きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:退屈ちゃんといっしょ!

2/3 曇り 

 節分。

それはともかく、からめるという人気ツイッタラーのネタをパクったら、それなりに再生数が稼げた。オリジナリティが足りない。

ホモビデオ男優ばかり動かせるのには飽きてきたので、機会があればMMDの方に転身したい。そういや、MMDにはR-18な感じのモデルもあるらしい。色々捗りそうだ。アハァッ!

 

 現在のように、趣味にエネルギーの全てを注ぎ込めるというのは実に幸せなことだ。

かの有名な画家シャガール

「自分自身を完全に打ち込ませなければならない。仮に99パーセントしかのめりこめないのであれば、情熱が足りないか、才能が足りないかのいずれかだ

と語っている今のところ情熱は十二分に足りているが、そのうち才能のなさが完全に露見しないか不安である。日々鍛錬あるのみ。

 

 趣味の調子が良いうちは、退屈に襲われなくて済む。しかし、趣味に飽きがきたり、限界が見えてきたりすると、急に退屈に付き纏われるようになる。退屈にストーキングされるのだ。退屈のいる日常はこんな感じだ。

眼が覚める、目を開く、さあ、どうかな、いるかな、いないかな。気配がない。眠っているのかもしれない。今日は私を悩ませないでいてくれるかもしれない。

そっと、そおっと、私はベッドから起きる。静かだ。台所へ行く。朝食を始める。音はしない。テレビ? そう「おはよう日本」。ありきたりの悲劇ばかりが映し出される、私には我慢できない番組だ。食べる、番組のゲストを見る。次第に食物が胃に満ちてくる、力が湧いてくる。さあ、手洗いに急いで直行する。朝の散歩に出る。

ああ、やっぱりいる。我が忠実なる「退屈」よ。

「私抜きで出かけられると思ったの?」

 

 もういっそのこと、退屈を擬人化してしまえば少しは気が楽になるかもしれない。

姿形はどうしようか。男性はあり得ない。男に付き纏われるなんてゲイでもない限り歓迎しないだろう。でも、幼き日の神木隆之介のような美少年なら耐えられるかもしれない。ショタコンではないが、美少年なんて美少女のようなものだ。身体的特徴において、性がまだ完全に分化していないので、もういっそ少女とみなしても良いだろう。美少年は美少女、Q.E.D.

だが、どうせ擬人化するなら美少女がいい。姿形はどうしようか。鬱屈な様子を表現するために、まず髪型は黒髪ロングにしよう。雰囲気は大人びていて、貧乳で、陶磁器のような病的なまでの白い肌をしていて、くっきりした二重の漆黒の瞳を持ち合わせている。そして私にとても強く当たるようなドSな性格だ。ほんの少しデレ要素も加えておこう。これでメイキング終了だ。

気が付けば、理想のロリが誕生していた。退屈は理想的なロリだった……?

 

 概念の擬人化というのは結構な暇潰しになる。何よりその概念による恐怖に襲われた時、一瞬で沈んだ心情を萌えに転ずることができる。

ところが、最近はめっきり概念に襲われることがなくなってしまった。この誰得なスキルもロストテクノロジーと化しつつある。

黒髪ロリは消えたんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ……。そんな天の声が聞こえる気がする。