きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:生きた証、西明石

6/1 曇り 

 Macbbokのトラックパッドが故障したので、しばらく修理に出していた。それが帰ってきたので、再び日記を書き始める。と言っても、日常にそれほどの変化はない。プロポーズの言葉コンテストが受賞できなかったくらいである。なんで?(殺意)

 

 西明石という駅がある。JR神戸線の終点である。多分、西明石があるのだから北明石もあるのだろう。

となると、「生きた明石」があってもいいのではないか? 生きた明石駅、格好良すぎる。

 

 西宮北口という駅がある。阪急線のデカい駅である。無限に湧き出すウェイを狩り続けることのできる、絶好の経験値稼ぎの場としても有名である。

西宮北口があるのなら、西宮下口があっても良いのではないか? ククク、西宮北口ではそう言っていても、西宮下のお口は正直じゃねえか……

 

 最近、脳細胞が大量死しているのかどうか知らないが、先述のことのような、すっげえバカなことをよく思いつく。

こういうことを安易に口に出していいのか? というのが近頃の私の悩みのタネである。

 

 それよりも、この頃私がもっと悩んでいることは、先ほどとは真逆で、小難しいことを考えているのを発信したほうがいいのか、ということだ。

小難しいことを発信することは困難だ。絶対に、それを見ている誰かに不快な思いをさせるし、それが原因で人間関係がもつれることがあったら、非常に面倒臭いことになる。

私は人間関係がこじれている状態に耐えることができない。周りを見ていて「よく耐えることができるな」とつくづく思う(ここ叩かれポイント)。

 

 実は、私は物事をズバズバ言うことのできる人を内心リスペクトしている。それと同時に、個人的な意見を堅く自分の中に閉じ込めることのできる人も尊敬している。全く、自分はどっちつかずである。まあそれが役に立った時もあったのだが。

ともかく、本気で自分の意見を伝えると言うのは難しい。多くの人が見るTwitterや、このブログでもそうである。現実場面の方が本音を語りやすいように思える。

これに関しては、まるで解決策が思い浮かばない。結局は、自分の言葉が永久的にログとして残ると言うのは「怖い」ということだ。用心しなければ。

 

 滅茶苦茶アホなことを考えるのと、小難しいことを考えることの絶妙なバランスが、私の生活を突き動かしている。そして、この原動力はほとんど語られることがない。沈黙の自転車操業である。

思考のバランスを整え、日頃の行いにも気を付けたい。暴走しがちな童貞ほどタチの悪いものはないのだから。