1/16 晴れ
久しぶりに京都に行った。
私はたとえ日帰りでも、旅にはなんらかの目的をもって赴くタチの人間である。
無目的に旅行に行くのは、することが途中でなくなるので、あまりしたくない。
今回の大きな目的は、「フォーエバー現代美術館」に行って、草間彌生の作品群を鑑賞することだった。
どうもこの美術館、今年の二月の終わりに閉館してしまうらしい。
消えてしまったものにはいくらお金を払っても出会えないので、時間のある今のうちに行くことにしたのだ。
「フォーエバー」を名乗っておきながら閉館するというのは、皮肉なものだ。
20世紀初頭に書かれた『現代』を名乗っている本を見つけたときのような、なんとも言えないこそばゆさ。
『フォーエバー』と『現代』、いわば未来永劫と須臾であり、その性質は正反対のはずだが、どちらも陳腐な響きの言葉だ。
J-POPの歌詞に多用されているからだろうか。
「今この瞬間を片翼で駆けて永遠にしたい」的な歌詞は、確かによく聴く。
軽やかなメロディに反して、歌詞にあるこういった概念は、人間にはちと荷が重い。
「フォーエバー現代美術館」はやはりといった感じで、カボチャだらけだった。
おおまかな時系列に沿って彼女の作品が展示されていたので、作風の変遷を見ることができて面白かった。
ミュージアムショップに寄ったら、例のカボチャのオブジェが売られていた。
野球ボールほどの大きさなのに、二万円もするものがあったり、全体的に割高だ。
貧乏学生の身分では手が届かない。
カフカは『万里の長城』で、権力は距離に反比例して減衰していくことを示しているが、作品の価値だったり、作者の名声なんかはどこまで行っても衰えないようだ。
今でもモナリザは価値のあるものだし、ブラジルで作られたアートも、日本で作られたものとそう違わない評価を、私たちは作品に下すことができる。
なにか芸術作品を残せば、それを観覧する人に一目で自分の存在を印象付けることができる。
時間も空間も超えて、多くの人に自己表現をすることができる。
アートの持つ巨大な力の片鱗だろう。
美術館を出た後も、まだ日が暮れるまでは時間があったので、ひとまず喫茶店に向かった。
三条の小川珈琲という喫茶店で『異端の統計学ベイズ』(草思社文庫)を読んだ。
ここは、ゆっくりできるいい喫茶店だった。
次に京都に来たときのゆっくりプレイスにするのもよさそうだ。
今年は亥年であることを思い出し、遅めの初詣をしようと、イノシシを祀っていることで有名な護王神社に向かった。
三条から護王神社まではそれなりの距離があるので、色々考え事をしながら向かった。
京都に来ると毎回思うのだが、この街は人の通行量が本当に多い。
バスは多いし、車も多いし、歩行者も多いし、自転車も多い。
私は活気あふれる街が好きなので、そこまで悪い気はしなかったが、京都市に住むのは大変そうだなと嘆じた。
そうこうして歩いていると、古ぼけた金物屋を見つけた。
なんてことないありふれた金物屋だった。
だが、それを視野に入れた瞬間、唐突にあるイメージが頭に浮かんだ。
それは、自身が一生金物屋でぼーっと過ごすという、悪辣な想像だった。
そのような、見ず知らずの金物屋の主人に対して失礼な想像をしてしまったことに、少しの羞恥を覚える。
それと共に、このイメージは私にとって恐怖を抱かせた。
『5億年ボタン』のように、途轍もない時間を理不尽に一人ぼっちで過ごさなければならない。
そういった類の恐怖だ。
まったく、全国の金物屋に失礼だ。
そう思いはするのだが、やめられない。
私の悪い癖の一つだ。
毎度のこと、このような想像をしてしまったときは、その想像を良い方向に向かわせるよう努力している。
きっと、この金物屋には大手商社も持っていないような敏腕職人とのコネクションがあり、すこぶる質のいい包丁や鍋が相場より安く売られているのだ。
そして、京都中の料理人がこの金物屋に仕事道具を求めてやってくるのだ……と。
もちろん、事実は私には分からない。
本当にぼーっと金物屋をやっているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
村上春樹風の曖昧さをその場に残して、私は引き続き神社に向かった。
護王神社はこじんまりとした神社だ。
といっても、奥の方には立派なお社がでんと構えている。
「執心のない一年になりますように」と本殿に願掛けをしてから、その後におみくじを引いた。
人生の乱数調整だ。
結果は吉だった。
待ち人の箇所に目を移すと、「きたる」とだけ書かれていた。
これまで、一度も来てくれた試しがない。
透明な気持ちのまま、私は踵を返した。
そして、日記を書いている現在に至る。
マトモな日記を書くのは久しぶりかもしれない。
パソコンの隣に聳え立つ本の山が無秩序な違法建築のように見えたし、金物屋についての突拍子もない妄想を綴ったので、今回のタイトルは「机上の九龍」にしようと思った。
どこかの誰かと発想が被っていたら嫌なので、試しに「机上の九龍」で検索してみたら、知らないヤンキー漫画が出てきた。
これはセーフ、と謎の判断基準を持ち出して、これをタイトルにすることにした。
さて、次回の旅行はどこに行こうか……