きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:サークルの条件

5/8 晴れ 

 神戸に行ったり、来週は京都に行ったり、最近は旅行に行きまくっている。

そんなことをするためのお金はどこから湧いているのかって? 母の財布、祖父祖母の年金からである。親のスネをかじるのをやめて、そろそろ働かなくてはいけないのも分かってはいるのだが、やる気が湧かない。

仕方ないから小論文コンペに応募しまくって受賞を待つことにする。運が良ければ30万円である。コストパフォーマンスが良すぎる。いささか夢を見すぎているような気もするが。

 

 「青少年団体のためのハンドブック」というものを昨日読んだ。1951年に兵庫県教育委員会が出版したものである。昔は教育委員会が団体活動を積極的に推奨していたのだ。

その本の中に、サークル活動の指標とも読み取れる示唆が豊富に記述されていた。例えば「グループ活動の目標」という項目では、

  1. グループに入る機会を全ての青少年に与えること
  2. 他人を尊重する態度を発展させること
  3. 青少年の自主性と、創造性とを発展されること
  4. 個人的、団体的な責任を重んずる態度を養うこと
  5. 他の人々と共同する態度、方法、技術を尊び、その喜びを学ぶようにすること
  6. 中正な批判のできる精神を養うこと
  7. 宗教的、美的な情操を養い、知性を培い個性を伸ばしていくこと
  8. 団体や社会の秩序や規則を重んじ、長上や先輩に対して誠心をもって接する態度を養うこと
  9. 清潔、正直、勤労、社会奉仕、スポーツマンシップなどの人間に大切な習慣や態度を養うこと
  10. 他民族、他国民に対する友情的な態度を養う

と書かれている。全くその通りである。約70年前の文章なのにもかかわらず、ぐうの音も出ない。現在のサークルも、以上の項目を目標にした方が良いと思う。古来のサークル活動がいかに清廉だったのかが窺い知れる文章である。

 

 さらに、「グループ活動についての重要条件」という項目では

  1. グループメンバーの自由意志によって作られなければならない。強制や強要によって無理やり加入させられることがあってはない。
  2. 共通性、等質性を重んじること。グループメンバーが同等の要求または関心ごとを持つこと。
  3. グループの大きさは各人が十分に知り合える程度に留めておくこと。その方がグループのプログラムの実施が容易になる。人間はグループにおける不断の社会的相互作用によって相互に導かれる。
  4. 興味と関心を持つこと。グループの目的は漠然としたものによって集まるだけではいけない。興味や関心があってグループ活動は活発になる。自発的な気持ちによって作られ、集ったグループであることが何よりも大切である。

と述べられている。ヤンヤ、ヤンヤ。正論すぎる。これらの条件を満たすサークルが、様々な全国的かつ名誉ある大会で功績を残しているのも納得である。逆に、幾らかのサークルは完全に返す言葉を失くすだろう。

決して、「ただの理想論だ!」と見くびってはいけない。理想がなければ人間は腐る。それは既に現在の状況が証明しているではないか。

 

 では、どうして現在のサークルはこれら上記の条件を満たし、目標を達成することができなくなってしまったのか。

答えはいたって単純で、このハンドブックが書かれた1950年初期というのは、大学令が発令されたばかりの頃であり、学生の数が少なく、レベルが高かったからである。

1950年当時は、MARCH・関関同立は上流家庭の子息が教養を得る場であった。より賢い学生は国立大学へと進んだ。実際、当時の大学進学率は男女計で12%ほどしかない。現在の大学進学率60%という状況と比べると、1950年と現在の若者の数はほぼ同数なので、実質的に5分の1の学生しか大学へと進学していなかったということになる。

しかも、当時は医科大学が大学全体の比率を大きく占めていた時期でもある。学生の育ちの良さ・レベルの差は現在とは比べ物にもならないだろう。

また、清潔・自律が重んじられていた時代でもある。なにせ、童貞がまだ美徳であった頃である。是非とも、この時代の大学生になりたいものだ。

 

 結局、サークルは先述の4条件さえ満たしていれば何とか真面目な活動ができる。

グループメンバーの自由意志がなければ、活動が活発にならずに風化する。

共通性が重んじられなければ、メンバーは音楽性の噛み合わなくなったバンドのように容易く離散する。

グループが肥大すれば、各個人の影響が小さくなり、メンバー同士の相互作用が断たれ、ストレスが溜まるだけとなる。反対に、グループが小さ過ぎれば先鋭化するか、活動が疎らになる。

興味関心がなければ、飲みサーかヤリサーか、ただの溜まり場になるかである。

たったそれだけのことだ。この4条件だけ満たすことなら、1950年の学生のみならず、私たちにも簡単にできるだろう。できなければ、それは猿の集団と何も変わらない。

人間の、人間であるためのサークルの条件こそが、この4条件なのだ。健全なサークル運営のため、またサークル選びのために、是非ともこの記事を活用してもらいたい。

何この真面目な締め方?(二回目)