きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

学年ビリのオタクが1年で大阪大学の編入試験に不合格した話 後編

 試験日の直前に、文化祭があった。

 

 大学の文化祭は高校に比べてやたらと豪華だ。出店は多いし、四日間もあるし、芸能人も来る。

 

 だが、そんなことは今年の私には関係なかった。

 

 文化祭の期間中も、図書館に籠りっぱなしだったからだ。

 

 いや、去年の文化祭も図書館に籠りっぱなしだったが。それはそれで悲しい。

 

 周りが賑やかだと、孤独は加速する。

 

 文化祭の四日間は、夏休みよりも精神面では辛かった。

 

 試験のプレッシャーと、疎外感が重くメンタルにのしかかった。

 

 そんな時、私が勉強しているところに友人二人が訪れてくれた。

 

 正直、嬉しくて泣きそうになった。嬉し泣きしそうだったのは生まれて初めてのことだ。

 

 たとえ、サークルの売り込みだとしても、とても感動した。

 

 二人に頼んで、サークルの出していたタコ焼きの乗ったせんべいと、他サークルのコーラフロートを図書館まで取ってきてもらった。

 

 すっかり冷めてしまった冷凍食品のタコ焼きは、絶妙に微妙な味がした。

 

 

 文化祭の後、試験日がやってきた。

 

 皆にとっては祭りのあとだったのだろうが、私にとってはこの時点で焦っても、後の祭りである。

 

 これまで学んだことの軽い復習をして、テスト会場までの電車内の時間を過ごした。

 

 試験時間の1時間ほど前に大阪大学人間科学部棟に着くと、もうすでにかなりの人数が建物の入り口近くに集まっていた。

 

 私が着いた後も、受験生は続々とやってきた。

 

 そのほとんどが親に付き添われ、タクシーでやってきていた。

 

 大阪大学レベルになると、編入試験であっても全国から受験者が来るのだろう。

 

 受験者はほとんど「中央ゼミナール」だの、「EEC編入予備校」だの、編入試験に対応した予備校のファイルを持っていた。

 

 ファイルには過去問がぎっしりと詰まっている。

 

 この試験に賭けているものが違う、と私は思った。戦慄した。

 

 また、子供を連れずに母親一人が試験会場に来ていると思ったら、その人自身が受験生だということもあった。

 

 編入試験には受験年齢の制限は特といって無いので、大学生だろうが老人だろうが受験することはできるのだ。

 

 歳を取っても勉強をするため編入試験を受ける。この心意気には尊敬の念を抱いた。

 

 だが、試験で負けるつもりは毛頭無かった。

 

 19歳だろうと50歳だろうと、ここに来るまでやってきたことでぶつかり合うのみだ。

 

 

 会場の指定された座席に座ってから、すぐに最初の英語の試験が始まった。

 

 配られたプリントが薄っすらと透けて、長文の量が見えた。

 

 私の持っていた過去問の英文の、4倍くらいの量があった。

 

 試験開始の合図とともに、問題用紙を表に向ける。

 

 手が湿っている。やけにうまく用紙が摘めた。

 

 いざ、英文を読んでみる。

 

 「難しい」と、素直に思った。

 

 めげずに、うまく和訳できるように努める。

 

 回答用紙が手汗で湿って、シャープペンシルで書いた文字が薄くなった。

 

 意識が飛びそうになった。

 

 

 自身の英語力の無さを痛感したまま、英語の試験が終わった。

 

 気分転換を図るため、休憩時間に会場の外へ出た。

 

 遠くに太陽の塔が見えた。太陽の塔の、背中の黒い顔がこちらを静観していた。

 

 「岡本太郎は阪大出身だったっけ」と、まとまらない思考を宥めながら会場に戻った。

 

 

 小論文の試験は上出来であった。

 

 レポートに励んだおかげか、贅肉の無い良い文章が書けたと思う。

 

 問題形式があまり過去問と変わらなかったこと、日頃から考えている「世間」についてなどの問題が出たことが良かった。

 

 小論文のおかげで、なんとか心の平静は保つことができた。

 

 

 昼食をとってから、専門科目の試験が始まった。

 

 自由論述の小論文では、学習と遺伝が行動にどのような影響を及ぼすのかを問われた。

 

 これには、ローレンツの刷り込みや、観察学習や洞察の実験の例を出して論じた。最低限のことは書けていたと思う。

 

 単語の意味を問われる問題では、t検定といった統計の用語や、愛着などについて問われた。

 

 これらも、自分の持てる知識を活かして、よく書けたと思う。

 

 問題が記述式だとすぐに試験時間は終わる。この試験も、その例に漏れなかった。

 

 自分の斜め前に、先ほど見かけたご婦人が座っていたので、試験終了後に回答をちらりと見た。

 

 恐ろしいほどの文量の小論文を回答用紙に書いていた。

 

 負けたと、シンプルに思った。

 

 

 三教科の試験を終えて、残すは口頭試問のみとなった。

 

 試験前にトイレに行っておいた。

 

 すると、隣に教授らしき人物がやって来て、小便をし出した。

 

 アイドルでは無いが、教授がおしっこをする場面は、これまでイメージをすることがあまり無かった。

 

 小中高と、トイレが生徒用と教師用で分けられ、教師の小便を見かけることがなかったからだろうか。

 

 こうして見ると、教授もなんの変哲のないオッサンのようだ。

 

 しかし、その禿げかけた頭は明晰で、膨大な知識が詰まっているのだろう。

 

 

 口頭試問の待合室に入ると、受験する順番が黒板に張り出されていた。

 

 確認すると、私がトップバッターであった。慌てて志望理由書を見直した。

 

 そのうち私の名前が呼ばれたので、口頭試験が行われる教室に急いだ。

 

 教室に入ると、7人ほどの先生がいた。

 

 顔を見渡すと、自分の志望している研究室の教授がいる。

 

 口頭試験の教室は二つある。おそらく志望分野で試験の教室が分けられているのだろう。

 

 一礼してから席に着くと、口頭試問が始まった。

 

 最初に、自分が志望している分野と、入学後に何がしたいかを3分以内で説明するように伝えられた。

 

 私は全く面接の練習をしていなかった。ぶっつけ本番だ。

 

 腕時計をちらりと見てから、はっきりとした声が出るように努めて説明をした。

 

 正直、緊張しすぎてイントネーションが所々おかしくなっていた。

 

 一通り説明を終えたので、腕時計を見た。秒針を確認する。

 

 あれ、どの時刻から説明を開始したっけ? 

 

 鳥肌が立った。

 

 かといって、これ以上説明をすることもなかったので、「以上です」とだけ、私は少し小声になって答えた。

 

 その後は志望分野に関連する本はどのようなものを読んだのか、不登校支援の経験がどのように現在につながっているのか、心理学検定を取ったことなどを尋ねられた。

 

 それぞれ、しどろもどろになりながらも必死に答えた。

 

 緊張しすぎて、それ以上のことは覚えていない。

 

 ただ、一人の教授が隣の教授に「この子が合格してきても大丈夫ですか?」と囁きかけたことは記憶している。

 

 囁かれた教授は小声で「ウン」と答えた。

 

 どういう意味なんだこのやり取りは。私は気が気でなかった。

 

 

 口頭試問が終わると、そのまま帰宅することを指示された。

 

 私はツイッターに試験が終わったことをツイートし、親にラインをしてから、大阪大学の近くにあるエキスポシティに向かった。

 

 エキスポシティにあるゲームセンターで軽く音ゲーをして、試験後の気分を発散しようとした。

 

 英語の試験の不出来や、面接の緊張を試験後も引きずっていたからだ。

 

 軽く気分転換にはなったので、フードコートに寄って大きなハンバーガーを頼み、それに齧り付いた。

 

 戦いを終えた後の体に、旨味のある肉汁が浸透した。

 

 

 編入試験の合格発表は試験の4日後であった。

 

 大学入試と異なり、結果が出るまでの時間が短い。

 

 そのせいか、この4日はずっと緊張していた。

 

 寝不足にも、下痢にもなった。

 

 合格発表が近づくに連れ、自信がなくなっていった。

 

 

 結果発表当日、発表時間まで私はずっと図書館に籠っていた。

 

 本を手に取るが、気が紛れない。時計ばかり気にしてしまう。

 

 時間が経つこと認識すること自体が苦痛だったので、一眠りすることにした。

 

 イヤホンを耳に挿して目を瞑る。寝不足だったおかげか、すぐに眠りについた。

 

 

 目を覚まし、時計を確認する。合格発表の五分前だった。

 

 結果が発表されるページを検索し、更新ボタンを連打する。

 

 時間は早く経つもので、気がつくとサイトに「平成29年度合格者」のリンクができていた。

 

 震える指でスマートフォンをタップした。すぐにページが切り替わる。

 

 私は固まった。

 

 合格者が少ないせいで、私の合否はすぐにわかってしまった。

 

 そこに、私の受験番号はなかった。

 

 

 スマートフォンの画面を消して、重い深呼吸をした。

 

 間も無く、両親から慰めのメッセージが届いた。

 

 入試に落ちたことをツイッターに書き込むと、励ましのリプライがたくさん届いた。

 

 これを見て、少し元気になった。

 

 どこかで諦めていたのだろうか、不合格した時、それほどの衝撃はなかった。

 

 意外なほど無感触な敗北であった。

 

 先ほど述べたご婦人は合格していた。さりげなく、彼女の受験番号を確認していたのだ。

 

 「もう二度と、ご婦人には負けないぞ」と思った。

 

 幸か不幸か、私の勝負への熱意は冷めなかった。

 

 

 こうして、私の約1年に及ぶ受験勉強は幕を下ろした。

 

 だが、生活は続いていく。

 

 これまで何度も、大きな勝負に私は負けてきた。だからこそ、何事もなかったかのように日常が続いていくという、この奇妙な感覚を嫌という程知っている。

 

 受験後、私の試験勉強中に父方の祖母が乳がんになり、私に心配をさせてはいけないので、このことを秘密にしていたということを知った。

 

 それは、祖母の乳がんの手術が終わり、完治した後だった。

 

 「どうせそのことを知っていても、試験には落ちていた」と、私はふざけた風に笑った。でも、その気遣いは嬉しかった。

 

 受験勉強は、周囲の人たちから優しさを感じることのできるイベントでもある。

 

 そこまでの大ごとに挑戦しないと、優しさを感じることのできない私の感受性や人間性にも問題があると思うが。

 

 何はともあれ、結果が不合格で終わっても、得たものは多かった。

 

 学力は全体的に向上しただろうし、人からの温かいものを感じることもできた。

 

 何より、大学院試験という次の戦いへの準備にもなった。

 

 編入試験を受けて、後悔はしていない。

 

 

 勝者の物語は続いていく。

 

 敗者の日常は終わらない。

 

 大学受験が全ての終わりでなかったのと同じように、3年次編入の試験は終わりではない。

 

 もちろん、これは大学院試験にも言えることだ。

 

 敗者にできることは、次の戦いに備えて努力を続け、いつか自分が思うことを成し遂げることだ。

 

 重要なのは勝つことではない。どんなにプライドが汚れても、自分の夢を叶えることだ。

 

 諦めたくない、そんな泥臭い感情が肥料となり、人の夢を実らせる。

 

 夢が叶うまで諦め悪く努力を続ければ、その過程は無駄にはならない。

 

 

 これは、一人のオタクが「ゼッタイ無理」に挑んでみた物語だ。

 

 そして、奇跡は起こらなかった。

 

 編入試験という一章は、ここで終わる。

 

 だが、物語は終わらない。

 

 この未完の物語で、これからも努力を積み重ねていこう。

 

 それがいつか、奇跡に届くことを願って。