きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

学年ビリのオタクが1年で大阪大学の編入試験に不合格した話 前編

『学年ビリのオタクが1年で大阪大学の編入試験に不合格した話』

 

 

 

 あなたには「自分にはゼッタイ無理」っていつしか諦めてしまった夢がありませんか?

 

 

 この物語は、そんなゼッタイ無理に挑んでみたある男の子の話です。

 

 

 この奇跡は、あなたにもきっと起こります。

 

 

 (奇跡が起こるとは言っていない)

 

 

 

 2016年2月15日、スマホの前で一人寂しくうなだれている男がいた。

 彼の瞳に光はない。ただ、「不合格」の無慈悲な3文字が、男の虚ろな眼に映っていた。

 

 

 彼がここに至るまでの経緯を説明しよう。

 

 この男は中学時代、どこにでもいるようなオタクであった。

 SS界隈に入り浸り、創作と黒髪美少女を愛して日々を過ごしていた。

 

 高校入試の時、中学校や塾で授業を聞かずに妄想にふけっていたせいか、彼は第一志望の公立校に受からず、渋々私立の男子校に入学することになる。

 

 

 男はこの時点で、己の怠慢を反省するべきだった。

 

 彼の入学した男子校はたいへん校則が厳しく、そのおかげか、それなりに進学実績は良い高校であった。

 

 だが、彼は何を勘違いしたか、「関関同立くらいなら誰でも合格できるだろう」と大学入試を見くびり、勉学を怠ることとなる。

 当時の第一志望は京都大学薬学部であった。

 

 その頃、男は「多くの成功者の陰には、死屍累々の惨たらしい光景が広がっている」とは、まったく考えもしなかった。

 

 光が強いほど、また影も濃いのである。

 

 一年生の最後の文理選択の際には、「理系は文系に対して精神的優位に立てそうだから」という碌でもない理由で、数学ができやしないのに理系を選択した。

 

 これが大きく私の人生を狂わせこととなった。

 

 

 彼は理系に進んだ後、ただでさえ低下していた学力がさらに下がり、期末テストで学年最下位になり、某大手予備校の模試では偏差値30代を連発した。

 

 2年生の夏に「このままではいけないぞ」と心機一転、1日10時間の勉強時間を胸に誓った。

 

 だが、勉強習慣が身に付いていない者が、突然勉強を始めて何時間も集中力が持続するはずがなかった。

 

 彼は親の監視の目が少しでも緩まると、途端に己のジョニーを慰めだし、ただ時間が過ぎ去ることを待つのみとなってしまった。

 快楽により、見事に彼は貴重な時間を圧縮させることに成功した。

 

 勉学を胸に誓った以上に、ジョニーに快楽を誓ってしまったのである。

 

 夏休み明けの模試、成績が上がるはずがなかった。

 

 

 彼は快楽の過剰摂取と、時間を無駄にした後悔によって、無気力の底なし沼に沈んでいくことになる。 

 自業自得である。

 

 底なし沼の中で、彼はネット恋愛やアルファツイッタラー、タルパ造り、ネット小説ワナビなど、数多の微妙な人生経験を積み重ねていくことになる。

 

 高校では、同じく無気力の沼に浸かっている同級生たちと、堕落した毎日を過ごした。

 同時期に、成功者はコツコツと努力を積み重ねていたのだった。

 

 

 彼が無気力の沼から引き摺り出されるきっかけになったのは、「浪人は許さない」という親の言葉であった。

 

 「大学受験に失敗したなら高卒就職してもらう」と。

 

 安寧な沼に、社会の荒波が近づこうとしている。

 男の「俗世には染まりたくない」という傲慢な欲望が、ついに彼自身を目覚めさせた。

 

 11月初旬、男は沼の底で男汁によってぬらぬらになった薄皮を脱ぎ捨て、ついでにジョニーの皮も脱ぎ捨て、心機一転文系になることを決意した。

 受験までの残り時間はわずか3ヶ月であった。

 

 

 それからは、大学の目標を以前の京都大学から散々バカにしていた関関同立レベルへ引き下げ、同志社大学関西大学の受験に必要な政治経済の勉強を急ピッチで推し進めた。

 

 以前から国語だけはよくできたおかげで、文転した瞬間に模試の偏差値は全体で60へと跳ね上がった。

 

 勢いづいた彼は近畿大学公募推薦にも合格し、来たる関関同立の受験に備え、日々着実に力をつけていった。

 

 はずだった。

 

 

 こうして文頭に戻るわけである。

 

 彼は最低合格点の4点差で、第一志望の同志社大学に不合格となってしまった。

 

 言わずもがな、貴重な高校時代の時間を湯水のごとく浪費し、ついにスマホの前でうなだれる羽目となったこの男は私自身である。

 

 虚ろ目になりながら、私は思った。

 

 「大学からはちゃんと勉強しよう」と。

 

  

 第二志望の関西学院大学には合格していたので、そこに私は通うことになった。

 

 大学に入学できた手前、不満はなかった。

 モラトリアムを延長することができたし、大学が男子校でないだけマシだったからだ。

 

 だが、大学受験への後悔はあった。

 

 「もっと頑張れただろう」という自責感が、心中にわだかまっていた。

 

 大学入学当初から、私は日常的に勉強するようになった。

 それも、自分が興味を持ったことに対してのみ、だが。

 

 

 入学時は、催眠術や精神分析学にやたらと興味を持ち、自身に催眠をかけては共学という環境に投げ出されたことによる緊張感を和らげていた。

 

 催眠術も精神分析学も、あまり大学では扱われていない領域だと知ることになるのは、少し後のことである。

 

 さらに、「1日6時間読書をすれば、一流になることができる」というなんの根拠もないどこかの言説を信じ込み、それを実行した。

 

 その甲斐があってか、一年生の夏になんとなく受験した心理学検定で、一級を無事取得した。

 

 心理学検定に備え、心理学を広く浅く勉強したことによって、自分の考えがまとめられたのは、結果的には良いことだった。

 

 これがきっかけで、私の関心は催眠、精神分析から臨床心理学、そして生物の社会性の進化へと移り変わっていった。

 

 

 また、大学一年生の夏から、不登校支援を始めた。

 

 これによって、臨床の場で働くことを職とすることに、漠然とした疑問を抱くことなる。

 

 この不登校支援の活動は、大学一年生が終わる頃には支援の場を他団体に乗っ取られ、自然消滅していった。

 

 私たちと信頼関係をある程度築けた子供達はこれからどうなるのだろうか。

 団体の機会の公正を保つため、子供を犠牲にしてもいいのだろうか。

 

 そんな考えに囚われ、孤独な春休みを過ごすうちに、臨床心理学に対するモチベーションは急激に落ちていった。

 

 

 大学2年生になる前、やることがなかったのでネットサーフィンをしていると、ある記事が目についた。

 

 タイトルは「人生大逆転!? 3年次編入で高学歴に!」のような感じだった。

 

 私が大学入試に3年次編入という制度があることを知ったのは、その時であった。

 

 キャッチーなタイトルに身構えながらも記事を読んでみた。

 

 どうやら、3年次編入の試験は全国の有名大学でも行われており、その難易度は一般入試に比べて比較的簡単らしい。

 そして、受験教科は専門科目、小論文、英語の3教科だけだという。

 

 すでに心理学オタクと化していた私は、突然のチャンスに目が眩んでしまった。

 

 怠惰な高校時代を送り、大学入試に後悔を残していた自分にも、まともに勝負できる機会が舞い込んできたのだ。

 

 すぐに、私は親に編入試験を受けていいか相談した。案外、すんなりと親はGOサインを出してくれた。

 

 編入試験に向けてさらに詳しく調べてみる。

 すると、自分の関心のある生物の社会性の研究が盛んな大阪大学にも、編入試験があることを発見した。

 

 この頃から心理学、行動科学に関する職には就きたいと考えていた。

 

 学部生の頃からその専門について勉強できるなら、どんなに自分の理想とする将来に近づけるだろうか。

 そんなことを夢想した。

 

 しかも、今度の受験には勝算がある。

 心理学検定を取得した今ならいける。

 

 自身に満ち溢れた私は、挑戦を恐れることはなかった。

 

 

 こうして、私は新たな挑戦に向けて歩み始めた。

 

 今度こそ、後悔のない受験にするために。

 

 そして、惨めな高校時代のツケを払うために。

 

 

 奇しくも、同志社大学に不合格になってから一年後のことであった。