きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

比較の獣になりたいの

6/3 晴れ
 身にならない日々。神経科学の勉強をしたり、英語論文のアブストラクトを和訳したり、それなりに勉強はしているが、何かが好転した実感はない。それでも、こういった行いが積み重なり、振り返れば過去の自分が幼稚に思える日が来ることを知っているので、漫然とそうしたことを続けている。

 必死こいて卒論を書いても、未来の自分はそれを馬鹿にすると考えると、鬱屈とした心持ちになる。そうしていても始まらないので、コツコツ卒論を書き上げる準備をする。他人の目線のみならず、自分自身のそれも気にするような臆病者になってしまった。がむしゃらにやっていくしかない。

 


 私は勉強をするとき、よく先達の上手なところを見習って物事を進めている。自分と誰かを他人から比較されることを恐れるのにもかかわらず、自分と誰かを自身の視線から比較することをよくする。

 比較する対象はどんな相手でもいい。日本を代表するような大先生でも、同級生でも、後輩でも構わない。先日訪れた日本認知心理学会なんかでは、どこかの大学の教授のプレゼンを見て、「先行研究は文章でなく、結果の図表をスライドに乗せて、それを口頭で説明すればわかりやすく伝わるのか」とか「研究のストーリーが一貫していてわかりやすい、聴衆への情報の取捨選択が上手くなされている」とか、自分に足りないものを数多く気付かされた。

 若干50歳の教授であった。きっと、若い頃より努力を続けてきたのだろう。洗練されたプレゼンをみると少し自己嫌悪に陥るが、この教授も一瞬でこの境地に到達した訳ではないと己を奮い立たせた。

 

 

 反対に、わかりづらいプレゼンからも学ぶことは多い。なぜ自分にとってそのプレゼンがわかりづらかったかを分析して、自分も同じ間違いに嵌らないようにすることが大切だ。こうして、日頃のゼミだったり、先輩の卒論発表会だったり、様々な場面で勉強させてもらっている。

 直感的にわかりやすいプレゼンが作れる天才でもないので、こういったことを続けているが、なかなか思うようにはいかないのが現状だ。「完璧より完成を目指せ」というマック・ザッカーバーグの名言(らしきもの)を念じて、卒論にも取り組む次第である。

 

 

 とりあえず今は、似たようなテーマで研究をした先輩の卒論と、個人的に読みやすいと思った同大学の修士論文の構造を見比べている。上手い修士論文は、序論で挙げられているキーワードがその人の研究に直結しており、雑味がなくスマートだ。このような点を自分の卒論に取り入れて、上手くやっていきたい。

 “上手くやる”というのが、いつも難しいのだが……

 


 ということで、最近の勉強面での気づきをここに記しておこうと思う。気づいたのはいいものの、うまく実践できていないことばかりなので注意されたし。

 


 PowerPointのフォントは最低でも30ポイント以上。A4に6枚スライドを載せる印刷方式で、老眼の人でも見えやすいように。


 略語が頻繁に登場する際、プレゼン中でも索引しやすいように、その略語のもともとの意味は強調しておく。もしくは、略語が登場するたびに口頭でその意味を繰り返し説明する。


 プレゼンの際はこれまでの研究 → その問題点 → 問題の検討(実験など)→ 結果から言えること(聴衆に持って帰ってもらいたいメッセージ)という流れを大切にする。簡単なことだけど忘れてしまう。悲しい。


 研究の結果に影響するような要因、自分の研究に活かせそうなこと、別の視点からの考え(e.g. Aという現象は行動学的アプローチ/認知科学的アプローチのどちらで説明するのが“シンプル”か?)、論理の飛躍、手続き上の問題等々を意識して、プレゼンを聞く。自ずと質問はそこから湧いてくる。


 知らないことをちゃんと「知らない」と言う。悔しさをバネに、わからなかったことは後で白目を剥きながら調べる。

 


書くのが面倒臭くなったのでここで止める。明日からも実験アンド実験だ。上手く、上手くやっていこう。