10/6 雨
久しぶりに雨が降ったような気がする。
一週間は長いようで短く、すぐに実習の授業がまた来てしまった。
今ではあまり顔の見せていないサークルの先輩がTAとして配属されているので、最初はなかなか気まずかった。
今は普通に話せている。私の発話の内容が普通かどうかはわからない。
相手にどう思われているかはともかく、今尚話してくれるというのはありがたいことだと思う。
集団の中で生活するのが苦手な私には、ノンサー生活もなかなか捨てたものではない。
個人が自由な人間関係の中で生活できるというのは、大学という場の利点だと感じた。
私は日本語が苦手だ。
普段、文章を他の人よりは書きまくっている私だが、それでも全く日本語が上達した実感が抱けない。
私の日本語の拙さはこういうブログよりも、日常生活の場で露呈してしまう。
例えば、人に「頑張れ」という内容のラインを送る時、何か文言を和らげるための語尾を付けようとしてしまった。
ストレートに人を応援するのが私は苦手だ。なんだか、真面目な応援はその人の努力に対して無責任な感じがするからだ。
ここは素直に顔文字や記号でも付けておけば良かったのだが、その時私は関西弁で語尾を和らげようとしてしまった。
気づいた頃には「頑張れや」と送信してしまっていた。
後から見ると、ガラが悪く、上から目線のとんでもないメッセージである。関西弁を付ける場所を大いに間違えてしまった。
私はその日の自分の失敗を、何度も反芻してしまう人間なので、脳内で何度もこの失敗がループしたものだ。送った相手がなんとも思っていなければいいが。
日本語のニュアンスの他にも、単語の読み方をよく間違える。
高三まで「字幕」を「じぼ」と読んでいたし、「好々爺」は「すきすきじじい」と読んでいた。
最近にも「紀伊國屋」を「きいくにや」と読んでしまって、それを友人に指摘された。
英語やドイツ語はもちろん、日本語さえまともに読めない。
自分の間違えを、逐一誰かが訂正してくれるのはありがたい。
そのままずっとバカを晒すより、その場で正しい読み方を教わった方がよっぽど効率的だ。
私は小学生の頃から分からない漢字は辞書を引くことなく、なんとなくでその読み方を想像して黙読していた。
おかげで読書は嫌いにならずに済んだが、その弊害が大学生となった現在に現れている。その時その時で、細かく正しい読み方を学んでいくしかない。
英語の早期教育が唱えられる現在、日本語さえも使いこなせない人は結構な人数いると思う。
私だって、日記を習慣づけていなかったら、マトモに自分の意見や考えを文章化することすら困難だったかもしれない。
日本語はスポーツと同じで、日々鍛えることでその技量を増すことができる。
文章力に不安のある人は、是非とも日記を始めることをオススメする。
というか、私が人の日記を読みたいだけである。
恥ずかしいラインを送ることも、変な音読をすることもない、素晴らしい日本語ライフを送りたいものだ。