10/18 雨
ずっと雨。
今日は、観察学習と心の理論の関連について考えた。
最近、京大の霊長類研究所が、チンパンジーにも心の理論が存在するという証拠を発見した。
チンパンジーは観察学習によって「完全な模倣」を行うことができる数少ない動物でもある。
観察学習による模倣と心の理論の間には、何らかの関係があるのだろうと私は思う。
観察する対象に意思があると信じることができなければ、そもそも模倣という現象も生じることはないだろう。
イルカにもおそらく「完全な模倣」が生じると考えられているので、イルカも原始的な心の理論を持ち合わせているのかもしれない。
ここら辺のことが勉強したいのなら、やはり中島ゼミだろうか。
大学院の進学をどこにするのかも、そろそろ考えていかなくてはならない。
夏が完全に過ぎ去り、季節は秋を迎えた。
肌寒い日が続き、自らが持ち合わせている服装のレパートリーの少なさに嫌気が差す時節でもある。あの長ったらしかった夏が懐かしく思える。
大学生になってから、毎年夏になると、私は図書館に通いつめる。
起きて、図書館で本を読みふけり、寝る。そんな生活が2ヶ月に渡って続く。
こんなことを続けていれば精神に異常をきたすのも当然で、1ヶ月を超えたあたりから言動がおかしくなってくる。
こうした夏休みの後遺症を抱えたまま、いつも秋学期を迎えるのだ。
他の大学生がどのような夏休みを送っているかなど、もう想像もつかない。
バイトをしているのだろうか。サークルでどこかに旅行にでもいっているのだろうか。交際相手の家に通っているのだろうか。答えは遠い夏の中。
秋になると、いつも夏のことを忘れてしまう。
あの肌を焼くような日光も、耳をつんざくような蝉の声も、今となっては朧げだ。
多くの人は、夏のことを「懐かしい、かけがえのないもの」と捉えがちだ。
しかしいざ夏が来ると、そんな夏に対するイメージはたちまち消え失せてしまう。真の意味での夏はいつも、私たちの頭の中にのみ存在する。
路傍で蝉の抜け殻を見つけた。
中に詰まっていたはずのものはもういない。
ふと、晩夏に一匹の蝉の声が聞こえたのを思い出した。
仲間が死に絶えた中、交際相手を求めて一人鳴き叫ぶ蝉に、同情を感じたものだが。
蝉の声はもう聞こえない。
抜け殻も思い出も、全ては夏の亡霊である。