きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

君たちはどうイキるか

2/21 曇り

 

 友人に誘われ、長野の白馬に行って来た。

 行きは夜行バス。それからスキーを二日間して、松本市で蕎麦を食べるなど観光をしてから大阪に帰って来た。

 夜行バスもスキーも信州の蕎麦も人生初である。それなりに楽しかった。

 またスキーをしに行きたいか、と聞かれると、微妙である。

 楽しさに比べてお金がかかりすぎる気がする。

 西宮・芦屋や東京都港区に住めるようになったら、また白馬に行きたい。 

 

 春休みがまだ半分もいってないことに気がついて、発狂しかけた。

 毎年のことであるが、春休みは長すぎると思う。

 孤独と焦燥感に苛まれる日々がまた始まる。

 「孤立していないだけまだマシだ」と思いながら毎日を過ごしている。

 

 

 最近、「イキる」という言葉を以前より見かけるようになった。

 これまでも「イキる」という言葉は「調子に乗っている」だとか、「頭が高い」だとか、そういう悪口として使われて来た。

 

 しかし、最近は他人に対してマウントを取る言葉としてよく使われている。

 例えば、単なる持論を表明した人に誰かが「イキっている」と言ってしまえば、そこで持論を述べた人はなかなか不利になってしまう。

 「彼の言説がつまらないものである」というレッテルを強制的に貼られてしまうからである。

 当然ながら、「イキっている」という反論は持論に対する正当な反論では無いし、そこには論理性の欠けらもない。

 それでもマウントを取れるというのは、一種の言葉のマジックである。

 

 以上のような意味で、普段から「イキっている」私だが、実は結構イキり続けるのは難しい。

 イキるためにはそれなりの材料がいるからだ。

 日頃から実績を残せなかったり、何もない日常を過ごしていれば、他人にイキることはできない。

 イキリオタクたちは人に対してイキることのできる材料が尽きると、嘘をつき始める。身長や交際関係を偽り始める。

 私にもそれができれば楽なのだが、あいにく嘘が上手につけないタチなので、最近なかなかイキれなくなってきた。

 イキれなくなると、生きれなくなる。

 インスタグラムへの投稿は減り、ツイッターの文章は退廃的になり、肌はボロボロ心はカサカサ、思考が腐っていく。

 SNSを眺めていると、友人たちの充実した日常がタイムラインになだれ込んでくる。

 私の脆弱な春休みはその重みに耐えきれず、砕け散ってしまった。

 

 そこら中に散らばった春休みのカケラをつまんで、蛍光灯に照らして見つめてみた。

 そこには、モンスターハンターをしている自分の姿があった。

 もう一つ、カケラを手に取り覗き込んでみる。

 その中の自分も、モンスターハンターをしていた。

 バリエーションがない。これでは私はイキれない。

 ゲームをしていることがステータスになる場所など、ネット上にしか存在しない。

 リアルで私はイキりたいのだ。

 

 春休みのカケラを集め、ジクソーパズルのように丁寧に組み合わせていると、一際輝くものを見つけた。

 そのカケラは氷のように冷たかったが、どこか優しさと男臭さを醸し出していた。

 中を覗くと、男子校時代の友人たちとスキーをしている自分の姿があった。

 恐怖に顔が引きつっているが、その姿は気持ち良さげで、楽しそうだった。

 私はこのカケラを胸に優しく抱きかかえた。

 

 ふと、「これを使えばイキれるのでは」という考えが浮かんだ。

 明らかに邪念である

 でも、私はイキることにした。よし、イキってみよう。

 

 スキーかなーやっぱw

 一応オタクだけどスキーできるし、俺って退けない性格だしそこら辺とかめっちゃ滑ってるって言われる()

 スピードも31キロあってスキー場の女子に追い抜かれる←煽られているからやめろ!笑

 俺、これでも大2ですよ?

 

 よくよく考えなくても、イキれるほど私はスキーが上手くなかった。

 5歳くらいの子供にも抜かされるくらいだ。

 

 もう一度胸元のカケラを見た。

 なんだか、そのカケラはさっきよりもイカ臭かった。