きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

身体どこからからだ?

6/28 曇り

 

 日焼け、ニキビ、メンタルヘルスの悪化、この悪循環が続いている。

 学校が坂の上にあるので、登校するだけで汗だくになるし、生産性がこの一日でストンと落ちてしまった。

 

 サマータイム的な感じで、早く寝て早く起きる生活にシフトすべきだろうか。

 もともと学校が遠いので、6時に起きる毎日である。

 

 これ以上早起きしてしまうと、何か悪影響がありそうだ。

 塾講師のバイト中に眠くなる、とか。

 それほど悪影響でもないか。

 

 

 昨日は、CiNetという人工知能脳科学の研究機関が毎年開催しているシンポジウムに行ってきた。

 

 マツコロイドでおなじみの石黒博士を始め、新進気鋭の若手研究者まで、個性豊かな人たちが最近の研究をわかりやすく伝えてくれた。

 良い点や反面教師的な意味も含めて、プレゼンの方法のいい勉強になった。

 

 プレゼンが上手い人は、聞いていて全く冗長に感じない。

 前提知識もあっさりと、それでいて的確にわかりやすく伝えてくれているし、時折挟まれるジョークも面白い。

 私もいつかはあの境地に至り、それを越えていきたいものだ。

 

 シンポジウムが終わった後は、TwitterでフォローさせていただいたN高校の人と大変面白い話をしながら駅に向かった。

 基本コミュ障なので声をかけるのには勇気が必要だったが、それがいい方に向かったので良かった。

 

 彼と大阪駅で別れた後調べたところ、どうやら彼は『1000円VR』というプロジェクトをやっているらしい。

 

1000yenvr.com

 

 具体的には、認知症の高齢者にVRを使って症状の改善を図る、というものだ。

 

 回想療法という、認知症の方に昔のことを思い出し、それを語ってもらうことによって記憶力を向上させる心理療法がある。

 これにVRを利用して、没入感を増幅させることにより、療法の効果をさらなるものにしよう、ということらしい。

 

 VRの医療方面での利用法は聞いたことがなかったので、なかなか興味深い話だった。

 

 私たちが発達障害視覚障害の方の視界をVRで経験することができる、という取り組みは以前から知っていたが、この利用法を見ると、VRには他にも様々な活用法がありそうだ。

 広場恐怖症の治療における曝露法や、PTSDの治療でよく用いられるEMDR法の簡易化にも使えるかもしれない。

 あるいは、新しい治療法そのものを生み出すことができたり。

 

 テクノロジーにより夢や可能性が広がるというのは、本当に素晴らしい。

 面白い時代に生まれてしまったものだなぁ、としみじみと思う。

 

 

 面白い話をたくさん一気に聞くと、想像が止まらなくなるというのは、私の悪い癖だ。

 映画を観に行った後なんかも、同じ様な感じになってしまう。

 

 その中でも、「どこまでが身体か」ということについては、昨日からずっと考えている。

 

 もう10年近く昔のことになるが、私は『アメーバピグ』というアバターサービスをやっていたことがある。

 

 当時(今でもそうかもしれない)、私はとんでもないクソガキで、アバターの顔を小汚いおっさんの顔にして、同年代ほどの女子を追いかけ回していた。

 おっさんのアバターが近づいてくると、それだけで可愛い顔をした女子のアバターは遠くへ逃げてしまう。

 それが可笑しくて、一日中女子アバターとの鬼ごっこに費やした日もあった。

 

 しかし、どうして女子アバターはおっさんアバターから逃げたのだろうか、と今になって思う。

 

 VRならともかく、画面に映っているアバターは二次元上の存在であり、いかにもなアニメ顔をしている。

 義肢や義足を自分の身体の一部と考えるのはまだ分かる。

 だが、アバターはあまりに人間に似つかない。

 

 もしや、平面上のアバターにさえ、私たちはそれを身体の一部と思い込んでいるのでは? 

 そう考えると、おっさんが近づいてきて逃げる女子の気持ちも理解できる。

 自分の身体の一部に「ぐへへ」とおっさんが近づいてきたなら、間違いなく女子は逃げる。

 私だって逃げる。

 

 当たり前である。

 誰も不審者に近づいて欲しいとは思わない。

 

 その不審者というのが、私だった訳だが。

 てへぺろ

 

 

 それはともかく、解離性障害という精神疾患がある。

 抑うつ感や不安並みにポピュラーな精神症状である離人感が元で、この精神疾患になってしまう、らしい。

 不安や抑うつ感が高じて、不安症やうつ病になるのと同じような感じである。

 

 離人感とは、自分を外から眺めているかのような離脱感のことを指す言葉である。

 嬉しすぎて夢のように感じる、なんかも離人感に入る、かもしれない。

 あとは、『不思議の国のアリス症候群』の時のアレも、離人感に当てはまるらしい。

 知らない人はググって欲しい。

 

 解離性障害の仲間には、強いストレスにより記憶が欠落する解離性健忘や、人格が複数存在してしまう解離性同一性障害など、摩訶不思議な精神疾患が目白押しである。

 

 そのような中、離人症性障害という精神疾患もそれらに負けず劣らず奇怪な精神疾患である。

 この精神疾患の主な症状は、自分の生活を外から観察しているような感じが長時間続くことや、自分が外界から切り離されているように感じることである。

 

 なかなかに理解が難しい。

 経験者の話などを見ると、「自分がロボットになったような気がする、生きる屍になったような感じ」とある。

 うーん? 

 

 ともかく、離人症性障害はそのような症状を伴う精神疾患らしい。

 ストレスによって発症し、認知行動療法が効果的だという。

 他の精神疾患に比べ、ストレスを取り除くと完全に回復するなど、難しい病気ではないらしい。

 

 この話のキモは、この離人症性障害が自分の身体をモノのように感じるということにある。

 義肢やアバターを自分の身体と感じるのとは対照的に、この離人症性障害は自分の身体さえ、自分のものと感じられなくなる精神疾患なのだ。

 

 これは「どこまでが身体か」という問題に対しての大ヒントに違いない!

 

 と思って調べてみたが、日本語のオープンソースの論文には関連するものが全くなかった。

 英語圏の文献も探せば、いろいろ見つかるかもしれない。

 

 離人感を感じている時の脳の活動を計測して、それを実験的に操作することができれば、「どこまでが身体か」という問いの答えへの大きな進歩になるだろう。

 さらに、このデータをVRに活用することができれば、リアルSAOはすぐそこに近づいているかもしれない。

 

 これは思いつきでしかないので、実際は多くの問題があるだろう。

 勉強不足感が否めない。

 時間があったら勉強してみよう。

 

 

 つらつらと妄想を述べていたら、文字数がいつもに比べて倍増してしまっていた。

 学校の課題もいくつか残しているのに、これはいけない。 

 今日はこの辺にしておこう、チャオ。