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きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:恐ろしき穀物

考え事 日記

1/11 晴れ 

 日付がゾロ目。なにも書くことのない素晴らしい一日だった。平成が終わろうが、アメリカの大統領が変わろうが、私の日常にはあまり関係がない。

溢れんばかりのパワーを発散する場所を探しに一人で色々なところに赴いたりするが、なかなか刺激のある出来事には恵まれない。このままではエネルギーが溜まりまくった挙句にオーバーヒートしてしまう。行き着く先は迷走。それだけは避けたい。

 

 私は米が好きだ。日々の活力の源になってくれるし、様々なおかずにも合う。

一時期、炭水化物制限ダイエットにより米には逆風が吹き荒れたが、そんな風潮にはビクともせず、日本を含む世界各国の主食という偉大な地位を守り続けている。

穀物繋がりで言えば、小麦も米に劣らず世界的な主食の一つである。主にパンやパスタといった形でこれまた世界中で愛されている。

私もパスタはめちゃくちゃ好きだ。保存がきいて、安くて、作りやすくて、美味い。万能な食べ物だと思う。

 

 米を食べている時、恐ろしいことに気が付いた。「私たちは穀物を利用しているのではなくて、穀物に利用されているのでは?」という考えが頭をよぎったのである。

古来より、私たち人類は米を含む穀物を有効的に活用してきた。東南アジアに原生していた米や、西アジアに原生していた小麦の栽培を始めたことから、都市国家が形作られ、現在の世界に繋がっていったことは言うまでもない。これらの穀物無くして人類の繁栄はあり得なかっただろう。

人類のおかげで、穀物は世界で最も繁栄している植物になったとも、逆説的に言えるだろう。今や地球は米の水田、小麦・トウモロコシの草原、イモ類の畑に覆い尽くされている。

 

 現在の視点から見れば、間違いなく穀物は最悪の外来生物の一つとみなされるだろう。その有用性ゆえに、穀物が育ちやすい環境を人類が作り出すことを誘発したからだ。

日本では水田を作るために森が切り崩され、ヨーロッパでも畑を作るために想像できないほどの樹木が伐採された。今でも、世界では穀物を作り出すために熱帯雨林が切り開かれ、数々の種の存続、生物多様性が脅かされている。

穀物がなければ私たちの生活が成り立たないことは自明である。日本語でも、『ご飯』とはお米自体のことも指す。米とともに日本社会は発展してきた。これは世界各地の穀物でも同様である。もはや人類は穀物に依存しているといっても過言ではないかもしれない。

 

 ライ麦という穀物がある。この穀物は、もともとコムギ畑の雑草であったものが、コムギに似た姿の個体が除草を免れ、そこから繁殖した個体の中から、さらにコムギに似た個体が除草を逃れ、といったことが繰り返され、よりコムギに似た姿へと進化したものだ。さらに環境の劣悪な畑では、コムギが絶えてライムギが残り、穀物として利用されるようになった。

この例は明らかに、穀物の種の存続という目的に人類が利用された典型例である。

他の穀物も、人類が気にいるように、栽培化されてからはより大きな身をつけるようになった。人類が意識的・無意識的に選択した結果であれ、穀物は人類に種の未来を託したことにより、大きな成功を収めたのだ。

もし人類が原始的な穀物を食い尽くしていれば、間違いなくこれらの種は絶滅していただろう。しかし、知能が発達していた人類は穀物との奇妙な共存を選んだ。一定数の種を残す代わりに、人類が食物としてこれらを利用するという穀物の偶然に仕掛けた賭けに、私たちの先祖は乗ったのだ。

穀物は今も増加を続けている。最近ではバイオエタノールといった食とは別の面の有用性も見えてきた。この奇妙な共存の行き着く先は、人類と穀物が極限まで増え続けるか、ある一定数でどちらも減少を迎えるかだろう。どちらに転ぶかはまだわからない。

 

 日記を書いて入る最中に、数年前、ドロドロになった米とオレンジを混ぜた謎のフランス料理を食べたことを思い出した。

文化が違えば穀物の活用法も違う。形を変えて、穀物は世界を渡っていくのだろう。これまでも、そしてこれからも。

初めて体験した異文化の味は、ひどく甘かった。