きんこんぶろぐ

大学生の私が日々思うことを綴っていくブログ

憤懣ちんぽ

4/11 晴れ


 日記を書くのをサボっているうちに、新元号が「令和」になったり、wowakaが亡くなったりした。

 

 全ては移り変わるし、万物は流転する。

 

 梅田などの繁華街に赴くと、通行人の殆どが100年後には鬼籍に入っていることを考えて、なんだか笑い出したくなる。

 鉋で繰り返し削っていると、ぶ厚い木材もいつかは跡形もなくなってしまう。

 そういう風に、日常は擦り切れていくものなのだろう。

 

 ダ・カーポ・アル・フィーネ。

 死ぬまで繰り返し。

 


 文章を書くにも発言をするのにも、「他人の目線」を気にすることが増えた。

 

 冒頭のような、ものすごくネガティブなことを書くのにも、身近な人がこれを見てどういう反応をするのか、といったことが思い浮かんでしまう。

 

 ツイッターでもそうだ。

 自分の偏見をジャンジャン曝け出して然るべきなのに、中途半端な自己規制をしてしまう。

 

 もっと尖ったことが呟きたい。

 例えば、

 「奨学金を取っているのに、自分以上に勉強しない人に向かって絶叫してしまう。2マス戻る」

 といったツイートがしたかったのに、奨学金を取っているあらゆる人に失礼ではないか、なんていう雑念(正しい思考なのかもしれない)がぐるぐる頭を巡って、呟けなくなってしまうことがあった。

 

 「発言が非難されたのなら、正面から迎え撃ってやればいい」という考えと、「人間関係で面倒を起こすのに流石に懲りろ。自主規制すべし」という考えが、私の頭の中で互いに互いを喰らいあっている。

 そんな気分だ。

 

 なんだか、フロイト理論の“エス”と“スーパーエゴ”の関係のようで面白い(面白くはない)。

 


 でもやはり、他人の目線を気にせず、世の中の倫理観も殴り捨てて、様々な罵詈雑言を叫び散らしたくなる時もある。

 

 可愛いものでは、「もんじゃ焼きは吐瀉物!」とか。

 厳しいものは、まあ、彩り豊かにある。

 

 罵詈雑言というか、「他人の目線を感じながらも、勇気を持って何かを発信できるようになる」ということが、この日記を始めた理由の一つなのに、それを果たせていない現状はもどかしい。

 その勇気が蛮勇だとしても、思ったことを素直に表現できるようになりたい、というのが本心である。

 

 ビビリなので、それができない。

 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 


 表現の練習として、詩を書きたいな、と思った。

 最近、詩がマイブームである。

 

 茨木のり子最果タヒ、文月悠光など、まだ好みの作風もないので、色んな詩人の作品を覚束ない蝶のようにつまみ食いしている。

 

 直接不満を表現できないなら、詩を書くことで自身のフラストレーションを昇華させたい。

 

 とりあえず、詩の書き方でも軽く勉強してみよう。

 思わぬ収穫もあるかもしれないし。