きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

ぼくのなつやすみー綿流し編ー:金こんにゃく恋愛観史II

8/1 曇りのち晴れ 『金こんにゃく恋愛観史II』

 

 夏休み10日目。今日は某氏に心理学検定関連の本を返してもらった。ついでにアーモンドチョコも貰った。ありがたい。アーモンドチョコと豆乳は私の大好物だ。

 さらに、「きんこんぶろぐを結構見ている」という応援(?)の言葉も頂いた。

 このブログを始めた理由の一つに、ツイッターに思った通りの言葉を吐き出しては、周囲からモウレツな叩きに合ってしまうと考えたということがある。

 ツイッターは言葉が受動的に読み取られるのに対して、ブログはそれを読みたいと思った人にしか届かない、能動的に読み取られるものだ。

 このブログを読んでくれている人は、タイトルが気になった人か、私の大ファンか、私のアンチくらいだろう。

 いずれにせよ、やはり自分が生み出した文章が誰かに読まれるというのは幸せなことである。文章であれ、自分の作り出したものが、誰かに積極的に受け取られているというのは、なかなか嬉しいものだ。それも、ツイッターリツイートが増えるのとは違う嬉しさである。こちらの方が幾分充実している。

 

 さて、今回は前回の続きから現代に至るまでの、私の日記に書き綴られた恋愛に関する記述を紹介する。

 男子校時代とは打って変わり、大学の恋愛にも踏み込んだ発言をしているので、やはり前回に引き続き閲覧注意である。

 

2015年

12/27

「『源氏物語』は光源氏という男の過去を清算する話なんだと考えた。多くの女性と契りを交わした光源氏は、紫の上の死によって自らの不埒な過去を悔やみ出家し、その後まもなく死去する。恋の苦労は彼の子孫まで引き継がれる、『源氏物語』はそのようなあらすじだ。過去の清算というのは、その過去を悔いた分だけ強く迫ってくるものだ。」

 

コメント:確かに光源氏はヤリチンのクズ男である。しかし、現実には多くの女性をたぶらかして平然としている男がごまんといるのだと、大学に入ってから知った。出家しただけ光源氏はマシな方だったのである。私が貴方たちを出家させてやろうか?(暗黒微笑)

 

2016年

1/30

「私は自分より賢い女性とお付き合いしたいとかねてから思っている。知性豊かな女性がそばにいれば、彼女に触発されてより賢くなることができるし、何より相手の頭の回転が早いと話もはかどるからだ。才女たちにお近づきになるには、同志社で妥協していてはならない。京大生との人脈を持ち、いざ天から二物を授かった女性を探し出そう」

 

コメント:当時の私は同志社大学に余裕で合格すると勘違いしていたようだが、結果はこのザマである。昔の自分はなぜだか才女を求めていたような気がする。自分の知性に自信がなかったからだろうか。高望みは童貞と処女の特権である。

 

6/19

ジョークはなかなか出てこないものの、女子とある程度コミュニケーションが取れるようになった。しかし、何か満たされない。狂気が足りない」

 

コメント一回生の頃、私は狂気を求めていたように感じる。というより、女子の前でなかなか飛んでくれない頭のネジに辟易していたのかもしれない。現在は狂気が足りているので毎日が充実している。ビバ狂気。

 

6/26

遠距離恋愛は、普通の恋愛に比べ継続が大変である。というのも、時間が経つにつれて女性は想いが募っていき、男性は遠距離の状態に慣れていくというのが多いからだ。この温度差が破局を招く」

 

コメント:なぜ知ったような口を利いているのか分からないが、遠距離恋愛について語っていた一節である。そういえば最近、某教授はネット恋愛で付き合い、結婚したということを知った。インターネットの超黎明期である。いろんな意味で凄い人だ。

 

7/4

「星の数ほど女はいると言うが、星には手が届かないものだ。水面に映った二次元の星々をすくうことしかできない」

 

コメント:七夕を前に、もはや諦観の域に入ったことが感じられる一文である。さりげなく今年の七夕も何事もなく終わってしまった。女子と共に夏祭りに行き、花火を見るという儚い夢も風前の灯火である。自分で書いていて切なくなってきた。

 

9/4

「夏が終わろうとしている。今年の夏こそは世間一般に言う『青春』を経験できるものだと思っていたが、それは見当違いだった。共学だからといって、すぐにリア充的経験ができると考えるのは怠慢であった。個人の主体的な働きかけが必要だと実感した。だからといって、自分がそれを行えるかというと、出来ないのだから非常にタチが悪い。現状に満足しているので、差し迫っている問題ではないと思うが。そもそも何をもって生活が充実していると宣言することができるのだろうか? もしかして、主観的に考えれば私は生活が充実しているので、既にリア充なのではないだろうか? 無我の境地で遊べているというのは幸せなのかもしれない」

 

コメント:似たようなことを今年も考えている。ピンチである。

 

 以上が、現代に至るまでの私の恋愛観の推移である。

 童貞的価値観が、少しはマシになってきているということがハッキリと分かる。あるいは別の方向へと価値観がねじ切れはじめて行っているのかもしれない。

 これからも、私の恋愛観は変遷し続けるだろう。いつか、これらの恋愛観を笑って眺めることのできる日が訪れることを願う。

 少なくとも、現時点では笑い事ではない。