2/13 曇り
久しぶりの日記。
更新が滞っていたのは、テストで忙しかったり、モンハンにハマっていたりしていたからだ。
世間ではオリンピックが始まったり、様々な出来事が起きているが、それらについて何も書き記すことなく日記の更新が止まっていた。
文章を書くことを一度やめてしまうと、再び書き出すことが億劫になる。
何事でも、継続させることは難しい。
文章を書くリハビリがてら、また日記を再開したいと思う。
ブログという形で公開するかどうか悩んでいたが、成人式で感じたことについて書こうと思う。
去年、「成人式に行くのが嫌な理由」というタイトルで日記を書いた手前、けじめをつけなければならない、とも感じたからだ。
もしかしたら、このことについて書き渋っていたせいで、ブログの更新が滞っていたのかもしれない。
そのくらい、成人式について自分が気持ちの整理をつけるのには時間がかかった。
成人式の日。直前まで私は行こうか行くまいか考えていたが、結局行くことにした。
今も親交のある中学校からの友人と二人で会場である地元の中学校へと向かった。
普段、身だしなみを全くと言っていいほど気にしない私だが、成人式には流石に格好を小綺麗にしてから臨んだ。
会場へ着くと、いくらか見覚えのある顔があった。
と言っても、中学校を卒業したのが約五年前なので、曖昧な記憶を辿りながら、比較的仲の良かった人たちに話しかけた。
話しかけたはいいものの、相手には自分が誰なのか気づかれていなかった。
怪訝な態度で皆接してくる。
身長が卒業してから三十センチ近く伸び、声も低くなり、メガネからコンタクトに変えていては、私が誰なのか分からないのも当然と言えばそうである。
自分の名前を出すと、ようやく私のことを思い出してくれたのか、態度が比較的軟化した。
卒業から五年も経てば、マイルドに言って、同級生の格好はバリエーション豊かになっていた。
エグザイル風の男から秋葉原の量産型オタクのような見た目の男まで、見た目は様々である。
女子の格好は振袖で統一されていたので、それぞれの違いは目立たなかった。
だが、細かいところまで目を配ると、厚化粧であったり、黒いマスクをつけていたり、清楚系とギャル系に大きく二分されているように見えた。
こうすると、いかに公立中学校という場が多様な社会階層のごった煮なのかよく分かる。
成人式を機に、私たちの道が交わり合うことは二度とないだろう。そう思った。
その方がいいのかもしれない。
意外と成人式はすんなり終わった。
式の後、もともと私が所属していた男子バトミントン部の有志たちで昼食を取りに行った。
男子バトミントン部の人だけを見ても、昔から変わらない人と、落ち着いた性格になった人がいた。
もともと大人しかった人が、よりダウナー系になっているような気がした。
男子バトミントン部の面々と話していると、徐々に妙な違和感に襲われていった。
まるで、私に向けて発した言葉でも、私に向けてその言葉が届いていないような、そのような違和感だ。
私もそれに対して受け答えするのだが、少々手応えがない。
言葉の芯を掴めていないような気がした。
ご飯を食べ終わった後、成人式に一緒に来た友人はカラオケに誘われた。
私は誘われなかった。
カラオケに行っても、レポートを全て終わらせられるほどの余裕はあった。
だが、「レポートをやらないといけないから」と、私は誰に言うでもなく嘯いた。
そして、口元をぎこちなく歪ませ、下手くそに笑った。
ここでカラオケに乗り込むほどの積極性や厚かましさを、私は持ち合わせていなかった。
こういう笑みを浮かべるのは本当に辛い。
「二度と会うことはないかもな」と、かつての部員におどけてから、帰路に着いた。
家に帰ってから、違和感の正体について探った。
その結果、皆の言葉は中学生の頃の私に向けたものであって、現在の私に向けたものではないということを発見した。
かつての同窓の人々は、中学生の頃の私に対して接するように、今の私にも接した。
しかし、皆がこの五年で変わったように、私も変わってしまっていた。
そのイメージの齟齬が、会話での違和感を生んだのだと気付いた。
中学生の頃の私は、確かに今よりも碌でもない人間だった。
五年という歳月による周囲との解離よりも、過去の自分との断裂を強く感じ取った。
以上が成人式の感想のようなものである。
やはり日記はいい。
ウジウジと考えていたことを書き留めると気分が爽快である。
たった三年という月日で、人は恐ろしいぐらいに変わってしまう。そして、大抵は悪い方へと変わってしまう。悪化してしまった同級生。そして、彼らを通して悪化してしまった自分を直視するのは、なかなか勇気のいることだ。
去年の私はこのようなことをブログに書いている。
少なくとも、私はこの五年でより良い方向へ向かっているようだ。
知識を蓄え、交友関係も主観的には充実したものになり、将来の目標も定まりつつある。
中学の頃の私に笑われないよう、これからも進んでいきたいものだ。
次の五年が楽しみである。
最後に「成人式に行くべきかどうか」というよくある議題に、自分なりの答えを出しておきたい。
ズバリ、「どちらでもいい」である。
私の中学時代の友人にも、成人式に来ていなかった人たちは結構いた。
彼らの「成人式に来ない」という決断は一人の二十歳の人間の選択として尊重されるべきだと私は思う。
人は一人でに育つ。
成人式に行ったか行かなかったかに関わらず、大人への第一歩は祝福されるものだ。
そうすると、結局はどちらでもいいのではないか、と思う。
アンサー、「どちらでもいい」。
また曖昧な結論に終わってしまった。
折衷案はいつも不人気である。
全国の二十歳に幸多からんことを。
平昌で活躍する同年代の選手を見ながらそう思う。