きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

短針はママのお腹の中

10/10 雨

 

 カフェ、読書、統計学

 

 私が最近よく訪れている淀屋橋というのは、大阪のビジネスの中心であり、多くのビルが立ち並ぶ街である。

 

 過去のトラウマを反芻しまくった結果、心が弱りきってしまった今の私には、こういった都市の雰囲気がなかなかに沁みる。

 いつの間にやら零れ落ちてしまった「生きる力」といったものを、この街が肩代わりしてくれているようで心地いい。

 

 都会には人の力が集まる。

 だから私は大阪も東京も、ちょっとだけ好きだ。

 

 名古屋はふつう。

 

 

 私は生来、物事を早く済ますのが好きだった。

 

 小学生の頃から、テストも宿題も、何もかも手っ取り早く終わらせることに執心してきた。

 体内時計から短針が抜け落ちたのか、と思うくらいには、せかせかと動き回っていた。

 

 もしや、完成度はともかく、人より様々なことを素早くこなせるということが、自分にお情け程度の優越感を与えてくれたのかもしれない。

 

 でも、それはいつしか「好きなこと」から「義務感」に変わってしまっていた。

 自分が好きで始めたことが、自身の考えや行動を縛る鎖になるというのは、私にありがちなことだ。

 

 「何事も早く済まさなければならない」という強迫観念は、長期間にわたって私を苦しませ続けた。

 

 皮肉なことに、高校生の頃にひたすらボヤーっと日々を過ごすことによって、この義務感は次第に薄まっていった。

 

 それでも、テストを解き終わったらさっさと退室したり、バイトが終わればすぐに帰ったり、似たような傾向は今に至るまで継続している。

 周りから見れば迷惑千万だと理解しているが、私がそれを止めても自分にメリットがあまりないので、こういった行動をし続けている。

 

 

 このように、何もかも人より早く終わらせたいと考えている反面、自分より早く物事を済ませる人に出会ったりすることが、日常のスパイスになっていたりする。

 

 特に記憶に残っているのが、大学一年生の時に立命館大学に心理学検定を受けに行った時のことだ。

 

 私は8教科受験だったが、問題をさっさと解き終えて退出しようとしたら、私が立ち上がるより先に、黒髪の麗しき美女が起立した。

 

 颯爽と教室を退出していく美女を眼前に、私は言いようのない爽やかさを感じた。

 その出来事から二年近く経った今でも、夏の京都の暑さとともに、美女の姿は心に焼き付いたままである。

 彼女の正体は分からないままであるが、それが更にミステリアスであり、そそるものがある。

 

 

 というか、ここまで書き終えて、自分がそれまで物事を済ませる早さにこだわっていないことに気が付いた。

 

 私は天才美少女キャラが単に好きであり、現実でのその出来事がただ単に食指に触れただけでは、と思う。

 『化物語』の戦場ヶ原ひたぎ、『めだかボックス』の安心院さん、『神様のメモ帳』のアリスなど、そういったキャラが個人的に好みなだけなのかもしれない。

 

 むしろ、そのような出来事でしか心動かされない私の感性とは。 

 

 ついでに、心理学検定は8教科全て無事に合格していた。

 この資格は、今では人に対してマウントを取ることに役立っている。

 

 まぁ、心理学をそれなりに修めた証明にはなるので、困ったときに役立ってくれるだろう。

 

 

 何かを素早くコツコツこなすというのは、それなりに気持ちの良いことだ。

 

 そういうことに集中しているときは無益な思考の蒸し返しをせずにいられるし、様々な嫌なことを忘れることができる。

 

 スラムダンクではないが、後から振り返って「俺はなんて無駄な時間を……」となることも無くなる。

 

 結局何が言いたいかのかと言うと、私は日記を書くばかりで、現在全く何のタスクもこなせていないということだ。

 進捗のない毎日である。

 

 動画を作らねば、統計の勉強をしなければ、発表論文を探さなければ、TOEFLの勉強をしなければ、云々をしなければ。

 

 強迫観念が舞い戻ってきた。

 ひゅるりーら。