きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

やまいだれ

8/16 曇り


 台風が過ぎても快晴にならずにいる。「台風一過」とは何だったのか。大昔の慣用句やことわざが現実と当てはまらないのは、いつものことであるが。

 

 ツイッターで“子供の頃の勘違い”がトレンドに上がっていた。

 ここだけの話、私は「台風一過」を「台風一家」だと昔は勘違いしていた。「台風一過」という言葉を聞くたびに、ビッグダディ的表象がよく浮かび上がったものだ。

 

 近頃は大家族をテーマにしたテレビ番組も少なくなった。

 単純に視聴率がとれなくなったのか、観ていて痛快に思う大家族が減ったのか、ビッグダディがやらかした影響なのか、理由はよくわからない。

 

 大家族のことについて考えていたら、脈絡なく、ADHDには性欲過剰な人が多いという研究をふと思い出した。


https://www.psypost.org/2019/07/study-adult-adhd-symptoms-play-important-role-in-hypersexuality-and-problematic-pornography-use-53995


 他意はない。悪意はある。そのような想起だった。

 


 院試を前にして、谷崎潤一郎が足フェチであることや、“嵐”のメンバーの頭文字を一つずつ取ると「MASON」という信じるか信じないかはあなた次第な文字列になることといった、どうでもいい知識が溜まりつつある。

 

 近頃は院試の勉強ばかりで日常に変化が乏しく、エロゲをしたり音声作品を購入したりして、退屈を紛らわせているものの、胸の奥にある澱んだものは取り除けないままでいる。

 むしろ、これらの試みは悪影響でしかなかった。

 エロゲは祖父祖母以下家族全員にその存在がバレてしまい、それ以来叡智シーンはすべてスキップしているし、音声作品には女の子がゲップするシーンがあるなど、よくわからない事態になっている。

 そんなシチュエーションでも、股間マイケル・サンデルが反応してしまった自分が情けない。もう、チンコがピクピクミンだ。

 赤ピクミンは、火に強い。チンコピクピクミンは、溺れない(性欲に)。いや、溺れとるやないか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 


 そんな日常にも“癒し”というのはあるわけで、誰かと電話するときや、ツイキャスで好きなことをベラベラと語っているときなどは気分が晴れる。

 “人と話す”というのは結構大事で、新鮮な価値観や知識を摂取したり、気晴らしに効果的だ(ここで素直に「会話は楽しいから、楽しい」と言えず、人との会話に効率や意味を見出そうとしている自身に辟易している。意味の時空間的な占有から逃れたい)。

 なにかについて無邪気に語れるというのは本当にいい。まだ若いからこそ、許されているのかもしれないが。


 無邪気な知識や意見の表出について、最近は特に臆病になってきたように感じる。

 このようなブログを書くのにも、リアルやネットの友人・家族・立場が上の人に見られた際のリスクについて、冷静に勘定してしまう自分がどこかにいる。こういう考えは知識や自分なりの意見を持つごとに強くなっていき、この頃はいよいよ収まりが効かなくなってきた。ちょうど、乳首をいじればいじるほど敏感になっていくように、自分の知識・意見を大っぴらに表に出すことに臆病になってきている。

 このブログだって、カフェインでラリった勢いで、文字列をキーボードに叩き込んでいるに過ぎない。場面緘黙症のような、一種の病のように思える。

 このように真面目になったり、真面目であることが嫌になってジタバタしたり、そういったことをこのブログでは繰り返している。なんでだろうね。

 こういう青年期特有の衝動も、なにかに必要になったりするのかもしれない。その“なにか”の正体は掴めていない。そのうち、わかる気がする。

 


 こんな感じで、元気に(?)日々を過ごしている。

 本当は、今日は院試に備えて自分の専門についての知識を整理したり、心理学における概念の濫用について考えたり、そういったことをブログに綴ろうとしていたが、そんな気にはなれなかったので、このような日記になってしまった。「誰とでも対等に語れるような、そんな度胸と知識を身につけていこう」と決心した1日だった。

 はやく、はやく強くならないと……(ここだけ見ると、闇堕ち寸前のようで面白い)