きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

サピエンス前震

6/19 雨

 

 地震が起こってから丸一日が経った。

 倒れた本棚を片付けたり、部屋の高所にある荷物を下ろしたり、避難所などの情報を確認しているうちに、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 

 本当はこれら全て、地震が起こる前にしておくべきことだったのだ。

 私たちはあまりにも不準備すぎた。

 せめて、次に来るかもしれない大きな余震には備えておこう。

 

 こうした準備をある程度終えてから、私は学校に向かった。

 地震速報があてにならないというのは結構な恐怖で、家にいるときも、電車に乗っているときも、胸中に不安がわだかまっていた。

 

 今は運良く関学に着くことができたので、こうしてブログを書いている。

 今回の地震は本当に不幸中の幸いだらけだった。

 家族や飼い犬の全員が無事で、失ったものが食器とタブレット端末だけだったのは大きい。

 家族を亡くした方の悲しみは、計り知れない。

 

 

 今回の地震は、私の災害への見方を永久に変えてしまったかのように思われる。

 何にでも言えることだが、どんなに知識を得たとしても、一度経験すると、それへの自分の視点は180度変わり得る。

 今回は、たまたまそれが地震だっただけだ。

 

 私の場合、心理学でもそうだった。

 最初は精神分析だったり、錯覚だったりが心理学の主流だと勝手に勘違いしていたが、実際はより多様な世界だった。

 

 偏見という狭い世界から一度投げ出されてしまったら、もう二度とそこには戻れなくなる。

 今はただ、心理学の世界には無数の論文が生えてくる草原と、未知の青空が広がっているのみである。

 

 

 だが、井の中の蛙が大海に飛び出したからといって、完全に無力なわけではない。

 私より先に、既に広い世界に挑戦したモササウルスや、リヴァイアサンといった類の人間が大勢いるからだ。

 

 彼らから学ぶことは多い。

 例えば地震では、今この瞬間も震度計に目を光らせて、メカニズムについて考察を続けている人たちがいる。

 

 彼らは本当に心強い。

 SNS地震学者の発信する情報は有益だし、自分のこれから起こすべき行動の指針にすることができる。

 まさに、「知は力なり」である。

 そういった巨人の肩に立ってこそ、私たちにもできることがある。

 その巨人でも敵わないのが、自然現象なのだが。

 

 科学はそこそこ発達しているはずなのに、人間はいつまで経っても自然には勝てない。

 むしろ、現在の都市は災害に対する脆弱性を孕んでいる。

 そこまで科学が無かった時代の方が、都市は災害に強かったのかもしれない。

 

 だからといって、ここで科学を否定することは馬鹿馬鹿しい。

 当たり前だが、脆弱性以上に科学技術は人類に貢献してくれたからだ。

 平均寿命、生活の便利さ、この文章を打ち込んでいるパソコンも、勿論テクノロジーの産物である。

 これらなくして、私たちは存在することができなかっただろう。

 

 だからこそ、私たちを私たち足らしめる科学で、自然現象に向き合うべきだと思う。

 打ち勝つことはできなくても、災害と共存することはできるはずだ。

 

 今回の地震でも、得るべき教訓は多い。

 交通網が麻痺した時にどう振る舞えばいいか、企業や大学といった組織が災害にどう対応すべきか、といったことはこれからも議論を呼ぶだろう。

 その議論の積み重ねが、より良い街づくりや、私たち自身の働き方にも関わってくる。

 そうすることで、私たちはより良い未来を生きることができる。

 

 

 未だ、状況は予断を許さない。

 いつ先日の地震に匹敵、もしくはそれを超越する地震がやってくるか、何もわからない。

 

 私たちに今できることは、過去の知見を活かして現在に対処することである。

 水や食料を備蓄し、避難に備えて身支度を整えておく。

 これだけで3日は一気に安全に過ごせるだろう。

 

 この記事を読んでくれている人に限らず、すべての人が安全にこれから過ごせることを祈る。