きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

とある関学の禁書目録

3/30 晴れ

 

 遅めに起きて、買い物に行って、ネットで本を買っただけの一日だった。

 その他に、他大学の読書サークルの活動を調べたり、読書サークル宇月のbot化する作業を進めた。

 

 読書サークルを作るための手筈を着実に進めているが、実際にサークルとして機能させるかは、まだ決めていない。

 最悪、自分一人の勉強アカウントとして再び利用することも考えている。

 

 読書サークルの参加希望者が10人を超えたら、本腰を入れて現実の場でもサークルとして活動させよう。

 サークルで講演会を企画して、関学出身作家である谷川流を呼べたりして。

 無いか。

 

 

 大学に入学してから2年が経とうとしている。

 なんとなく、大学入学時から今日までに読んだ本の冊数を数えてみたら、5000冊を超えそうな勢いだった。

 塵も積もれば何とやらである。

 

 「そろそろ自分も読書量だけはフィクションの仲間入りか」と思って、『とある』シリーズのインデックスの読書量を調べてみた。

 

 10万3000冊だった、桁違いだ。

 

 それに、インデックスは完全記憶能力を持っているが、私にはもちろんそんなものはない。

 読んだ本の漠然とした中身は覚えていても、詳細な内容まではとても記憶できない。

 大食いでも(一応、自分は健啖家の類いであると思うが)、銀髪幼女でも、自動書記を秘めているわけでもない私が、フィクションの存在になれるはずがなかった。

 

 唯一、読んだ本が魔術書などではなく、ほとんどサイエンス関係であることはインデックスに優っている。

 魔術は残念ながらこの世界に存在しないし、フィクションでさえ使うことのできる人間が限られているが、科学は金と時間さえあれば、方法に従えば現象を再現できるからだ。

 それに、学術書は魔術書のように読んでいても精神を侵されることがない。

 いや、時々精神衛生に悪い本はあるが。

 例えば宇宙の本はスケールが大きかったり、美しすぎたりして疲れてくる。

 

 

 継続力のない私だが、読書とブログだけは1年半以上続けることができている。

 一年以上他人があまりやらないことを継続できた場合、それはたいていの場合は才能である。

 

 才能という言葉は曖昧なのであまり使いたくないが、おそらく文字を読んだり、書いたりする行為が自分の中の「何か」とうまく噛み合ったのだと思う。

 その「何か」を明らかにしていくことが今後の課題である。

 

 読書の場合、それは「人間に対する好奇心」である気がする。

 ブログを書くことの場合は、「文字を通じた自己表現」かもしれない。

 あまり自分自身でもよくわかっていない。

 自分はいつも遠い存在だ。

 

 

 最後に、これまでの読書生活から得た気づきを紹介して、今日の記事を締めようと思う。

 

・読んでいる最中に違和感を感じたら、書評やネットの評判、別の本の同じ話題を扱っている箇所を参照すること。

 読書中の違和感の正体は、筆者が不条理なことを書いているか、その本のキモである。


・勉強の読書・休息の読書・娯楽の読書を使い分けること。

 勉強の読書ばかりでは息が詰まりそうになる。

 休息の読書ばかりでは心が虚無に襲われる。

 娯楽の読書ばかりでは脳がとろけるような錯覚に陥る。


・洋書を読む際は、読書を始める前にその本のあらすじを読んでおくこと。

 洋書は目次がやたらとカッコつけて書かれているので、事前にその本のテーマを把握しておかないと内容の理解が円滑に行かず、戸惑ってしまう。

 

 このくらいだろうか。

 できるだけ、他の読書家が紹介していない気づきをここに書いておいた。

 「本は途中で読むのをやめても良い」だとか、「飛ばし読みしても良い」だとか、ありきたりなアドバイスは避けた。

 

 正直、読書はルールに縛られない自由な行為であるべきだと思うので、自分の気づきだとか、人のアドバイスは別に無視しても良いと思う。

 嫌われる勇気だとか、堀江貴文の本だとか、私が比較的クソ本だと思っているものでも、誰かがその本に感銘を受けたなら、その人にとってはどんな本でも名著である。

 

 本末転倒の結論になったところで、今日はこの辺で。