きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

O

10/24 晴れ

 

 十三夜。

 まだ昇りきっていない、山吹色の満月がビル街に映えた。

 

 こういう時にカメラが手元にあればいいのだが、あいにく家に置いてきたままであった。

 10万円もした一眼レフは、日の目も月の目も見ることなく、埃をかぶって机の下で眠っている。

 

 それでも、何とか風景を形にして残しておこうと、iPhoneのカメラで撮っておいた。

 

 スマホで映した月は、ひどくぼやけていた。

 どうして、スマホのカメラはこうも天体に弱いのだろうか。

 

 気が付くと、周りを見渡せば大勢の人が立ち止まって空を仰いでいた。

 

 私も彼らと同じように、頭の中のセンサーに今夜の満月をしっかりと焼き付けておいた。

 パシャリ、と。

 

 

 迷走が激しくなってきたので、そろそろ自分の研究の原点を綴っておこうと思う。

 学部三年生のくせに、研究も原点もクソもあるか、という気もする。

 

 だが、いつか自分がどうしようもない精神状態に陥ったとき、帰ることのできる心の故郷的なものがあったなら、それは未来の私の助けになるだろう。

 特に、物事を始めてしばらく経ったらその動機を忘れてしまいがちな私にとって、原点を思い出すことは大切だ。

 

 なので、半ば自己満足だが、ここに書いておく。

 

 

 私は現在、動物心理学や比較認知科学を専門としている。

 

 その中でも、ヒトと動物の向社会行動に興味があり、さらに言えば動物全般に当てはまる『道徳』の法則に関心を持っている。

 分野の周辺領域としては、社会心理学・行動生態学ゲーム理論・応用倫理学・動物行動学・神経科学などを挙げることができる。

 

 領域が非常に広いので、勉強するべきことは多い。

 器用貧乏になりそうだ。

 

 

 もともと、私が道徳というものに最初に興味を持ったのは小学生の頃だった。

 

 多くの人が気にも留めない『こころのノート』を読みふけったり、何が善で何か悪かを暇があれば考えたりする、私はどこかひねくれた子供だった。

 

 今考えれば、直感的に物事の分別が付かない人間だったからこそ、そういったことに頭をフル回転できたのかもしれない。

 

 

 時は進んで中学生の頃、私は学校裏サイトを開設した。

 

 理由は単純で、同級生がどのようなことを考えているかや、どのような恨みを抱いているかに興味があったからだ。

 

 それを作った当初、掲示板の多くの書き込みが日陰者のものになり、クラスの人気者への恨み嫉みが殺到することを秘かに期待していた。

 宣伝をしたり、口コミで噂が広まったおかげで、裏サイトにはそれなりの人数が訪れ、次第に陰口が書き込まれるようになった。

 

 書き込みの発信元を様々な手段を用いて調べてみたところ、予想に反してクラスの人気者が同じく人気者を貶めるような書き込みをしている、ということが判明した。

 日陰者の書き込みは、むしろ少数だった。

 

 今となっては単なる黒歴史だが、当時の私には衝撃的な出来事だった。

 

 

 高校生の時、私はもともと薬学部志望だったが進路を変更し、近大の農学部公募推薦で合格した。

 そのまま農学部に進路を定め、食品メーカーなどに務めて、安牌な人生を送るつもりだった。

 

 しかしある日、河合塾をサボってマクドのコーヒーを片手に大川沿いを散歩していたところ、急に気が変わって心理学の方面を受験することを決めた。

 

 頭のねじがこの時に外れたのだと思う、多分。

 

 その後もなんやかんやあって、今の大学で心理学を学ぶことになった。

 

 

 大学一年生の頃は、臨床心理学や社会心理学に興味を持っていた。

 

 特に認知行動療法に惹かれており、不登校児の支援ボランティアをするなど、完全にカウンセラーになるつもりでいた。

 

 だが、気が変わるのは私の常である。

 

 臨床心理学について学んだり、不登校児と接するうちに、「自分が関心を抱いているのは不登校児を不登校児に至らしめたメカニズムなのではないか」と考え始めた。

 対人支援というより、いじめ行動が生じる仕組みといった方面に興味が徐々に移っていった。

 

 それに、当時の私は明らかに生き急いでいた。

 

 自分の身体で助けになることのできる人数は一生のうちに限られている。

 「それならば、基礎研究に従事することで、より多くの人のためになったほうがいいのでは」と思うようになっていた。

 

 

 生き急いだまま、私は某大学の三年次編入試験を受験した。

 

 試験が終わって面接で、私を取り囲む教授陣に「社会心理学を専攻して、道徳について解き明かしていきたい」と自分の関心を説いた。

 

 「どうやら、君は人というよりも、動物の面からそれを解き明かすことに関心があるように思えるなあ」と、それがある教授の第一声だった。

 

 その他もろもろの理由により試験に落ち、気が付けばその教授の言った通りに、私は動物心理学のゼミに入っていた。

 

 当時は全く知らなかったのだが、他のゼミに動物の援助行動を専門としている教授がおり、現在は2つゼミを掛け持ちする形で参加させていただいている。

 それなりに忙しいが、充実感もひとしおである。

 

 

 勉強してみると、比較認知科学はぶっ飛ぶほど面白かった。

 

 学習心理学のクールな論理と、認知心理学の大胆な論理が組み合わさっているようで、好奇心がそそられる。

 社会心理学との接点も多い。

 

 こういう、領域の垣根をあまり気にしない分野が私には向いているのかもしれない。

 

 

 その後、統計の授業で某教授に「ベイズ統計というものが流行っていますね」という内容のメッセージを書いて、出席票を提出したことがあった。

 

 すると、しばらくしてから「某大学でベイズ統計の集中講義があるので、参加してみてはいかがですか」という旨のメールが届いた。

 

 その集中講義に参加してみると、未知すぎる世界が広がっていた。

 なんだこれは、という感じだった。

 

 正直今でもあまり分かっていないので、勉強中である。

 

 ベイズで動物の向社会行動における認知モデルを作れるのでは、という考えが胸中にあるのみだ。

 認知モデルについてもあまりよくわかっていないので、これも未だに妄想の域を出ていない。

 

 学部の卒業研究では無理かもしれないが、大学院に進学した暁には、これらの手法もモノにしてみたいものだ。

 

 

 以上の経緯が、私の研究の原点になっている。

 

 道徳、もしくは向社会行動への疑問は結構昔から私の中にあるような気がする。

 それは道徳心が私に欠けているからかも知れないし、そうでないかもしれない。

 

 振り返ってみると、軸がブレブレな人生だ。

 今後もブレていくだろう。

 

 しかし、方法論や分野が変わっても、人間の道徳について知りたいという欲求は変わらないという自信がある。

 

 

 編入試験の面接のとき、動物のゼミを進められた際に、私は「もし、動物を研究の対象にするならば、人間と動物に共通する部分について探求していきたい」と返答した。

 

 ある意味、それは叶っている。

 

 とにかく、まだ研究者としてひよっこどころか孵化してもいない状態だ。

 

 謙虚に知識を深めていこう。

 原点を忘れずに。