きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

スキゾフレニアの街

8/1 晴れ

 

 東京の夜景をホテルのラウンジから眺めながら、この記事を書いている。

 

 朝早く起きて東京に赴き、東京大学ベイズ統計モデリングの集中講義に参加した。

 明日、明後日と講義は続いて、それが終わる明後日の夜には、新幹線で大阪に戻る。

 その次の日には、再び塾講のバイトである。

 

 塾講のバイトは心が削がれるように感じるほどにしんどいものがあるが、ベイズ統計の授業はいくら受けても疲れない。

 やはり、やる気の差だろうか。

 

 集中講義では、大学院への進学を志望しているものが受講者のほとんどを占めていた。

 周囲のモチベーションが高いと、私もなんだか滾ってくる。

 

 塾講をしている時は、魂がすり減り、欠け落ちる音が耳元で聞こえるようだ。

 大学受験だったり高校受験だったりの勉強は、教える側からしてみても面白みのないように感じる。

 私自身、勉強嫌いだったことも関係しているかもしれない。

 

 私は塾講に向いていないのでは? と率直に感じる。

 

 

 講義がいったん終了してからは、気分転換に森美術館に行ってきた。

 森タワーという高層ビルの最上階に、森美術館は位置している。

 

 私のお目当ては「建築の日本展」だったが、ジャンプ50周年の記念展も同時開催されていたので、人はすこぶる多かった。

 

 長い列を並び終えて、いざ中へ。

 

 これから見に行く人の楽しみを奪ってしまうかもしれないので詳しくは述べないが、素晴らしい展示だった。

 

 「木組み」といった、木造建築に関する技術の栄枯盛衰が模型を以って解説されていたり、その他にも、日本の建築の特徴や、近現代の建築家の代表作が分かりやすく図解されていた。

 

 東大寺南大門の木組みの精緻さや、渋谷の空中都市計画の設計図を見ていると、日本建築のセントラルドグマに迫っていくような気分が味わえた。

 建築に込められている膨大な人文知に、思わず涙しそうになった。

 

 最近、よくわからないタイミングで涙が出そうになる。

 疲れているのだろうか。

 

 

 展示を見終えて、素晴らしい建築物の構造に囲まれた時間を噛み締めていたところ、私の胸中にある疑問が浮かび上がった。

 

 展示で紹介されていた日本の建築はどれも独創的で素晴らしかったが、いざ街に出てみると、そこにあるのは統一感のないビル群であった。

 

 真に、この国でまかり通っている建築というのは、周囲との調和のかけらもないアパート、マンションであり、一軒家である。

 

 夢心地だった私の気分は、このごちゃごちゃした六本木の街によって、一気に現実に引き戻されてしまった。

 

 眼前にはグロテスクなまでに、どこまでも建築の日本が立ち並んでいた。

 

 電線が醜く張り巡らされ、突拍子もない色のビルが交差点の向かい側に突然現れるのを見ていると、まるで街全体が分裂症にでもなってしまったかのような印象を受けた。

 

 

 日本の集団主義という文化の側面は、西洋の個人主義に対比されることが多い。

 

 だが、西洋の街を見てみると、統一感を持った場所が多いことが分かる。

 ニューヨークであれ、パリであれ、バルセロナでも、建物の色味や高さが一致していることが一目瞭然である。

 

 一方、日本の街はビルの高さも日照権の影響か統一感がなく、色、材質まで様々である。

 

 個人主義の土地では、それこそ建物が個性を主張し統一感のない街になるはずであり、反対に集団主義の土地では、どの建物も同様の構造になり、街は調和が保たれるはずである。

 

 しかし、実際はそうではない。

 日本という集団主義の国では、矛盾しているようだが、街に統一感がない。

 それは、東京はもちろん、世界遺産の街である京都でもそうだろう。

 

 

 個人主義ほど、個々が自立した主体であるという前提からして、他者との調和を重んじ、集団主義ほど、個々の主体が曖昧であるから、調和性が低くなってしまうのでは」、ということを考えた。

 

 だが、これは私の拙い見分から生じた認識であり、根拠に乏しい。

 それでも、興味深いテーマだとは思う。

 

 江戸や明治までは、日本の街並みが統一性を保っていたという事実も吟味してみると面白いかもしれない。

 

 ともかく、今はベイズ統計学を勉強しなければならないので、このテーマは放置する。

 誰かが既に考えていたり、これから考えてくれるならば嬉しい。

 

 

 展示の中に、200メートルを超える木造のビルの計画図があった。

 技術の発達により、木造での高層ビルの建設が可能になったらしい。

 

 それを見て、私は去年、ブリューゲルの「バベルの塔」に初めて出会った時のことが想起された。

 どこまでも細かく描かれた「バベルの塔」と、綿密に組まれた木造ビルの模型が重なって見えたのかもしれない。

 

 ビルはますます高くなり、言語は翻訳ソフトによって統一され、まるで世界全体が神代へと逆流しているような印象を受ける。

 まさに、皆が同一の言語を話し、天上の世界へ挑む時代へと、今後は突入していくのだろうか。

 

 それでも、きっとこの街はバラバラなままなのだろうと思う。

 

 これからも、調和と分裂という、背反する力の渦の中に、私たちは生き続けるのだろう。

 

 

童貞が性病になった話 後編

7/27 晴れ

 

 「うーん、これは性病ですね」

 

 放課後の時間となると、空いている病院が少なく、私は小さな診療所で自らの息子を見てもらう羽目になった。

 

 時間帯のせいか、病院内は自分以外の患者が見当たらず、がら空きだった。

 

 還暦を超えているような老人の医師と、ガハガハ笑う看護師さんがいる診療所だった。

 「えっちな看護婦さんはどこ……?」と見渡したが、そんなものはない。

 

 泌尿器科はえっちな看護婦さんが標準装備されていると、当時の私は思っていた。

 単純にエロ動画の見すぎである。

 私はエロ動画の最初のシーンを飛ばさずにしっかり見る、純粋で律義な少年だったのだ。

 

 医師といえども、初対面の老人に自分の息子をじっくり眺められるのは、尋常じゃなく恥ずかしかった。

 老医師の私の息子を見る目はぎらぎらしていて、とても落ち着けなかった。

 一通り診察が終わると、息子への塗り薬を渡された。

 

 病名は「性器カンジダ症」だった。

 

 カンジダとは、性器付近に常在しているカンジダ菌が増殖し、おりものや痒み等の不快な症状をおこす病気のことである。

 

 カンジダ菌自体は健康な人でも皮膚、口の中、消化管、性器などにに存在する常在菌である。

 それが風邪や疲労、ストレス等、日常生活においての免疫力の低下、またホルモンの変化によって、カンジダ菌が増殖して発症する、らしい。

 

 また、女性の約20%が経験する女性特有の病気でもあるという。

 ほとんどのケースが女性で見られ、男性の患者はほとんど見られないらしい。

 

 そんなレアケースにはなりたくなかったと、私は内心毒づいた。

 

 実は、私は仮性包茎である。

 

 日本人男性の過半数が仮性包茎なので、これ自体は別に恥ずかしい話でもない。

 だが、この蒸れやすい環境がいくつかの不幸な要因と重なって、この激レアな発症に至ったのだろう。

 

 

 医師にお礼を言って、私は扉に手をかけた。

 その時だった。

 

 「あ、自慰行為は一か月以上しないでね」

 

 と、老医師にさりげなく、重大なことを言われた。

 

 え、きつくね?

 

 

 当時、高校生男子のほとんどがそうであるように、私もまた性欲絶対旺盛であった。

 

 性欲のはけ口の無さに数日間苦しんだが、三日も経つと流石に性欲は収まってきた。

 この数日間は、あまりにも見苦しいので詳細は省く。

 

 その後も、「なるほど、猛獣を飼いならすとはこういうことか(?)」と考えつつ、時々右手が怪しい挙動になりつつも、それをこらえてオナ禁に勤しんだ。

 

 息子への塗り薬はどうやら痒み止めの作用もあるらしく、痒みに耐えて中腰になりながら登校する、なんて事態は避けることができた。

 

 毎日欠かさず朝晩に息子に薬を塗るという行為は、それなりに苦痛だったが、これも数日たつと慣れてきた。

 

 明らかに、様々な大事な感覚が麻痺していた。

 

 

 さらに、本当に馬鹿だと思うのだが、私は性病になったことを、周囲に喧伝していた。

 

 男子校という世間から隔離された特異点の影響か、性病による疲れからか、私は自分の性病をネタにし始めていた。

 

 周囲からバカにされるのも当然で、さらに保健体育の授業で同時期に性病のことを扱っていたのがそれに拍車をかけた。

 

 かくいう私は、自身が性病だと喧伝していることを棚に上げて、尖圭コンジローマや梅毒、エイズといった重い性病ではなくてよかった、と心底安堵していた。

 

 これらの性病は下手すれば死に至ることもある重大なものであり、常在菌が元で起こるカンジダは、比較的マシな方の性病であった。

 

 エイズなどは、もともと人間固有の病気ではない。ゴリラやチンパンジーといった類人猿由来の病気だった気がする。

 とすると、誰が最初にゴリラと性交渉したのか、という話になってくる。

 

 エイズは男性同士の性交渉での感染が多いことから、ゴリラと人間のホモセックスによりエイズが人間に感染した、ということもあるかもしれない。

 

 なかなかに闇が深そうだ。

 少なくとも、カンジダよりは。

 

 

 性欲を飼いならし、入浴への渇望を堪え続けて二か月が経った。

 こうして、ようやく私のカンジダは完治した。

 

 どうでもいいが、「カンジダ」と「完治した」は韻が踏める。

 

 ともかく、もう性器の痒みに苦しむこともなくなった。

 息子が二度とチーズを生産することもなくなったわけだ。

 

 

 完治してからというものの、オナ禁のし過ぎで暫く勃起不全のような状態に陥った。

 

 はっきり言って、性欲がどのようなものだったのか、思い出せなくなった。

 

 エロ動画を見る私の顔はどこまでも真顔であり、「ふーん、えっちじゃん」という感想しか抱けなくなっていた。

 

 話が逸れるが、エロ動画を見るときの皆の表情はどのようなもので固定されているのだろうか。

 私は薄目でエロ動画を見るのが、デフォルトである。

 

 閑話休題

 

 てんやわんや日々を過ごしているうちに、疑似EDもいつしか治って、普段の性欲猿な男子高校生の日常へと、私もまた帰っていった。

 

 鳥は空へ、死体は土へ、性欲は男子校へ。

 恥や世間体を犠牲に、平穏な日常を私は取り戻した。

 

 

 尻切れトンボのようだが、童貞で性病になった私の話はここまでである。

 

 いかがだっただろうか。

 少々どころか、かなり気持ち悪い話が含まれていたかもしれない。

 

 

 私が性病になったことで、得た教訓というものは残念ながら一つもない。

 

 せいぜい、童貞だからと言って油断していると性病になるぞ、ということしか言えない。

 本当に、何の役にも立たない経験である。

 

 この出来事は、性病になったということ自体と、その当時の私の振る舞いがセットとなって、私的黒歴史ランキングの第三位の座にドス黒く輝いている。

 このような記事を書いてしまった、ということも、この黒歴史に組み込まれるだろう。

 

 でも、そんな人生もアリだな、と今では思える。

 童貞が性病になってもいいじゃないか、と。

 

 童貞が性病にならない世界と、童貞が不幸にも性病になる世界なら、後者の方が愉快だと、私は思う。

 

 

 ここは、童貞でさえも偶然に性病になる世界である。

 

 次に性病になる童貞は、あなたかもしれない。

 

 

童貞が性病になった話 前編

7/25 晴れ

 

 パソコンで多変量解析の授業を受けたり、VRchatでお絵描きをしたり、ゆっくりした一日を過ごした。

 今日は天神祭りだったらしいが、一緒に行く相手もいないので、家に引きこもって好きなことをした。

 

 このような生活をしているので、長期休暇がやってくるたびに、新学期の最初はコミュニケーションに支障をきたすようになっている。

 

 この夏は、コミュ力が落ちないようにしたい。

 無理そうだが。

 

 

 私は童貞なのに、性病になったことがある。

 

 今は完治しているが、恥辱と痒みと焦燥感に追いつめられる二か月間を、私は過ごした。

 その日々を、ここに書き綴っておきたい。

 

 

 高校時代、私はヨット部だった。

 

 ヨット部というのは大抵、「え、ボート部?」と一週間に一回間違われるくらいに、マイナーな部活である。

 逆に、ボート部は「え、ヨット部?」と間違われている。

 どちらも、なかなかに可哀そうだとは思う。

 

 実際は、ヨットとボートは全く別のスポーツである。

 

 ヨットは風を船の帆に取り込んだり、揚力を使ってレースを行うスポーツである。

 一方のボートは、オールをもって漕ぎ、ゴールまでの速さを競うスポーツである。

 

 ヨットのほうが運要素が大きく、ボートのほうが筋肉要素が大きい、と覚えていただければ良い。

 

 私はヨット部だったので、あまり波の立たない川のほうで競技を行うボートと違い、沖の方へ出ることが多かった。

 

 

 練習場所は主に、工業地帯である西宮や芦屋の方であった。

 

 工業地帯の海というのは、総じて汚い。

 

 昭和の時期に比べて法の整備が進んだとはいえ、工場の数があまりに多いし、生活排水も垂れ流しになっているので、このあたりの海は日常的に淀んでいる。

 

 今でも、土気色をした海が曇り空を映して銀色にぎらぎらと光っているさまを、ありありと思い浮かべることができる。

 「これが海洋汚染か」と、小学生のころの教科書の知識と、よく照らし合わせをしたものだ。

 

 巨大なミズクラゲが悠々と水面に浮かび、ボラが畜生道から逃れようと船に飛び込んでくる海は、高級住宅の街並みと相まって、いかにもディストピア的であった。

 

 

 高校2年生の5月、お金持ちの食べ残しが含まれた栄養豊富な排水が、ヨットの練習場に流れ込み、プランクトンがそれを良しとして大繁殖した。

 その後気温は急上昇、大量のプランクトンが息絶え、赤潮の海が生まれた。

 これが全ての始まりである。

 

 日本のブラックな部活が猛暑でも練習を行うのと同じように、赤潮でもヨットの練習はある。

 腐敗臭を放つ不吉な色をした海と、何故だか白目を剥いているボラが浮かんでいるさまを睨みつけながら、私たちはヨットの練習を行った。

 

 これだけなら、まだ大丈夫だったのかもしれない。

 

 赤潮の海に浸かるだけでも、インド人もびっくりの不潔さだとは思う。

 それでも、かつて泥んこ少年だった私は、強靭な免疫を武器にそれにも耐えることができたはずだ。

 

 だが不幸にも、深爪治療のために私はその時期に抗生物質を服用していた。

 これは膿んだ深爪の菌を弱らせるもので、その代償として、全身の常在菌も弱らせるものだった。

 

 赤潮の海と抗生物質、この二要因により、私は地獄を経験することとなる。

 

 

 破滅的に不潔であった部活から5日後、股間が無性に痒くなった。

 

 はじめ、私は「股間が蒸れているのかな?」と思った。

 「夏は股間が痒くなる」は国民的なフレーズであり、もちろん私もそれを承知であった。

 

 5月といえども、25度あたりの気温だったので、別に股間が痒くなってもおかしい気温ではない。

 特に気にすることもなく、時折股間を掻きながら私は帰宅した。

 

 風呂で息子の皮を剥いてみると、普段より恥垢が多い気がする。

 「抜きすぎたか?」と、阿呆な私はそのようなことを考えながら、普段より丁寧丁寧丁寧に息子を洗った。

 

 

 次の日、異常に股間が痒くなった。

 

 朝起きた瞬間から股間が痒い、とても前日の比ではなかった。

 

 このレベルで「夏は股間が痒くなる」なら、電車内は大混乱に陥るであろう。

 そう思わせるほどに、股間が痒かった。

 

 平日ではなく土曜日だったのが、不幸中の幸いであった。

 

 何時間にもわたって、体を「く」の字にして股間を掻き続ける私を不憫に思ったのか、それともきしょいと思ったのか、親は私に医師の診察を進めた。

 

 高校生にして一人で泌尿器科に行けというのか!

 息子を掻きながら、私の自尊心はひっそりと傷ついた。

 

 それでも、このまま放置してはまずい、というのは何となく気づいていたので、月曜日の放課後に医者に訪ねることを心に決めた。

 

 そのまま、土曜日の夜も、日曜日の日中も股間は痒いままだった。

 

 全ての動作が痒い、何かを考えることすら痒かった。

 

 

 日曜日の夜、股間を洗うと痒みが引くことを昨日の夜に知ったので、早めに風呂に入った。

 

 もちろん、昨日は湯船に浸かることはなかった。

 明らかに「ヤバい」からだ。

 風呂に駆け込んで、さっそく息子の皮を剥いた。

 

 その瞬間、なにか白いものが息子から飛び出した。

 

 一瞬、「ミルクか」と思ったが、飛び出したものをよく見ると、ほのかに黄色い。

 

 膿だ、と思った。

 

 私の親指の深爪から、染み出してくるそれと、非常に似ていたからだ。

 

 肝心の息子も、チーズのようなものでデコレーションされていた。

 なんてこった、息子がチーズ工場になっちまった。

 

 私はうなだれた。

 

 しかし、性病の本当の地獄は、ここから始まるのだった。

 

 次回に続く。

 

 

Aさんは大丈夫

7/24 晴れ

 

 猛暑、猛暑、猛暑。

 ひたすらに暑い。

 「やずや」のCMですら二回なのに、暑すぎて三回も言ってしまった。

 

 とても人間が活動できる温度ではない。

 明日も引きこもって趣味などに没頭しよう。

 

 VR空間で体を動かせるようになったり、外国人と国際交流したり、進捗のあるような進捗のないような毎日が続いている。

 大学三年生の夏、平成最後の夏、これでいいのか。

 

 

 最近、ずっと継続して明晰夢を見るためのトレーニングを続けている。

 が、普通の夢しか見ない。

 

 夢を見る頻度は、確かに増えた気がする。

 成長が見込めるだけ、これらの修業は無駄ではなかったということだろう。

 そうやって自分を慰めながら、夏休みの日々を過ごしている。

 

 具体的には、右手を時折眺めては「これは現実だ」と心の中で唱えたり、といったことをしている。

 これにより、夢の中でも自我を保つことができるようになるらしい。

 とくといった根拠は無さそうであるが、やらないよりはマシだと思って、こういったことをしている。

 

 改めて文字に起こすと、私のしていることはなかなかに気が触れている。

 気が触れているのは、明晰夢に限った話ではなさそうだが。

 

 

 そんなことをしているうちに、小中学校で何回か一緒のクラスになったことのあるAさん、という女子が夢に出た。

 

 Aさんは正直に言って不登校気質であり、学校に来ることが少なかった。

 確か、出席日数も半分程度だった気がする。

 

 いじめを受けている、といった様子は見られなかったが、あまり学校に来ない、おとなしめの性格をした女子であった。

 彼女がなぜ不登校気質だったのかは、今でも分からない。

 

 成人式にもAさんはいなかった。

 来ていたとしても、私と彼女はそれほど話したことがなかったので、会話はしなかっただろう。

 

 それでも、Aさんを今でも私が憶えているのは、好奇の眼差しを彼女に向けていたから、といった感じだろうか。

 それは、後述する出来事がきっかけだった。

 

 

 肝心の夢の内容は以下の通りである。

 

 気が付くと、私は廃墟のビルの中にいた。

 何とか脱出しようとするが、なかなか出口は見つからない。

 どうやら空間が乱れているらしく、階段を降りると階が幾つも上がり、階段を上ると一階下に降りている、ということがしょっちゅうあった。

 

 ビルの廊下には、半透明の人々が上半身を生気なく揺らしながら、佇んでいた。

 「幽霊だ」と直感的に思った私は、それらに近づかずビルの中を延々と彷徨い歩いた。

 

 そんなことを続けて、やがて疲れ果てた私は、壁にもたれかかった。

 ふと横を見ると、遠くに見覚えのある少女の姿が見えた。

 

 それは、紛れもなくAさんであった。

 姿かたちは中学生の頃と同じであり、彼女もまた半透明であった。

 

 私は自分一人が生者である孤独感からか、思わずAさんに話しかけた。

 彼女は、はじめ私を見た時は怪訝そうにしていたが、名前を出すとありがたいことに私を思い出してくれた。

 

 どうしてここにいるのか、なぜ体が透けているのかを尋ねると、彼女は意識をどこかに置いてきたような、呆けたような顔をしながら言った。

 

 「ここは忘れられた人が集まる場所。生死に関わらず、忘れられた人はここに辿り着く」と。

 

 失礼なことだが、見るからに顔色が悪いので、もしやもう既に亡くなってしまったのでは、と考えた私は、忌憚せずにそのことを聞いた。

 

 「生きている時に大丈夫な場合と大丈夫じゃない場合があるように、死んでいる時でも大丈夫な場合と、大丈夫じゃない場合がある。私はどちらかはともかく、大丈夫な方」と、Aさんは言った。

 

 大丈夫、ならいいか、と私はやけに素直に納得してしまった。

 

 彼女は廃ビルからの脱出経路を知っているというので一緒に出よう、と言うと「あと何人かに思い出してもらえないと、私はここから出ることができない」と悲しそうな顔で俯いた。

 

 私が彼女を思い出したことで、体に血色がこれでも少しは戻った方らしい。

 そういえば、彼女はもともと顔色が悪かったな、と無礼なことを私は考えた。

 

 彼女は「ここから4階上った後、踊り場で一回転、それから―――」と、ゲームの裏技のような、なんだかレジアイスに会えそうな脱出方法を教えてくれた。

 

 Aさんに礼を言い、ここから出られると良いね、と言葉を投げかけて、私はその場を去った。

 

 

 以上が夢の内容である。

 

 言わずもがな、彼女はかなり高い可能性で生きているだろうし、おそらく大丈夫な方の生活を送っていることだろう。

 むしろ、そうであってほしい。

 

 私の夢に登場した人たちは、彼女のみならず、高い確率でたいへん失礼な役柄に回されたり、夢の中の私にひどい目に合わされたりする。

 率直にごめんなさい。

 

 

 小学五年生の頃、校外学習があった。

 この校外学習には私はもちろん、Aさんも参加していた。

 

 校外学習の帰り道、だらだらと寄り道をしながら帰路についていた私の背後から、興奮した様子で担任の壮年の女教師と、Aさんがやってきた。

 

 彼女たちが私に言うには、「幽霊を見た」らしい

 

 彼女らは道に迷っており困っていたところ、美麗な少年がやってきて、出口まで案内してくれたという。

 少年にお礼を言おうと二人が少年のほうを見ると、いつしか彼は音もなく消えていた、らしい。

 

 こんな夏の暑い日の、さらに昼下がりのまだ明るい時間に、幽霊なんかでるものか。

 そもそも、どんな時間でも幽霊は出るはずがない。

 

 ねじ曲がった性格のガキだった私は、そのようなことを思いながら適当にその話を聞き流していた。

 

 それでも、Aさんのめったに見ない高揚した表情は、今でも鮮明に思い出すことができる。

 日頃のどこか儚げな表情との違いが、とても印象的であった。

 

 このことをきっかけに、私はAさんに興味を持つようになった。

 

 

 結局、そのまま会話をあまりしないまま、私とAさんは中学校を卒業してしまった。

 その後の彼女の動向は、全く知らないままである。

 

 このブログを読んでいる中学の同級生は少なく、しかもここに書いたのはイニシャルだけなので、皆が思い出すのは困難かもしれない。

 

 このままでは、夢の中の彼女は今でもビルに閉じ込められたままであろう。

 

 

 明晰夢を体得し、彼女と再び会ってみたい。

 退屈な夏休みにはちょうどいい刺激だ。

 

 今度は、私もビルから出ることができなくなるかもしれない。

 それもまた、一興である。

 

 なにより、夏の夜に少し不思議な話はよく似合う。

 

 

ブンブンハロー善意

7/16  晴れ

 

 地震、大雨ときて猛暑である。

 地元の枚方市は大阪で一番の暑さを記録した。

 ひたすらに暑い。

 

 かくいう私は、クーラーの効いた部屋で、一昨日家に届いたoculus riftを使ってVR三昧を満喫している。

 バーチャル世界の中で一時間ほど動くと、それだけで酔ってしまうので、少しずつ体を慣れさせている。

 

 名古屋までRの勉強会に赴いたり、これからテスト期間が始まったりと忙しいが、これを乗り越えれば殺人的に暇な夏休みがやってくる。

 

 バーチャル世界で外国人と話をするために、夏休みは英会話にも挑戦してみたい。

 なんやかんやで刺激的な夏休みが過ごせそうだ。

 

 

 大雨の被災地に対する募金で、HIKAKINが100万円を寄付しているのを見て、「偽善者」と言われている、という旨のツイートをよく見かける。

 実際に彼を糾弾している人は見たことがないので、多くはツイート主の妄想か、うわさ話に便乗しているだけなのかもしれない。

 

 それでも、彼が「偽善者」と呼ばれという話に対する人々の反応は凄まじいものがあって、過剰に神経質になっているようにも見える。

 これが正義感という、人間に潜んでいる狂気が為せる業か、と思う。

 

 

 純粋な善意というものが、私は怖い。

 

 これは、私が全く善行を行わない、という意味ではない。

 私は誰かに無償で勉強を教えることもあるし、募金をすることもあるし、落とし物を律義に警察などに届けたりする。

 

 しかし、それにも理由があって、大抵は退屈しのぎだったり、それらの善行を見た人の中で、私の評価が挙がってくれればいい、という暇潰しのおまけ程度の気持ちで、人に何かを施したりする。

 

 「純粋な善意から生じる向社会行動」を善行の定義とするのならば、私のこれらの行動は間違いなく偽善にすぎないだろう。

 

 

 では、HIKAKINの行動はどうだろうか。

 

 おそらく、彼への「偽善者」呼ばわりが本当にあったとするならば、彼の募金活動が売名行為と捉えられたことによるものだろう。

 この時、彼の行動は純粋な善意によるものではなくなり、善行ではなくなる。

 

 しかし、多くの人に、彼の行動は純粋な善行として見なされている。

 この差はいったい何なのだろうか。 

 

 私が思うに、これは個人の心中の、どの程度の行為を善とするかの物差しの違いによるものだろう。

 

 

 まず、間違いなく客観的で絶対的な善というものは存在しない。

 

 安っぽいアニメの敵キャラやらが言う通り、人間は地球にとっては病原菌かもしれないし、さらに言えば、個人の善行など宇宙からしてみれば塵以下でしかない。

 

 客観的で絶対的な善というものは一神教が幅を利かしていた時代ならば、認識上はありえたかもしれないが、それはまやかしであって実際には存在しないものだ。

 

 

 では、人間にとっての客観的な善はあり得るだろうか。

 

 これについては、現在でも多くの議論が存在する。

 有名どころでは、共同体にとって利益をもたらすことが善だとする、マイケル・サンデルらのコミュニタリアニズムといった考え方や、貧困といった苦悶する人々を富める人々が援助することは義務だとするピーター・シンガーらの応用倫理学といった考え方が代表的だろうか。

 

 HIKAKINの考え方はどちらの立場でも善行になる、ということになるだろう。

 

 だが、実際のところ、どこからどこまでを善とするか、といった物差しには個人の間で大きなばらつきがあり、一貫性に欠ける。

 

 HIKAKINが寄付しても何も言わなかった人が、禁断ボーイズだったりヒカルだったりが寄付を行うと目の色を変えて怨嗟の声をネットに響かせるかもしれない。

 もちろん、そこに一貫性はない。

 

 個人の特定の人物への印象によって、善の物差しは伸び縮みする。

 何を善とするのか、ということへの人の認識は、物差しというよりメジャーに例えたほうが適切なのかもしれない。

 

 

 とすると、安定した善は個人個人の認識上の存在でしかない、ということになる。

 

 誰もが好き勝手に何かについて善だ偽善だと評論する時代に突入しているのは確かで、善のカオス状態の中で私たちは生きているのかもしれない。

 

 HIKAKINに限らず、私たち自身の行動もまた、誰かにとっての善・偽善の査定を受けることになる。

 自分の利己性を積極的に主張してしまったので、このブログを書いた時点で、私の行動はすべて偽善になるだろう。

 

 それもまた面白そうだ。

 

 

 ここで、最初の「善意が怖い」という話に戻る。

 

 私が極端な利己主義者なだけかもしれないが、人に純粋な善意で施しをする人の気持ちが分からない。

 

 この恐怖は、単に「理解ができない」ということに起因する恐怖ではない。

 

 

 歴史を振り返れば、善意によって破滅の道を進んだ人間の数は膨大だということが直ぐにわかる。

 

 善意によって政治が行われ、善意によって相互の監視が始まり、善意によって全体主義が生まれ、善意によって多くの人が死んだ。

 

 甲南大学で行われているナチスの再現実験を例に出そう。

 

 この実験では、集団でリア充に対する不満を爆発させることによって、疑似的に全体主義を生み出している。

 学生の授業アンケートを見れば、サクラであるリア充のカップルをベンチから退散させたことについて、「すっきりした」という意見が多く見られたらしい。

 

 さらに、冷やかしに来た人たちへのコメントには「お前らが爆発しろ、と思った」といった意見もあった。

 まさしく、全体を乱すものに対する正義感であり、善意の暴走、といった感じがする。

 

 ドイツ人がそうだったように、日本人も善意という狂気を胸中に飼いならしている。

 これは全世界の人々全てに言えるだろうし、誰にだって言えることだろう。

 私だってそうかもしれない。

 

 しかし、誰もが狂気を持ち合わせている世界のほうが、私は退屈しないと思う。

 皆が打算的な世界など、ひたすらに疲れそうだ。

 

 

 善意という狂気が跋扈するこの世界で私たちができることは、この善意というほとんど自動的な心のメカニズムに、どう向き合うか考えることだろう。

 

 今回の大雨では、芸能人が誤って物資の届け先をTwitterで拡散したことにより、現地では行き場をなくした物資がコンビニの駐車場に積みあがったらしい。

 これも善意の暴走の一例である。

 

 人の善意を暴走させることは、経済を上向かせるよりも、オリンピックを成功させるよりも遥かに簡単である。

 どんな無能な政治家でも、善意の暴走だけはどのような形であれ引き起こすことができたことを忘れてはならない。

 

 そろそろ、善意の恐ろしさと向き合うべき時が来ている気がする。

 

 この記事が、誰かの退屈な夜を埋め合わせてくれることを祈る。

 

イルカの夢でこんにちは

7/5 大雨

 

 あいにくの大雨である。

 

 片道二時間の長時間通学が災害にめっぽう弱いことは先日の地震で学んだので、今日は学校を自主的に休んだ。

 学校自体も、一時間目は教師が来ず、二時間目以降は休校になってしまったので、結果オーライである。

 

 今日は家でゆっくりレポートを書くなどした。

 家にいると、実際はレポートにまみれて忙しいはずなのに、何だか退屈である。

 

 こういう時は、何処かをさまよい歩きたい気分になる。

 明日も雨なので、外出は土曜日まで待とう。

 

 

 最近、夢を見ない。

 寝つきがいいのか悪いのか、気がついたら朝になっている。

 

 夢を見ないと、日常にハリがなくなってしまう。

 夢で見た物語や出来事を回想しながら、朝の支度をするのが個人的に好きなのだが、その機会すらなくなってしまった。

 少し寂しい感じがする。

 

 

 昔の自分の日記を読んでいると、「確実に夢を見る方法」と銘打たれたものを見つけた。

深呼吸をしながらひたすら妄想ストーリーの話の続きを考える。

そうすると眠くなってくるので、深呼吸をそのまま続ける。

そのうち体は寝ていて頭は起きている状態になるので、この状態になってから寝ると夢を見る。

 と書いてあった。

 

 なんだか大昔のワザップの記事みたいな文体だ。

 

 安っぽい裏技のようなことを、昔の自分はよくメモ書きしていた。

 今の自分からしてみれば、ライフハックにすらならないことばかりである。

 

 でも今日くらいは、昔の自分を信じてみようと思う。

 この方法でうまく夢を見ることができたなら、その詳細をまた記事にしてみようと思う。

 

 

 高校生の頃、私は明晰夢に一時期ハマっていた。

 

 明晰夢は私が心理学の方面に進むことになった理由の1つである。

 今は全く関係のないことを勉強しているが。

 

 そもそも明晰夢とは、「起きている状態のような意識で、夢の世界で自由に動くことができる夢」のことである。

 

 この状態では、どんな悪夢も自力で乗り越えることができ、カオスな法則を夢に持ち込むことができるらしい。

 ホラー映画に孫悟空が登場するようなものだと考えていただければ、わかりやすいだろう。

 

 相当胡散臭い現象だと私も思うが、明晰夢には科学的なエビデンスも存在する。

 それでも、結構謎に包まれている現象らしい。

 

 

 今日はなんだか疲れているのでここら辺で日記を終わりにする。

 

 少し明晰夢に入り込むことができるよう、この夏は頑張ってみようと思う。

 平成最後の夏、明晰夢の夏である。

 

 もし明晰夢を見ることができたら、イルカに乗って暴れまくりたい。

 

 なぜイルカなのかと言うと、個人的に好きな哺乳類がイルカだからである。

 特に深い意味はない。

 

 イルカに乗って大海原を駆け巡り、美少女とパールハーバーにランデブーできるようなスペシャルな夢を見たい。

 それだけだ。

 

 最近は死にかける夢しか見ていないので、桃色の夢もたまには見て見たいものだ。

 

身体どこからからだ?

6/28 曇り

 

 日焼け、ニキビ、メンタルヘルスの悪化、この悪循環が続いている。

 学校が坂の上にあるので、登校するだけで汗だくになるし、生産性がこの一日でストンと落ちてしまった。

 

 サマータイム的な感じで、早く寝て早く起きる生活にシフトすべきだろうか。

 もともと学校が遠いので、6時に起きる毎日である。

 

 これ以上早起きしてしまうと、何か悪影響がありそうだ。

 塾講師のバイト中に眠くなる、とか。

 それほど悪影響でもないか。

 

 

 昨日は、CiNetという人工知能脳科学の研究機関が毎年開催しているシンポジウムに行ってきた。

 

 マツコロイドでおなじみの石黒博士を始め、新進気鋭の若手研究者まで、個性豊かな人たちが最近の研究をわかりやすく伝えてくれた。

 良い点や反面教師的な意味も含めて、プレゼンの方法のいい勉強になった。

 

 プレゼンが上手い人は、聞いていて全く冗長に感じない。

 前提知識もあっさりと、それでいて的確にわかりやすく伝えてくれているし、時折挟まれるジョークも面白い。

 私もいつかはあの境地に至り、それを越えていきたいものだ。

 

 シンポジウムが終わった後は、TwitterでフォローさせていただいたN高校の人と大変面白い話をしながら駅に向かった。

 基本コミュ障なので声をかけるのには勇気が必要だったが、それがいい方に向かったので良かった。

 

 彼と大阪駅で別れた後調べたところ、どうやら彼は『1000円VR』というプロジェクトをやっているらしい。

 

1000yenvr.com

 

 具体的には、認知症の高齢者にVRを使って症状の改善を図る、というものだ。

 

 回想療法という、認知症の方に昔のことを思い出し、それを語ってもらうことによって記憶力を向上させる心理療法がある。

 これにVRを利用して、没入感を増幅させることにより、療法の効果をさらなるものにしよう、ということらしい。

 

 VRの医療方面での利用法は聞いたことがなかったので、なかなか興味深い話だった。

 

 私たちが発達障害視覚障害の方の視界をVRで経験することができる、という取り組みは以前から知っていたが、この利用法を見ると、VRには他にも様々な活用法がありそうだ。

 広場恐怖症の治療における曝露法や、PTSDの治療でよく用いられるEMDR法の簡易化にも使えるかもしれない。

 あるいは、新しい治療法そのものを生み出すことができたり。

 

 テクノロジーにより夢や可能性が広がるというのは、本当に素晴らしい。

 面白い時代に生まれてしまったものだなぁ、としみじみと思う。

 

 

 面白い話をたくさん一気に聞くと、想像が止まらなくなるというのは、私の悪い癖だ。

 映画を観に行った後なんかも、同じ様な感じになってしまう。

 

 その中でも、「どこまでが身体か」ということについては、昨日からずっと考えている。

 

 もう10年近く昔のことになるが、私は『アメーバピグ』というアバターサービスをやっていたことがある。

 

 当時(今でもそうかもしれない)、私はとんでもないクソガキで、アバターの顔を小汚いおっさんの顔にして、同年代ほどの女子を追いかけ回していた。

 おっさんのアバターが近づいてくると、それだけで可愛い顔をした女子のアバターは遠くへ逃げてしまう。

 それが可笑しくて、一日中女子アバターとの鬼ごっこに費やした日もあった。

 

 しかし、どうして女子アバターはおっさんアバターから逃げたのだろうか、と今になって思う。

 

 VRならともかく、画面に映っているアバターは二次元上の存在であり、いかにもなアニメ顔をしている。

 義肢や義足を自分の身体の一部と考えるのはまだ分かる。

 だが、アバターはあまりに人間に似つかない。

 

 もしや、平面上のアバターにさえ、私たちはそれを身体の一部と思い込んでいるのでは? 

 そう考えると、おっさんが近づいてきて逃げる女子の気持ちも理解できる。

 自分の身体の一部に「ぐへへ」とおっさんが近づいてきたなら、間違いなく女子は逃げる。

 私だって逃げる。

 

 当たり前である。

 誰も不審者に近づいて欲しいとは思わない。

 

 その不審者というのが、私だった訳だが。

 てへぺろ

 

 

 それはともかく、解離性障害という精神疾患がある。

 抑うつ感や不安並みにポピュラーな精神症状である離人感が元で、この精神疾患になってしまう、らしい。

 不安や抑うつ感が高じて、不安症やうつ病になるのと同じような感じである。

 

 離人感とは、自分を外から眺めているかのような離脱感のことを指す言葉である。

 嬉しすぎて夢のように感じる、なんかも離人感に入る、かもしれない。

 あとは、『不思議の国のアリス症候群』の時のアレも、離人感に当てはまるらしい。

 知らない人はググって欲しい。

 

 解離性障害の仲間には、強いストレスにより記憶が欠落する解離性健忘や、人格が複数存在してしまう解離性同一性障害など、摩訶不思議な精神疾患が目白押しである。

 

 そのような中、離人症性障害という精神疾患もそれらに負けず劣らず奇怪な精神疾患である。

 この精神疾患の主な症状は、自分の生活を外から観察しているような感じが長時間続くことや、自分が外界から切り離されているように感じることである。

 

 なかなかに理解が難しい。

 経験者の話などを見ると、「自分がロボットになったような気がする、生きる屍になったような感じ」とある。

 うーん? 

 

 ともかく、離人症性障害はそのような症状を伴う精神疾患らしい。

 ストレスによって発症し、認知行動療法が効果的だという。

 他の精神疾患に比べ、ストレスを取り除くと完全に回復するなど、難しい病気ではないらしい。

 

 この話のキモは、この離人症性障害が自分の身体をモノのように感じるということにある。

 義肢やアバターを自分の身体と感じるのとは対照的に、この離人症性障害は自分の身体さえ、自分のものと感じられなくなる精神疾患なのだ。

 

 これは「どこまでが身体か」という問題に対しての大ヒントに違いない!

 

 と思って調べてみたが、日本語のオープンソースの論文には関連するものが全くなかった。

 英語圏の文献も探せば、いろいろ見つかるかもしれない。

 

 離人感を感じている時の脳の活動を計測して、それを実験的に操作することができれば、「どこまでが身体か」という問いの答えへの大きな進歩になるだろう。

 さらに、このデータをVRに活用することができれば、リアルSAOはすぐそこに近づいているかもしれない。

 

 これは思いつきでしかないので、実際は多くの問題があるだろう。

 勉強不足感が否めない。

 時間があったら勉強してみよう。

 

 

 つらつらと妄想を述べていたら、文字数がいつもに比べて倍増してしまっていた。

 学校の課題もいくつか残しているのに、これはいけない。 

 今日はこの辺にしておこう、チャオ。