きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:働かずに食う

1/21 晴れ 

 トランプ氏が大統領に就任した。スピーチを全文読んだが、グローバリズムの終焉を感じた。イギリスの EU離脱や、全世界の右傾化なども非常に気になる。これからはどんどん閉じた世界になっていくのかもしれない。他文化に対する不寛容は災厄をもたらすと思うが・・・。

 

 働きたくない。

最近になって、ますます働きたくない欲が増してきた。社会不適合者としての素質が急速に芽生えつつある。友人たちのように毎日のようにバイトに赴くことはもちろん、就職活動もしたくなければ、どこかのビジネスアカウントのように空き時間を利用することすら面倒臭いと思っている。けれども、うまい飯にはありつきたい。

「働かずに食う」とは私の夢の一つでもある。「働かざる者食うべからず」ということわざもあるが、そんなものは社畜のエサにでもしてしまおう。

 

 現代日本においては、生活保護を受けるという選択肢がある。毎月ハローワークに顔を出すだけで十数万円がもらえる素晴らしい制度だ。この制度を受けて、最底辺のセーフティネットをハンモック代わりにうたた寝するのもいいかもしれない。農場暮らし以上のスローライフが満喫できるだろう。

ただ、毎日が退屈そうだ。実際、某掲示板には「シコってたら一日が終わった」だの、「朝起きて2chして寝るだけの生活」だの、どうしようもない受給者の声が多数上がっている。贅沢言うようだが、こうはなりたくないものである。

 

 次に、最低限働くという手段がある。ほとんど働いていないような生活、食うためだけに働くような暮らしをすれば、働かずに食っているのと変わらない。

そこで原始的生活だ。例えば、ベネゼエラのヤノマモ族は一日に2.8時間働くだけで生活している。これは日本の平均実質勤務時間である9時間の約1/3である。勤務内容は採集・狩猟のみである。これほど楽な暮らしはない。確か、縄文時代の日本人も同じような生活をしていたと聞いた覚えがある。食料が簡単に手に入る豊かな環境があれば人は生きていくのには困らないのだ。

しかし、この方法を持ってしても、私の欲のために原始的な生活を送りたくない理由が発生する。その理由とは、「原始的生活では現代文明に入り浸れないから」ということだ。

まず、豊かな地域は人口密度が恐ろしいほど低い。そうでなければ、採集といった不安定な方法で十分な食料を確保することはできないからだ。人口密度の低下は人々の交流を減少させる。その結果、モノ・アイデアの交換が行われず、身の回りの何もかもが進歩しない。現に、大昔にタスマニアに移住した人々は、このような状況に晒されたために移住前よりも技術が退化したという例もある。豊かな環境に対する依存は停滞を生むのだ。

また、豊かであるがゆえに、熱帯圏に住む人々は、高緯度の地域に住む人々に技術的な遅れをとったという説もあるくらいだ。年間の温度差が激しいなど不安定な環境では、安定して食料を得るために人々が集まり、農耕を始める必要性が生じる。人が集まればアイデアは乱行を始める。そして、より高度な技術が産声をあげるのだ。

原始的生活を行うことは、文明の産物と永久に別れを告げることを意味する。残念ながら、私は電子メディアなしには生きていけない体なので、採集生活を送ることは出来ない。電柱のそびえ立つ町で暮らしていきたいのだ。

 

 私のわがままを突き通した結果、働かずに食うというのはやはり難しいということが判明した(当たり前だが)。

より現実的な解決策は、働くということを何とも思わないようになることだろう。勉強することを何とも思わないような人々が東大の試験に合格するように、仕事を淡々とこなしていければ、それは幸せなことだ。働くことが楽しければなおさらである。

結論、ストレスなく働くことが働かずに食う方法。矛盾。