きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:オタク再考

12/26 曇り 

 何も日記に書くことがないような素晴らしい1日だった。でも日記は書く。忙しい時には日記を書く元気が無く、退屈な時には日記を書く体力が有り余っているというジレンマ。

あまりにも書くことがないので、金沢に下宿している友人が『オタク』について語っていたのに便乗することにしよう。今日はオタクについて語る。それがいい、そうしよう。

 

 そもそも、『オタク』とはどのような人物を指すのだろうか。

筑波大学教授の斎藤環は、オタクを「愛の対象を"所有"するために、虚構化という手段に訴える人」と定義している。

また、首都大学東京教授の宮台真司は「没入対象に性の自意識が関係している人」をオタクと定義している。

要は「虚構でシコれるかどうか」ということが、オタクと一般人の境界線だろう。

最近、2ちゃんねるで可愛らしいイラストを貼り付けている人たちに向かって、「絵じゃん」とメッセージを送信する荒らしが横行している。これを言われるとオタクは何も言い返せない。確かに彼らの欲情している対象は絵だからだ。

しかし、オタクは絵に欲情することを止められない。それを止めることができれば、そもそも彼らはオタクになっていないだろう。

 

 ならば、なぜオタクはただのイラストに欲情してしまうのだろうか。その原因は絵そのものとオタク、両方にある。

ネオテニーという言葉がある。直訳すると「幼形成熟」だ。

人間は一般に他の動物と違って、子供の頃からの形質の変化が少ない。チンパンジーの場合、子供の頃の骨格は人間の幼児と大差ないが、成長するにつれて、頭蓋骨はあまり変化しないが、顎が強靭になっていく。その結果、骨格は子供の頃と全く違ったものになる。

しかし、人間はチンパンジーとは違い、成長しても子供の頃と骨格の形はあまり変わらない。その結果として、骨に脳が圧迫されず、ネオテニーは人間が高い知性を得た一因とも言われている。

それはともかく、ネオテニー形質を強くもっている人は他者から愛されやすい。芸能人でいえばローラ・橋本環奈・堀北真希などがネオテニー形質の強い人の例に挙げられる。

これは子供の顔を見れば無条件に『可愛い』と思う私たちの感情とつながっている。子供を危険から守るため、私たちは子供を可愛いと思うようにできている。この本能がネオテニーとつながって、童顔の人を可愛いと思うのだ。

さて、「萌えキャラ」と呼ばれるイラストはどれもネオテニーの形質を備えている。大きな目・広いおでこ・ふっくらとしたクチビルなど、子供が備えている形質にそっくりだ。萌えキャラはどれも人に可愛いと思わせるためにデザインされている。このデザインこそがオタクたちの欲情を誘うのだ。

 

 今度は人間の方を見てみよう。

そもそも、この萌えキャラに親しむことができる環境にまでたどり着かないと、人はオタクにならない。どのようにして、人はオタクになってしまう環境に染まってしまうのだろうか。

第一に、現実の女性と触れ合う場面が日常生活に少ない、ということが挙げられる。これはある意味、実体験に基づいている。

男子校に入学した途端、オタク化した男の多いこと! 

一見オタクとは程遠いように思えるヤンチャ系の生徒ですら、アニメを見ていた。おそらく二次元でシコっている。「現実が不可能なら虚構に逃げ込んでしまえばいい」と言わんばかりに、男子校にはオタクが多かった。

第二に、オタクとなることに意味が生まれる場合が考えられる。仲間内でアニメの話題があがった時、その仲間内での繋がりを強めるためにアニメを見ざるをえないといった状況が生まれる。

これは「みんなこのゲームをやっている」と親に泣きつく子供の論理に似ている。アニメを見ていることが周囲で当たり前になるほど、そのコミュニティ内でのオタク化が進行していく。

そして、虚構に逃げ込まざるを得なくなるほどの状況に置かれるということも理由になるかもしれない。

例えば、いじめなどで心の拠り所を虚構に求める場合もあるだろう。不登校の支援をして思っていることだが、彼らにはオタクが多い。虚構はそこに心の安寧を求める者を拒絶しない。虚構は自分の求める癒しや安心を提供してくれる場でもある。

安心できる場を探求した結果として、オタクに自らの意思でなってしまう人は意外と多いのかもしれない。

 

 さて、絵と人、二つの要因が繋がってオタクが生まれることを説明してきた。

ますますオタクは世の中に溢れ、以前はオタクとならなかったはずの人たちまで、オタク化が進行している。リア充やキョロ充でありながら、オタクでもあるという事態が当たり前のようになった。これからもますますオタクは増え、コミケには大企業が参入し、少子化が深刻になっていくのだろう。

拒絶のない虚構に身を委ねるのか、辛辣な現実と向き合っていくのか。どちらがオタクにとって幸せな結果を生むのかは、神のみぞ知るところである。