きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

アレシボ・メッセージ

3/9 晴れ


 今日からipad proで日記を書き始める。「プロ」なので。

 

 小さめのキーボードは、手が大きい私にとって少し扱いずらいが、タイピングの練習だと思って我慢する。

 ipad自体、画面のサイズが11インチとコンパクトなので、電車の中など、様々なところで筆記作業を行えるようになったのは大きい。

 

 小説の執筆などができればいいのだが、大学院の試験や卒業論文の研究が忙しいので、その時間をとることができずにいる。

 

 夏以降は暇になる予定なので、様々なことをやるつもりでいる。

 小説執筆やお絵かきとか、動画制作とか、機械学習とか、作曲とか、やりたいことばかりだ。

 

 院試に受からなかったら、色々とヤバイ。頑張ろう。

 


 「人に何かを伝える」ということを、ここ最近はずっと考えている。

 

 文章でも会話でもそうだが、人に何かを伝えるのは難しい。

 

 日常的に、主にコミュニケーションのすれ違いによって、私たちは相手のことを勘違いしながら生きている。 

 

 外国人労働者をバカだと勘違いしたり、根拠の中に相手を否定するような感情を練りこんでしまったり。

 意思疎通の不全による面倒なことは、枚挙にいとまがない。

 

 だが、SNSひとつとっても、私たちは十分に意思疎通ができているとは言い難い。

 

 例えばSNS上において、自分は皮肉を込めてメッセージを発信し、相手にそれが皮肉だとちゃんと伝わると予測していたとしても、ほとんどの場合、相手は自分のメッセージが皮肉なのか本心なのかを判別することができない、ということがを示す研究が存在する(ここに引用を貼ろうと思ったが、研究がネットでなかなか見つからなかった。NTT出版の「新版インターネットの心理学」という本に詳細が載っていたので、興味のある人は読んでほしい)。

 

 ネットの文章だけの意思疎通は、現実場面での表情や会話の文脈など、相手のことを理解するのに必要不可欠な情報がことごとく抜け落ちている。

 

 そのような状況では、壊れるほど伝えても三分の一も伝わらない。

 純情な議論が空回りである。

 アイラビューさえ言えないでいるマイハァート。

 


 私は、人に何かを伝えるのが苦手だ。

 プレゼンも下手くそだし、全力で相手に伝えようとしても、なかなか言葉が届かない。

 

 大学生になってから、読書をはじめたお陰か、人の話を聞くのは幾分マシにはなった。

 知識が増えると、相手の話を理解するのが簡単になる。

 そのおかげで、ある程度は理解できるが精通しているものは何もない、器用貧乏な人間になってしまった。

 

 しかし、自分から意見を主張するスキルが鈍ってしまった。

 やはり、コミュニケーションはサボったら終わりだ。

 

 なぜ積極的に主張をしてこなかったかというと、したところで誰もマトモに取り合ってくれないし、人間関係が捻れて拗れて面倒くさくなるからだ。

 

 「お前が変なことしか言わないからだろ」という意見も勿論鋭く飛んでくるだろうが、私は結構世の中の倫理観だとかどうでもいいと考えている人間なので、常識だとかそういったものは差し置いて、自分の話を吟味してほしい、と思うこともあるのだ。

 まぁ、その度にこのようなことを言っても冷たい視線が突き刺さるだけだろう。損しかない。

 

 閑話休題

 

 主張はすればするほど上手くなる。

 

 別に細々と論理立てて意見を述べなくても、力強い(または聞き手が気持ち良くなる)主張をしていれば、味方も増える。

 

 私はそういうやり方は嫌いなので、このブログを長らく読んでいる方ならわかる通り、様々なことに、特に社会問題については、どっちつかずな意見しか述べていない。

 側から見れば、自分の意見を持たない軟弱者のようだろう。

 本当に恥ずかしいことだと思うが、仕方ない。

 

 ツイッターを見ていると、自分の主張で多くの賛同者を集めている人を度々見かけて羨んでしまう。

 

 このままではいけないと思い、最近私も自分の意見を頑張って主張するようにしている。

 当たり前のことを自分の主張ということにして、ダラダラと講釈垂れるだけでも、「お気に入り」や「リツイート」が貰えるので、感覚が鈍りそうだ。

 

 こうして一定の報酬が得られるのだが、そうなると攻撃的な意見が飛んでくるのが怖くなる。

 

 チンピラに絡まれることはそこまで恐れることではないが、相手がマトモなことを言っているとしても、それに自分がしっかりした返事を返せるかどうか、といったことが不安だ。

 反論が飛んでくることへのナイーブさが、なかなか捨てられずにいる。

 

 だからといって、面の皮が厚くなりすぎてもいけない。

 本当に大事なことは、「どっちつかず」なところに眠っていることが多いように感じる。

 それを考えていないと、すぐに自分の嫌っている人のようになってしまう。

 

 でも、そういう意見はウケない。

 主張がヘニョヘニョで、見ていて情けないからだろう。

 

 それでも、こういう所を懐で温めておくのは、大事だと思う。

 私一人が温かくしておいたところで、周りの人は気付かないし、何もかも無意味なのだが。

 


 だらだらと暗いことを書いてしまった。

 明日のTOEICのことを考えるのが嫌で、こういう日記にした。

 現実逃避には、やはり日記に限る。

 

 日本語で伝える力がないのなら、英語も当然ダメダメ。

 会話文は分からないし、英語は聞き取れないし、読むのは遅いし、明日は大火傷しそうだ。

 

 どんなに嫌でも明日は来てしまう。

 少しだけ英単語を復習して、今日はもう休もう。