きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:読書のデメリット

5/23 晴れ 

 「NO.1に聞け」的なタイトルのテレビ番組で、芦田愛菜が読書家として登場していた。小学校のうちに1000冊読んだという。読書家が推すナンバーワンの本は何か、というインタビューに笑顔で答えていた。いや、俺に聞きに来いよ。小学生と張り合う大学生、タチが悪すぎる。

嘆いていても仕方がないので、芦田愛菜が推していた山中伸弥氏の自伝を図書館に借りに行った。すでに借りられていた。悔しさと、自分と同じような考えの人がいることへの安心感。なんだか救われた気持ちになった。

 

 自分がなぜ読書をしているのか分からなくなったので、読書のメリットをゆっくり考えてみた。

知識を得ることができる、語彙力が増える、話題が増える、以上。マジでメリットがあまり思いつかない。

Googleで検索してみても、アイデア力が身につく、人間力が身につくなど、曖昧で概念的なものしか見つからなかった。少なくとも、人間力が身につくというのは大嘘である。そもそもなんだよ、人間力って(哲学)。あらゆる物事に対する猜疑心が身についたのは確かである。

 

 ならば、逆に読書のデメリットを考えてみよう。

視力が悪くなる、虚無感に駆られる、周囲の物事が色彩を無くす、以上。

こちらもGoogleで検索してみたが、あまりロクなデメリットが検索結果に出てこなかった。そこまで、読書が崇高な行為だとはとても思えないのだが……。

実は、未だに自分が読書をしていて何かの役に立ったという実感があまりない。ブルーハーツの「情熱の薔薇」ではないが、自分が学んできたことが全てデタラメだったら面白いだろうなあ、というのが現在の自分の素直な感想である。そんな気持ち分かるでしょ?

 

 読書で得た知識が活かせていないのは、まさしく己の怠慢の所為である。知識を活かすため、ディベートサークルに入ろうかと悩んだ時期もあったが、人間関係が険悪そうなのでやめた。

そもそも、自分が理論武装をして物事について語って良い結果を生んだ試しがない。所詮は人を無為に傷付けることへの恐怖故のジレンマである。

人を傷付けるということは、大抵は無意識に行われ、行為者がそのことに気が付くのは事後だ。その事実が人を傷つけることの恐怖の源泉である。その時に、自らの理性が全く働かないことの哀しさ。

 

 読書とは孤独な行為である。読書中、自分と本以外にこの世界にある、あらゆる対象は消え失せる。

その上、その本にふれる他に、誰にも理解することができないような知識が蓄積される。化学物質がプランクトンや小魚、より大きな魚、水鳥を経由して猫に辿り着き、その猫が狂い出すのと同じ原理である。おつむがイタイイタイ病。知識とは毒にもなる。誰かにその矛先を向けることも容易い。

読書はメリットだらけなのではなく、そういう見方もできるということだ。ネガティブ思考な文章は読んでいてあまり気持ちの良いものではないが、ある側面では正しいことでもあると思う。うつ病患者が一般人に比べ現実をそのまま認知する能力に長けているように。「普通の人は日々、夢心地で生きているんだと思う」、そんなうつ病患者の言葉が脳裏に浮かんだ。まぁ、私は最近ハッピーだが。ハッピー!

 

 最近、自分の知識の吐き出し口として、小論文コンテストに応募をしている。どれも表彰された時の副賞の金額が高価だ。最高50万円の物もある。お小遣い稼ぎ程度に入賞したい。ようやく見つけた知識の排水溝なのだから。

己の凡才に溺れることがないように心がけたい。