きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

きんこんぶろぐ一歳の誕生日

9/11 曇り

 

 喫茶店に行ったのが一昨日だと気づいて、驚愕した。まさに驚愕webである。

 喫茶店に行ったのが、遠き日のことのように思える。ついに、時間の経過がスローになり始めた。

 退屈になり、日々の変化も無くなると、時間の流れがとてつもなくスローになるのだ。これと同じ現象が春休みに起こって発狂しそうだった。

 果たして夏休みの終わりまで、私は精神的ダメージを抑えることができるのだろうか。残りSAN値と相談して、時々娯楽を挟みながら秋学期を迎えたい。

 

 今日でブログを開設してちょうど一年である。

 総記事数はこの記事を含めて84件だ。だいたい四日に一度はブログを更新したということになる。長ったらしい文章を書くことを、よくもまあこれほど継続できたものだと思う。

 「継続は力なり」とよく言うが、何の力が付いたのかは未だによく分かっていない。文章力や皮肉力だろうか? 

 

 パソコンに日記をつけ始めた頃の文章を読み返してみた。

 何度もこのブログで繰り返している通り、日記は思考のタイムカプセルだ。日記をパソコンにつけ始めた最初の記事は、ブログに未だ掲載していないことに気づいたので、ここに全文を載せておく。

 

 

 本日からMacBookを開く機会、そしてタイピングの練習をするためにも、こちらでも日記を書き込もうと思い立った。

 なんやかんや、日記を書く行為自体は1年以上も続いているので、三日坊主になることはないと思うが。

 

 「君の名は。」を見に行った。ぼーっとして見ていればいい映画なのだが、あいにく私は脳みそをこねくり回しながら鑑賞していたので様々な矛盾点が目に付いた。

 その他にも、映画の放映前の、他の映画の予告編などが流れる時間で、あからさまに若者世代向けの映画ばかりが予告されていたので、自分が経済の一部に組み込まれているような気分になって、嫌悪感を覚えた。

 

 これは今日気づいたことだが、最近映画を見た後に、しばらくその映画の物事について考え込んでしまう悪い癖が付いている。そういったことが積もり積もって考えることが多すぎて頭がパンク寸前である。キャパシティーオーバーにならないように注意したい。

 

 最近は隔月で書いていた日記を、なぜ突然再開したかというと、この映画に多少影響されたという事もあるが、何より自身が語るべきことが増えたと感じたからである。

 読書数は1400冊を超え、得た知識を定着させていくステップへと遷移するべきだと感じた。

 そこで、多様な学説・考えに惑わされないように、どこかに自分の思考を書き込んでおく必要性があると考えた。

 考えは放置しておくと、生もののように徐々に腐敗していくのは、以前の日記に書いたとおりである。せっかくの得た知識を活かすためにも、ほぼ毎日このページへと書き込んでいきたい。

 

 この日記を読み返すまで、自分が日記をつけていたのは思考をまとめるため、そしてタイピング能力を高めるためだということすら忘れていた。

 現在は、日記を書くために日記を書くという、目的と手段が奇妙に合成されたような状態に成り果てている。目的を忘れる時というのは、忘れたということ自体にすら気が付かないらしい。ついでに、読書冊数も4000冊に達しようとしている。

 こうして積み上げた一年間の日記の分量は、なんと11万文字を超えていた。

 文字数だけなら、長編小説一冊にも匹敵する。一年間で積み上げてきたものは、振り返ってみると、とてつもない分量になっていた。おそらくレポートなども含めると、20万文字はゆうに超えるだろう。もういっそ、物書きにでもなった方がいいような気がする。

 

 今日は同時多発テロから16年、東日本大震災から6年半、私が二十歳になるまで半年の、節目の日でもある。

 ブログはこれからも掲載し続けるだろうし、微量の閲覧者を楽しませたり、怒らせたりし続けるだろう。私の意志が続く限りは。

 

 まだまだ文章力も、その他いろいろも拙い私であるが、生暖かく次の一年も見守っていただければ幸いである。

 ハッピーバースデーディアー、きんこんぶろぐ。