5/2 曇りのち雨
多忙につき、しばらくブログを更新することができなかった。
新生活もひと段落し、人生が好転し始めたので、精神的な余裕ができ始めた。
空いている時間につらつらとパソコンに書き込んで、これからもブログ、もとい日記を継続していこうと思う。
文字数がかさむのでここには書かないが、ブログを続けていると様々なメリットがあるものだ。
メリットを感じている限り、ブログは続ける。
最近、塾講師のバイトを始めた。
講師の机に『サピエンス全史』が置いてあるような、意識が高めの職場に勤務している。
『サピエンス全史』、確かに面白かったが、そんなに売れるほどか? とずっと個人的に思っている。
まだ研修期間なので時給は安いが、講師になった暁には結構な給与が貰えるし、シフトも融通がきく好待遇である。
友人たちには「あれだけ働くのが嫌だと言っていたのに」と散々馬鹿にされたり、呆れられたりしている。
シンプルにお金が足りなくなったので仕方ない。
できるだけ社会に貢献することがないよう、情熱無しサボりマシマシ真面目さカラメで働いている。
塾講で稼いだ分は貯金して、本の購入や大学院の学費に充てよう、と考えている。
実際は音ゲーに溶けそうだ。
プライバシーが云々なので詳しいことは書けないが、私は塾講で現在、小学生の子供を教えている。
中学受験を志しており、頭の回転も早いので、私としては教えるのがとても楽な生徒である。
塾に来る前にも、様々な習い事を詰め込まれているので、塾で教えている最中に彼の集中が切れてしまうのが玉に瑕である。
出会った当初は彼も緊張していたが、週に一回、何週も会っているうちに、私にもそれなりに心を開いてくれるようになった。
「こんなこと勉強しても、何の役にも立たないのに」
月の満ち欠けや天体の動きについて教えていると、その生徒はこのようなことを口にした。
なるほど、終わりの見えない勉強に飽き飽きした子供が、必ず口にする典型的な台詞である。
ここで世間の大人の代弁者のように、「勉強しないと立派なシャカイジンになれないよ」と言い聞かせるのも酷だと思った。
なので、どうしてそんなことを言うのか問いかけた。
心理学科特有の傾聴である。
心理学は、結構役に立つ。
するとポロポロと、締まりの悪い水道管のように、生徒は学校での不満を漏らし始めた。
曰く、
「授業での勉強をさっさと終わらせて、教科書の問題を先へ先へと解いていたら、教師に『そんなことをしていたらテストで100点を取れないぞ』と叱られた。意趣返しにテストで満点を獲得してやったら、教師に理不尽に怒られた」
「学校の授業は進むのが遅い。ただひたすらに退屈」
などと、愚痴をこぼした。
そういった彼の話に頷いたり、空っぽな同情を示したりしているうちに、その生徒が何だか自分の過去と重なって見えてきた。
小学校での六年間、私はただひたすらに退屈だった。
最初のうちは教科書を先に読み進めるなどして、時間を潰していた。
そのうち、限界がやってきた。
その結果、私は授業時間のほとんどを空想遊びに費やすようになり、中学校での深刻な学力低下を招いた。
小学校で私と成績を張り合った人たちは、いずれも旧帝大に進学した。
あの退屈を勤勉に勉強で埋めたか、妄想で費やしたかによって、私と彼らの明暗が分かれた。
全く、私の自業自得である。
生徒はまだ退屈の霧の中にある。
生徒の能力を妥当に評価しようともしない無能教師により、モチベーションは落ちつつあるが、まだ私のように妄想の泥濘に嵌ってはいない。
「私立中学に入れば、いくら勉強しても文句を言われることもないよ」
その場凌ぎに、私はこの言葉を彼に投げかけた。
「まじ? そんなの勉強し放題じゃん」
生徒は桃源郷を彼方に見たような表情をした。
ああ、この子は単純に勉強が好きなんだな、と私は思った。
勉強を『何かの役に立つ知識』で味付けすることなど、彼には必要なかったのかもしれない。
それでも、真に彼が『何かの役に立つ知識』を求めていた時のために、今勉強していることがどのようなことに役立っているのか、講釈を垂れておいた。
「太陽が光り輝く仕組みは、塾の教室や日本中に電気を届けている原子力発電所の仕組みと似ている」と、私は生徒に伝えた。
少しばかり、彼は興味を持ったようだった。
こう言う話は子供に結構効く。
私も小学生の頃、科学に関する小話が好きだった。
何なら今も好きだ。
しかし、太陽は核融合、原子力発電所は核分裂、実際はほぼ真逆の仕組みである。
そのことに彼が気づくのは、当分先のことになりそうだ。
勤務を終えて塾を出る頃には、時刻は九時頃になっていた。
自転車をこぎながら、小学校や、中学校の頃の自分の生活をぼんやりと思い出した。
どういう視点から見ても、ロクな人生を歩んでいなかった。
後悔は多いが、過去には戻れない。
今の私にできることは、自分と同じ轍を生徒に踏ませないよう、知識を伝えてやることである。
そうすることで、過去の自身に対して、ツケを払うことができるような気がした。
「中学受験までは、それなりに真面目に教えてやるか」
そのようなことを思いながら、私は帰路に着いた。
夜の街を照らす月が、背中をずっとついてきた。