きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

はたらキング

4/7 曇り

 

 新年度になり、大学の入学式があり、愛犬は10歳になった。

 私もそろそろ新しいことを始めようと、着々と個別指導塾の講師や大学のラーニング・アシスタントとして働く準備を始めている。

 どちらの研修でも、私のこの世で一番嫌いなものである自己紹介を強いられたので、ここ数日は暗澹たる心持ちが続いている。

 

 自己紹介は本当に嫌いだ。

 吐き気がするし、手汗が止まらなくなるし、ただで遅い思考がさらに鈍くなる。

 春は自己紹介をする機会が多い。

 まだ学校も始まっていないので、ゼミなどの場で数多の自己紹介が待ち構えていると考えると、それだけでゾッとする。

 

 

 働く準備をしていて、働いている人ってスゲェな、と思った。

 正社員やアルバイト関係なく、働いているだけですごい。

 そのような感情が日に日に強まっている。

 

 それと同時に、自分の社会不適合者感にもうんざりしつつある。

 自己紹介一つも満足にこなせない、そんな現状に焦りを覚えている。

 こなせることと、こなせないことの差が、私の場合は大きすぎる。

 

 

 自分の社会不適合者要素は数多い。

 

 人間の集団が嫌い。

 なんの根拠もない言説を押し付けられ、思考停止を強いられるのが嫌い。

 実績も無く、年齢しか誇るものがないのにマウントを取ってくる人間が嫌い。

 怒鳴り散らす人間が嫌い。

 無意味な経験論を長時間講釈垂れる人間が嫌い。

 狂った社会のシステムが嫌い。

 

 こうして見ると、社会の何もかもが嫌いな気がする。

 

 

 私が研究者を志している理由の一つは、論理がしっかりと通っている世界に逃げ込みたいからである。

 自分の考えが論理以外の理由で犯されることなく、むしろ論理によって考えが論破されるなら、それに勝る幸福な環境はない。

 

 しかし、現実は学問の世界すら、アカハラがまかり通る修羅道らしい。

 また、自分が研究者になれるという確証は無い。

 前途多難である。

 

 

 ともかく、私は人間の集団が嫌いだ。

 これは、社会そのものが嫌いだと言い換えてもいいかもしれない。

 

 別に人間自体は嫌いじゃない。

 むしろ好きな方だ。

 人と話すのは楽しいことだし、得られるものも多い。

 

 だが、それが集団になると話は別である。

 私が集団を嫌っているのは、これまで良い集団と出会わなかったからかもしれない。

 もしくは、私の価値観が碌でもなさすぎて、どの集団とも適合しなかったからかもしれない。

 イソップ童話の「狐と葡萄」みたいだが、後者の方があり得そうだ。

 

 

 社会不適合者の私だからこそ、すでに働いていたり、これから就活に臨もうとしている先輩や、インターンを考えている同級生を見ていると、「凄すぎるだろ」と思うのかもしれない。

 研修などに出向くと、みんな自己紹介が上手でたまげることが多々ある。

 彼らはスラスラと自分が働こうとしている理由や、自分の経緯を口頭で説明できている。

 しかもわかりやすく、即興で。

 私には絶対に真似できない領域である。

 そんな時、私は立派な動機を持ち合わせていないので、言いよどんでしまう。

 

 おそらく就職でも、彼らはうまいこと自分を企業にアピールして、内定を獲得していくのだろう。

 私にはそのようなこと、到底できない。

 せいぜい一人で地道に実績を積み上げていき、それを下手でもいいからアピールするしかない。

 

 このままでは私は変人一直線である。

 誰にも理解されず、独り身のまま腐っていくしか無いのだろうか。

 

 彼らの領域にどのように近づけばいいのだろうか。

 貧民と王族のように、埋めがたい差がそこにはある。

 

 

 今日の記事はかなり踏み込んだ内容になった。

 いつも私のブログを見ている人たちに、私がかつて所属していた集団に今も属している人がいるのは確実で、彼らには嫌な思いをさせてしまったかもしれない。

 

 だが、『ツイートとは違い、ブログ記事は積極的に人が読みにくるものだから、好きに自分の思いを綴ってもいい』というブログ開設当初の私の考えに基づくなら、この記事も公開した方がいいと考えた。

 

 このような記事も公開できなくては、この先いよいよ何も表現することができなくなるだろう。

 

 これからもそうのようなスタンスで、このブログを続けていこうと思う。

 今年度はもうちょっとブログ映えする日常を過ごしたい。