きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

謙虚になる!?!?!?!?

11/23 晴れ

 

 なんとなくやる気の起きない日々。

 トラブったり、絵を描いたり、ラジバンダリ。

 来週は動画を作り、レポートも二本書き、各授業の予習もしなければならない忙しい一週間になるだろう。

 その方が良い。忙しさの息苦しさは、退屈の苦痛には及ばない。

 

 某氏に、私は傲慢だと指摘された。謙虚になれ、と。

 確かに私は傲慢である。

 人一倍に肥大化した自尊心を兼ね備え、全人類を俯瞰するによって、差別のない平等な認識を実現している。

 そのせいで、身の丈に合わないチャレンジを繰り返しては失敗し、黒歴史を量産し、等身大で相手を見ているからこそ、「お前は何様だ」と言われるようなブーメラン発言を繰り返してしまう。

 何より、以上の文章のように、なんだか言動が偉そうである。

 これらが、私が傲慢であると言われる根拠であろう。

 

 滅多に人の意見を参考にしない私だが、その傲慢がモテない理由とまで言われてしまうと、流石に聞き入れる気分になった。

 「普段はつまらぬものだと唾棄している、自己啓発本でも読めばどうだ」と言われたので、謙虚になれる方法が書いてある本を探しにブックオフにやって来た。

 

 とりあえず、自己啓発・人生論コーナーを散策してみる。

 自己啓発本のコーナーはブックオフの店内でも、なかなかの領域を占めていた。その人気の理由は、私にはわからなかった。

 「自分に正直に生きる」、「置かれた場所で咲きなさい」、「宇宙からのメッセージ」などの胡散臭いタイトルが本棚に所狭しと並んでいる。

 しかし、その中に謙虚になれる方法を記した本は見つからなかった。

 ほとんどの本が、自分に自信のない人に向けたものであった。

 なるほど、傲慢は自己啓発界の難病らしい。

 

 結局、傲慢につける薬は見つからなかった。

 なぜ傲慢を治す方法についての本が少ないかというと、傲慢な人間は私のように、まず傲慢を治そうとは滅多に思わないからだろう。

 売れないのだから、売られない。自明の理である。

 私も、己の傲慢については自覚していたが、自覚できる困るような事態もなかったので、とりあえず放ったらかしにしていた。

 それに、傲慢はノンストレスである。自己肯定感が強いので、ストレスのある出来事に遭遇しても、安ホテルのベッド並みに高反発な心でストレスを跳ね返し、平常心を保つことができる。

 モテないということを除いて、傲慢は基本役に立つのだ。

 

 「謙虚になるための本が見つからないならば」と、グーグルで謙虚になる方法を検索してみた。

 すると、『傲慢にならないための10の方法』という記事が出て来たので、以下にその概要と、それに対する反論を述べておく。

 

  1. 人の優れているところを認める。

 認めている。

 私の周りには、私が興味を持つことのできない言語の授業でも真面目に勉強したり、楽器が演奏できたり、スポーツができたり、半端ない誠実さ人に示すことができたり、交際相手がいたり、自分よりも優れた点を持つ人がゴマンといる。

 彼らのそういった面には、敬意を表すほかない。

 

  1. 他人の意見は必ず一度は受け入れるようにする。

 受け入れている。

 「受け入れてないじゃないか!」というツッコミをここで食らうかもしれないが、よく考えて欲しい。

 ここで私が「受け入れていない」と言ってしまうと、私が全ての迷信や人の意見はもちろん、科学的根拠などまで無視しこれまで生きてきたという、人間社会ではありえない存在になってしまう。

 事実、私は人の意見を一度は受け入れているのだ。

 受け入れた上でそれを吟味し、吐き捨てているのだ。ガムのように!

 致命的な論理的誤謬がこのアドバイスには隠れている。

 人は誰しも、人の意見を結果的には受け入れたり、受け入れなかったりするものである。

 他人からは、受け入れた・受け入れなかったの結果しか観測することができないのだ。

 人の意見を受け入れる心的過程を可視化することは、現在の技術では不可能である。

 

  1. 主観を意識するようにする。

 意識しまくっている。

 某氏には「お前は客観視しすぎ」と言われたが、それは私の主観が物事を俯瞰しすぎて、客観視に近づいているだけである。

 返答が一休さんみたいになってきた。主観を意識します……

 

  1. 立場を意識する。

 私は年上に対して謙虚になりすぎるきらいがある。

 謙虚になりすぎて普段の傲慢っぷりは影を潜め、ろくなジョークすら思いつかなくなる。これは私の明確な弱点である。

 むしろ、謙虚になりすぎないように心掛けたい。

 

  1. 他人の良い所を取り入れていく。

 ウン。

 

  1. 控えめを心掛ける。

 やだおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! ばあああああああああああああああああ!!!!!

 

  1. 素直になる。

 うわああああああああああああああああああああ!!!!!! いやだあああああああああああああああああ!!!

 

  1. 傲慢な発言・態度を改める。

 慢心せずして何が金こんにゃくだああああああああああああああああああ!!! ヒィいい良いいいいいいいいいいいい!!! ああああああああ鳴呼ああああああああ嗚呼ああああ!!!!!!!

 

  1. 蔑まない。

 …………

 

  1. 感謝の気持ちを忘れない。

 謝謝茄子。

 

 

 以上が謙虚になる方法らしい。

 これを実践してしまうと自分が自分で無くなってしまう。途中から、以上を実践した自分を想像して吐き気を催した。

 謙虚になって私が得られることは、他人との馴れ合いと、甘ったれた日常と、交際相手だけのような気がする。

 だが、これらを求める自分も、どこかに存在しているのだ。このジレンマが、そこそこ苦痛である。

 

 実は、私は小学生の頃くらいまでは謙虚な少年であった。

 今の私からは想像できないほどの真面目さを持ち、規律を守り、人を決してバカにしない純粋無垢なる人間であった。

 その結果が、殺人的なほどの退屈である。

 私にとって謙虚になることは、一種のトラウマとなっているのかもしれない。

 何より、小学生の頃より今の方が幸せである。

 

 以上、長文に渡って自身の傲慢と謙虚になる方法ついて語ってきた。

 正直、自分が今ここにいるのは傲慢のおかげだと考えている。

 己の翼の大きさを顧みず、溢れんばかりのプライドを燃料として羽ばたいたおかげで、現在の私は存在している。

 もし私が謙虚なままで、自分の翼の大きさを悟ってしまい、程よく羽ばたいていたのなら、今より良い環境にはいなかっただろう。

 等身大より少し小さめに自分を認識していたなら、今よりは楽に日々を過ごせていただろう。交際相手だっていたかもしれない。そういう形の幸せがあったのかもしれない。

 しかし、それを今の私は幸福だとは思わない。

 自信過剰なまま突き進んだ先は破滅かもしれない。

 それでも、謙虚のせいで、あり得たかもしれない未来が絶たれるよりは、傲慢の破滅を私は望む。

 私の翼が蝋であろうと、太陽へと羽ばたいていきたいのだ。