサルには、人間と同様のいじめの行動が見受けられる。

 人間の場合もサルの場合も、いじめの原因は個体間のトラブルである。特に、人間の場合は、いじめの被害者となる個体が気づかない些細な出来事がいじめの原因となり得る。

 

 サルのいじめは、個体間の諍いを解決するための手段の一つに過ぎない。

 食料の豊かな地域に住んでいる「ボノボ」と呼ばれるチンパンジーの仲間は、争う理由が非常に少ないので、いじめ行動を起こさない。争いが起こっても、個体間の毛づくろいや性行為ですぐに仲直りしてしまう。

 一方、食料の少ない地域に住んでいるチンパンジーは、同じ集団の子供を大人が殺したり、いじめといった暴力的な行動がよく見られる。

 他のオスの子供を殺したり、集団内の下位オスを上位オスが虐げたりした方が、限られた資源の元では、上位オスが集団内で自分の遺伝子を残せる可能性が高まるからだ。

 資源が豊富なボノボでは、争うよりも協調的な行動が、資源が乏しいチンパンジーでは、攻撃的な行動が適応行動となる。こうして、それぞれの形質が子孫へと引き継がれていくのだ。

 以上の法則を教室の中に当てはめると、上位オス、つまりいじめっ子を排除すれば、いじめは起こらなくなる。

 実際に、サルの上位オスが火事で死に絶えた集団では、温厚な個体が残り、その後一切攻撃的な行動が見られなくなったという研究もあるくらいだ。

 あとはいじめっ子の家庭が豊かになるだけである。これで資源の問題もバッチリだ。はい解決!!!

 

 

 言うまでもなく、そんな簡単にこの法則を適応できるわけがない。

 いじめっ子をガス室送りにすることは不可能であり、ヤンキーの家庭が貧乏スパイラルから抜け出すことも容易ではない。

 何より、人間はただのサルではない。少なくともチンパンジーより複雑なサルである

 人間のいじめは攻め、受けの関係が頻繁にひっくり返るということが知られている。これはサルのいじめに見られない特徴だ。社会性が極端に発達した人間ならではの特性だろう。

 そもそも、チンパンジーのいじめ行動が遺伝に関するものだとしても、人間のいじめもそうだとは限らない。いじめっ子への社会的影響を加味する必要がある。

 いじめの問題は、教育学のみならず心理学、比較行動学、政治学など、様々な学問からのアプローチがなければ解決しないだろう。どうりで、現在もなおいじめが消滅していないわけだ。

 

 26世紀青年という、アメリカのB級映画がある。

 富裕層は数少ない子供を大切に育てるが、貧困層は子供を多く産む。その結果、26世紀にはアメリカはバカで溢れてしまった、という内容だ。

 まさしく馬鹿げた話だが、決して笑い飛ばしてはならない薄ら寒さを、この映画からは感じる。

 貧富の差と、それによって起こる問題というのは、現に私たちが直面している脅威だからだ。

 いじめも、貧富の差と大いに関係のある問題である。

 私立校の方が公立校よりいじめが少ないというのは、周知の事実である。

 子供の命を守るには、ブルーカラーのヤンキーたちにも協力してもらう他ない。

 だがそれも困難だろう。

 私を含め大人には、格差に対する優越感、自業自得だという信念が深く根付いているのだから。

 共産主義国家にでもなれば、少しはいじめもマシになるのかもしれない。いじめより多くのものを失うだろうが。

ポケモンは変態!

9/30 晴れ

 

 実験実習が始まったり、一週間が終わったり。

 レポートの完成度が前の学期はクソすぎたので、今学期は頑張りたい。LAに知り合いもいることだし。

 個人的には、友人の中国人留学生にレポートの成績が負けていたのが未だにショックだ。

 「手抜きをしていた」なんて言い訳はもう通じない。これは私の怠惰である。

 編入試験の受験勉強とレポート期間が被っているが、どちらにも全力を注ぎたい。

 これでどちらもダメだったなら、私もそこまでの人間だったというだけの話である。

 

 私はポケモンが好きだ。

 初めてポケモンに触れたのは6歳の時であり、ちょうどその頃はルビー・サファイアが発売されていた。

 幼い頃の私はポケモンにとてもハマっていた。

 ポケモンだいすきクラブというインタネットサイトにアカウントを持っていたほどである。

 レックウザが好きすぎて、「レックウ」というニックネームで活動していたのも今となっては懐かしい。

 

 時間の流れとともに、ポケモンに手を触れることは次第に少なくなっていったが、高校生の頃に再びハマってしまった。個人的第二次ポケモンブームである。

 2回目のポケモンブームは、ネット対戦の廃人という形をとった。

 ゲームの持ち込み禁止の高校であるにもかかわらず、登校中も授業中もずっと卵を孵化させていた。

 最近は、ポケモン熱が冷めつつある。

 現在の好きなポケモンは、サーナイトブラッキートリトドンウルガモスである。

 強くて可愛くてエロいからだ。ポケモンを性的な目で見ないでください!

 

 ゲーム中、ポケモンは「進化」して、姿が変わったり、名前も変わったり、能力値が上がったりする。

 私は幼い頃から、ずっとこの「進化」という言葉に疑問を持っていた。

 現実の生き物はじわじわと進化するのに、こんなに急激に変化するものを「進化」と呼んでいいのだろうか、と。現実の法則をゲーム内にも当てはめるという、夢をぶち壊す鬼畜の所業である。

 現実とゲームの区別がついていなかった私は、ずっとポケモンの「進化」を奇妙に感じていた。

 19歳になった今、改めて進化の定義について調べてみた。

 

  1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異)
  2. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)
  3. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択)

 

 どうやら、この3つの条件を全て満たせば「進化」と呼ぶことができるらしい。

 ポケモンの場合は、1はキルリアからサーナイトエルレイドに進化するし、イーブイの進化系を見るに、条件を満たすことができている。

 3も難しいが、ポケモンを生き物と仮定するなら、同様の種でも総合的に種族値の高い個体が生き残るはずであり、自然選択の影響は受けるだろう。それに、多少のパラメーターは育て屋さんで孵化させる際にも親から子に引き継がれる。

 問題は2である。

 ポケモンは卵を産むが、その子に親の形質は完全には受け継がれず、進化系の前の姿で生まれてくる。

 さらに、ポケモンの「進化」は同個体の成長によるものであって、形質の遺伝によるものではない。

 つまり、ポケモンの「進化」はただ姿を変えているだけで、子へと形質を遺伝させることを指し示してはいないのだ。

 ポケモンの「進化」により近いのは、昆虫などでよく見られる、蛹から成虫への変化が有名な、「変態」だろう。

 ポケモンは「変態」して、姿が変わり、強くなるのだ。

 ポケモンの「進化」は「変態」だったのだ。

 

 この間、ポケモンの新作であるウルトラサンを予約した。

 Z技だとか、メガ進化だとか、バトルのシステムは少し前の世代と見比べても、とても複雑化している。正直追いつけない。

 それでも私はポケモンが好きだし、「遊んでみたい」と素直に思える。

 まさか、図体がデカくになっても自分がゲームを、しかもポケモンをしているとは、小さい頃の私は想像もできなかっただろう。

 現在は、大人も子供もゲームを楽しむ時代である。

 まだまだ娯楽としてゲームは歴史的に新しいが、これからもゲームは人々を楽しませてくれるだろう。大きな喜びと少々の煽情を伴って。

2012年恐怖症

9/28 晴れ

 

 新学期が始まって一週間が経った。

 退屈していた夏休みとは違い、それなりに有意義に過ごせている。

 夏休みは本当に、自分以外人類の存在しないどこかの惑星のコロニーで知識を貪っている気分だった。

 新学期からは、いかにも「人間」している気がする。

 夏休みの間に、思考回路は相当こじれてしまったが、徐々に修正していきたい。

 

 私は幼いころ、2012年が怖かった。

 そのきっかけは、小学生の頃に「2012年に地球が滅亡するよ。そういうマヤ文明の予言があるよ」というテレビ番組を観たことだった。

 当時は、予言を心の底から信じるような純粋な少年だった私は、毎日布団の中で小さく震えながら日々を過ごした。

 2012年が怖すぎて、デジタル時計の20:12という時刻を見ることすら避けていた。数学の問題を解いていて2012なんていう答えが出ようものなら、そのたび頭が沸騰しそうになった。

 何が一体そんなに恐ろしかったのかというと、2012年に全てが滅亡するという理不尽、そしてその「よく分からなさ」が、私にとって、とても恐ろしかった。

 マヤ文明について調べてみても、暦が正確だったということ、建築技術が優れていたことしか分からなかった。それが余計に私の恐怖心を煽った。

 こんなにマヤ文明の技術が優れていたなら、予言は当たってしまうのではないか? 

 そんな疑念に、背筋が凍る思いをしたものだ。

 

 そうこうしているうちにも時間は経ち、2012年が訪れた。私が中学二年生の時のことである。

 2012年は私にとって、地獄だった。

 死刑宣告をされた囚人の気分で毎日を過ごした。学校ではできるだけ2012年のことを考えないように、ひたすら「とある」シリーズの学園都市に自分が迷い込む妄想をして時間を潰した。

 

 マヤ暦によると、12月22日に地球が滅びるらしい。この日をひたすら、ひたすら来ないように願ったものだが、無情にも12月が、続けて22日も来てしまった。

 

 その日、私はコタツに入ってテレビを観ていた。緊急事態にいち早く備えるためだ。

 テレビを死んだ目で眺めながら、ひたすら時が経つのを待つ。待った、ただ地球が滅びる時を。

 だが、現実はある一人の少年の盲信をたやすく打ち砕く程度には無常であった。

 ご存知の通り、何も起きなかったのだ。

 次の日、ミヤネ屋では宮根誠司が「いやー何も起きなかったですね」と笑顔を見せていた。

 私は唖然とした。

 テレビによって、数年間にわたるドッキリを仕掛けられたようなものだ。

 そこには視聴者も、ネタあかしの芸能人も、ギャランティーも存在しない。ひとりぼっちのドッキリ大作戦である。

 私の数年間ぶんの恐怖心に、無力感に意味はなかったのか。

 クリスマスを目前として、私の心中は安堵感と怒りが煮えたぎる闇鍋と化していた。

 番組はそのうちCMに移り、ケンタッキーの宣伝がリビングに虚しく響いた。

 

 私は転んでも、タダでは起きない男だ。

 全身擦過傷並みのダメージを受けながら数年間転がり尽くしたこの件でも、わずかながらの教訓を得て、静かに私は起き上がった。

 それは、「分からないことを分からないままにしておかない」ということである。

 確かに、分からないことは恐怖を生む。

 だから、人はこれまでこれらの神秘を解明するのに多大な尾金と時間を費やしてきた。

 私はとうの昔に滅びたマヤ文明より、現在の叡智を持つ人々を信頼した方が良かったのだ。

 思い返せば、その時代の学者は誰もこの予言に注目していなかった。

 こんな当たり前のことに気づくのに、貴重な少年の日々の大部分を費やしてしまった。大損である。

 今はそのツケを払うため、知識の収集に努めている最中である。

 2012年に対する恐怖のおかげで、私は知識を持つことの大切さを知り得た。そのおけげで、分からないことはすぐに調べるという癖が身についた。

 恐怖を感じるものに対しては積極的に知ろうと試みよう。マジで。

 

 今、2012年の予言は形を変えて、人々に、特に純粋な少年少女に恐怖を植え付けている。

 コンピュータが人間の知性を超えると言われている「シンギュラリティ」も、現代の予言と言っていいだろう。これも、よく分からないものだから恐ろしい、というタイプのものだ。

 だが、よくよく考えてみると、「知性」とは一体何なのだろうか。

 知性を計算能力とするなら、コンピュータはとっくに人間を超えているし、何かを製造するということについても、コンピュータが人間より優勢である。

 分からないことは、知るために調べなければならない。

 知ろうとするうちに、恐怖心はどこかへと去ってしまうだろう。こういった予言はたいてい、いい加減だからだ。

 私のように恐怖に震える子供が現れないように、正しい知識を小学生にも簡単に手に入るようにする。それが私のささやかな野望でもある。

 分からないことに翻弄される人々に勇気を与えたい。それが私の2012年に対する、雀の涙ほどの仕返しだ。

現 実 逃 避 

9/23 曇り

 

 夏休みが終わってまたすぐ休日。編入試験まで時間が少ないことに気づき、忙しく問題集を解く日々。

 英語の勉強方もわからない。心理学の勉強方法もわからない。小論文はもちろん、面接への対策も目処がついていない。

 これはダメだ。ダメなパターンだ。

 本を読みすぎたあまり、自分の無知を知りすぎて、どこからが知っていることで、どこからが知らないことなのか、境界線が非常に曖昧になっている。

 やばい。

 

 こういう時に限って宇宙や時間、空間といったスケールのデカイことを考えて、一人で勝手にビビっている。

 私は焦ると、スケールのデカイことを考えがちである。

 規模のデカさだけで俺をビビらせるな殺すぞ(理不尽)

 宇宙は私を試験には受からせてくれないのである。試験に受かるせることができるのは、私自身の勉学のみである。とほほ、なんと頼りないことか。

 

 こういう時は現実逃避したくなる。

 自分が永遠に受験生で一生を終えそうな錯覚を覚え始めたので、このままでは精神状態がおかしくなってしまう。

 むしろ一周回って真人間に戻ってしまいそうだ。そ、それだけはイヤだ! 

 

 現実逃避その1、昼寝。

 ノイズキャンセリング付きのウォークマンに、耳元でひたすら擬音語をロリボイスで囁かれるmp3ファイルをぶち込んだ。

 もはや私の快眠を妨げるものはいない。

 いざ動画を再生する。オォウ、なんという幸福感。

 体がなんだかふわふわしてきたぞ。さわさわ、ぺちゃぺちゃ、ころころ、かたかた、さわさわ、……グゥ。

 

 

 

 とはならなかった。

 聞いているうちになんだかロビンソンが変になってきた。

 ロビンソンがヤバい。

 私が音フェチなのがいけなかったのか。全身のふわふわ感が、ロビンソンに凝縮されていく感覚がする。

 私は音声を止めた。ロビンソンは落胆した。

 そうだ、これでいい。これで……。

 

 現実逃避その2、ゲームをする。

 持ち合わせのゲームがなぜかポケモンとマインクラフトしかなかった(他のゲームは金欠の際に全て売り払ってしまった)ので、私はマインクラフトを選んだ。

 ポケモンをするとさらにストレスがかかりそうだ。レート対戦に潜っても、私が休止していた間に切磋琢磨してきた廃人たちに滅多打ちにされる未来しか見えない。かといって通常プレイをしても、なんだか刺激が足りない気がする。

 マインクラフトの個人プレイには飽きたので、久々にマルチプレイをしてみることにした。

 適当にサーバーを入力し、潜入する。

 人間は挨拶が大切である。「hi」と、久しぶりにまともな挨拶をネット空間に投げかけた。最近は某ペンギン動画の影響で変な挨拶しかしていなかった。

 会心の挨拶である。だが、誰からの反応もなかった。

 プレイヤーは20人を超えていたのに。新参者だからだろうか? 

 私はすっかり拗ねてしまって、勝手に鉱物を掘り始めた。

 私は掘ることが好きである。掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り掘り。

 

 マグマに突っ込んでダイヤ14個を失った。

 私の二時間が消え失せた。

 私はサーバーから退出した。

 

 アーーーーーーーーくそが。

 

 そして、日記を書いている今に至るわけである。

 

 現実逃避には失敗した。

 ロビンソンとマグマは無情な現実の写し鏡のように、私の現実逃避を真っ向から妨害した。

 現実とのガバディに敗北し、生命力をすっかり吸い取られた私は、普段通り文字の大海へと逃げ込んだわけだ。

 

 外は暗くなりつつある。

 1日を無駄にした、そんな無念感にすっかり心は覆い尽くされた。

 気晴らしに、スタバでほうじ茶フラペチーノを頼んだ。

 完全にキャラメルの味しかしなかった。私が味覚音痴だからだろうか。

 こうなると何故ほうじ茶フラペチーノを頼んだのか分からなくなってきた。

 もうこれ、キャラメルフラペチーノでも良かったのでは? 

 自由意志は私には存在しているのか?

 宇宙とは……? 

 

 宇宙はほうじ茶フラペチーノをちゃんとほうじ茶の味にはしてくれない。

 私のチンケな悩みの前では宇宙もアインシュタインもほうじ茶フラペチーノも、役に立たないのである。

 ほうじ茶フラペチーノはいつの間にか溶け、黒っぽい粒がカップの底に溜まっている。

 ほうじ茶フラペチーノの残りをストローで一気に吸い込む。ようやく、ほうじ茶の風味を少し感じた。

激動っぽい時代

9/21 晴れ

 

 久々に、ツイッターで知り合った人と話をした。

 話したことは多かったが、自分の頭の中で知識の体系化が未だに進んでいないことに気が付いた。まだまだ勉強不足である。

 この世の勉強するべき物事が多すぎる。不老不死でもまだ時間が足りないくらいだ。

 それほど、人間は複雑な生き物だということである。だからこそ挑みがいがある。

 

 最近ハードボイルドなことをするのにハマっている。

 タバコも吸えないのに喫煙可のオシャレ喫茶店へ行ったり、ビリヤードをしたり、夕日を眺めながら黄昏たりするのがマイブームだ。

 ただ、私にダンディズムが足りないので、端から見ればただの寂しい人である。

 私の心中は満ち足りている。俺が満足なら他人の目なんかどうでもいいんだよぉ!

 

 夕日を眺めながら考えた。今流行っているソシャゲも、いつかはビリヤードなどと同じハードボイルドなものへと変わってしまうのだろうか? 

 何となく、ダンディなおじさんがラブライブをしている様を思い浮かべた。あまりにも絵にならなさすぎる。

 でも、大昔の大学生がハマっていた娯楽が、現在ではオシャレなものと受け止められているのだし、可能性は無きにしも非ずである。

 回る回るよ時代は回る。CDやブルーレイディスクも、今のレコードと同じ扱いになってしまうのかもしれない。

 

 現在は「激動の時代」だとよく言われる。

 その言説の根拠は、インターネットの誕生だったり、グローバリズムだったりする。

 社会にも、「何となく『激動の時代だ』と言っときゃいいや」みたいな風潮が漂っている。

 しかし、過去を見てみると、今よりも「激動の時代」など腐る程あることがわかる。

 世界大戦はもちろん、戦後だって学生運動カルト教団、学校内や街の路地裏で暴力の嵐が吹き荒れる、文字どおり「世紀末」の世界が続いていた。

 それに比べると、災害は仕方ないにしても、2010年代は比較的平和な時期だと思う。

 学生は二次元コンテンツに入り浸り、路地裏は換気扇が所狭しと詰められ、MDやフロッピーディスクは過去の産物と化した。

 Lineがメールに代わり、SNSで誰もが常時繋がることができ、女子高校生は画面上でコアラになったり犬になったりする。

 戦争時には技術が、平和な時期には文化が発達するというが、最近はどちらも融合したような進歩の仕方をしているように見える。

 ともかく、人は荒れ狂う最新技術の波を上手く乗りこなしてきた。

 そのおかげで、それほど激動に揺さぶられることなく、それなりに平穏に生活している。

 現在を本当に「激動の時代」だと感知しているのは、一部の知識人のみだろう。

 何より、自分たちの生み出した技術のせいで、自身が震えているのだから、なかなかに滑稽なものだ。武者震いか何かかな?

 

 誰もが、自分たちの生きている時代を「激動の時代」と思いたがる。

 これは至極当たり前のことで、これだけ世界に人が溢れているのだから、何か事件やイベントの起きない日の方が少ないに決まっているのだ。

 だが、そのおかげで私たちは退屈せずに済んでいる。

 同じ日を繰り返したり、何も事件の起こらない日々が続いたりすれば、たちまち私たちは退屈になってしまうだろう。

 それに、誰もが「この時代は平穏だ……」と言い出す時代の方が気持ち悪い気がする。

 退屈せずに済むこの時代に、感謝=感謝である。

私の体罰体験記

 これは私がまだ高校二年生だった頃の話である。

 

 当時、私はヨット部で活動をしていた。

 高校一年生の頃に入部して以来、運動嫌いの私としては珍しく、それなりに上手く活動をこなせていた。

 二年生の始め、新しく高校に赴任してきた教師が、ヨット部の顧問として新しく加盟することになった。

 それがYである。

 YはS大学出身で、大学生の頃はヨットをやっていたらしい。

 彼は私たちと共に筋トレや走り込みをするなど、真面目な教師であった。

 最初は、部員の皆でYのことを歓迎していた。

 

 なぜかヨットに乗り込むと、人格が豹変する人が時々いる。それが何故だかはわからない。

 Yもこのタイプの人間だった。

 普段は真面目で柔和な性格だが、ヨットを操舵するときは気性が荒くなるのだ。

 

 ある日、同じヨット部員であるUが、Yに船上で暴力を振るわれたという話をふと漏らした。どうやら、ミスをした際にそれなりの力で頭を叩かれたらしい。

 私たち二年生はまだ操舵の練習中だったので、些細なミスをすることは多々あった。

 それゆえ、幼少期からのヨット経験者や顧問と二人乗りになって、彼らから教授を受けるというのが、私の所属していた部活での慣習だった。

 これまで、先輩や顧問に自分たちの誰かが暴力を振るわれたという話は聞いたことがなかった。

 

 そのうち、私にもYと共にヨットに乗って練習する日がやってきた。

 初めは順調だったが、徐々に私の動きに粗が見えると、彼は明らかに機嫌を損ねたような態度をした。

 しばらくして、船の方角を変えるターンを行った時、私とYのタイミングがズレてしまった。

 その瞬間、突如として彼は激昂し、私の胸グラを掴んで船の支柱へと体を叩きつけた。

 Yは何か叫んでいたが、それとは対照的に、私は心の底から冷めきっていた。

 

 私はそのうち、ヨット部を辞めた。

 建前上は「勉学のため」の行動であったが、実際はYによる体罰が部内に横行し始めていたことが原因だった。

 いつしか、Yは部内で陰口を叩かれるようになっていた。

 私は何も言わなかった。ただ、静かに部活を去った。

 

 教育者による暴力的な行為は生徒を破壊する。

 この出来事は、私の記憶にべったりとこびり付いている。楽しい出来事の方が当時は多かったはずだが、ヨット部のことを思い出す時、必ずこの出来事が始めに思い浮かぶ

 体罰に関わる記憶を、半永久的に悲劇的なものにするということが、体罰の恐ろしいところだ。

 彼は良かれと思ってこのような行為に至ったのだろうか。もはや、Yの意図など関係なく、私が部活を辞めたという事実が残るのみである。

 

 もしも、私が体罰に耐え部活を続けていれば、インターハイに出場できたということもあったかもしれない。そして、Yに後々感謝するということもあったかもしれない。

 だが、少なくとも現在の私は、その「もしも」を絶対に認めない。

 「愚かだ」と断言する。

 体罰による教育で誰かが成功したとしても、それは本人の資質のおかげであり、体罰のおかげではない。

 そうなのにも関わらず、体罰を行なった教育者は必ず体罰を肯定するだろう。これこそが成功への方程式だと。

 この善意の暴力こそが、私の最も恐れるものだ。

 

 現在、私がかつていたヨット部はインターハイで準優勝をするなど、輝かしい成績を収めている。

 それは、決してYのおかげではなく、アジア大会で優勝したという経歴を持つ才気溢れる生徒が入部してきたからだ。

 彼の八面六臂の活躍で、ヨット部の成績は保たれている。

 だが、Yは慢心するだろう。

 才能ある彼が卒業し、高校からの初心者で構成されたヨット部に再び戻った時が、その時の部員にとって最も危険な時期になるだろう。

 

 私を含む部員3人が、Yが顧問になってから部活から去ったという事実は、時間がどれほど経ったとしても、決して消えない。

 もはや、Yの動向を知るすべはない。大事件が起きないように祈るばかりだ。