きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

いやしい癒し

6/16 晴れ

 

 関学梅田キャンパスに久しぶりにやってきた。

 すこぶる快適に、Rの勉強や居眠りができた。

 西宮まで行くのが面倒くさいときに、これから通い詰めよう。

 

 この前、近いうちに小説を書くと言ったが、あともうちょっと待ってほしい。

 日記を更新することはできても、小説を書くのには別ベクトルのエネルギーが必要なことがこの頃わかった。

 話のプロットは出来つつあるのだが、それを物語に仕立て上げる時間も、やる気も今は無い。

 暫くの間、Rやベイズ推計の勉強に時間を注ぎ込もうと思う。

 

 高校の頃、数学の偏差値が35ほどしかなかった私だが、自発的に勉強してみると統計というのは案外面白い。

 これからも続けていこう。

 もちろん、英語の勉強も忘れずに。

 

 

 癒しが欲しい。

 最近、人生が好調なのはいいのだが、癒しが欲しくなってきた。

 

 毎日のように誰かにディスられ続けているというのが、主な癒しを求めている要因である。

 ディスられる要因自体は、私にあるのかもしれないが。

 

 かれこれ、耳かき音声を聴きながら寝るというのを3年近く続けている

 しかし飽きはくるもので、だんだんと耳かき音声に癒しを感じられなくなってきた。

 

 ひたすら誰かがマシュマロを食べる音声や、耳元でこしょこしょ囁かれる音声に切り替えてはみたものの、何だかしっくりこない。

 音声だけではなく、物理的な癒しがそろそろ必要だ、と感じている。

 

 これが独り身の辛いところである。

 独り身には24時間を利己的にフルに使うことができるなど、多くのメリットがある。

 だが、癒しだけは手に入らない。

 

 

 癒し欠乏症の発作により、飼い犬を撫で回しまくりながら、癒しについて色々調べてみた。

 

 滝を見に行く、マッサージ屋に行く、銭湯に行く。

 どれもこれも、お金のかかることだらけだ。

 

 滝なんか見ても癒されるとは思えないし、銭湯はおっさんのチン毛が浮かんでいるし、マッサージ屋なんてAVでしか見たことがない。

 癒しコンテンツへの偏見が下劣すぎる。

 私の生活レベルの低さが浮き彫りになった。

 こんなことしか思いつかない生活レベルでは、癒しが手に入らないのも当然である。

 

 

 鬱屈な気分を晴らそうと、梅田のロフトへ行った。

 家具のコーナーをなんとなく歩いていると、「人をダメにする」系統のクッションを見つけた。

 試しに抱いてみる。

 

 クッションは布製だとは思えないほど、肌にねっとりと絡みついてきた。

 一種の生き物だと錯覚するほど、もちもちである。

 これはいけない。

 

 値段を見ると、3000円ほどだった。

 やはり、癒しにはお金がかかる。

 定期的にロフトを訪れることを胸とクッションに誓い、私はその場を去った。

 

 だが、後から思い返せば、あのクッションには何人が抱きついたのだろうか。

 その中にはおっさんもいるに違いない。

 癒しに飢えたおっさんと私の姿が、なんだか重なったように思えた。

 

 20歳にして、この癒しへの飢え具合。

 金こんにゃく氏の将来は、果たして。