9/8 晴れ
院試を終えて、安らかな時間を過ごしている。具体的には、モンハンをしたり本を読んだりしている。
いつまでもダラダラしているわけにはいかないので、今日くらいからカンデル神経科学を精読したり、英語のライティングの勉強をしようと思っている。
それと並行して、「将来どのように生きていくか」ということも真剣に考えなくてはならない。
院試に合格していたら、今後の研究の方針を決めなければならないし、不合格であれば、よりシビアな状況に陥る。
将来は重い。考えれば考えるほど気が滅入ってくる。
こういう、自身の未来の重量に耐えれる人というのはすごいなぁと、つくづく思う。
優秀な人は皆揃いに揃って将来の計画を立てるのが上手なので、私もそれを見習いたいが、彼らはそもそもどのような状況でも安定して生きられるという面もあるので、「なんだかなぁ」という感じである。
「優秀な人は未来に対して強靭」というか、私が未来に対して脆弱すぎるだけか。まぁどちらでもいいが、ズバリ実力の差により、この違いは生じているのだな、としみじみとした。しみじみしてる場合じゃねえ。
私は死人の書いた文章が好きだ。
リチャード・ドーキンスもスティーブン・グールドも好きだが、グールドの方が好きなのは、彼が死人だからだ。嘘をつきました。グールドの方が文体が好きだからです。
グールドは酒もタバコもしなかったが、ガンで亡くなった。確か、瀧本哲史も心臓だか何だかの不調が原因で、理不尽に亡くなった。モーツァルト・ヴィゴツキー・小林麻央・芥川龍之介などなど、若くしてこの世を去った有名人はやたらと印象に残る。
と、書いていて思ったが、私は別に死人の書いた文章が特別好きでもないらしい。
「じゃあ、なんでこんなことを書き始めたんですか?」となっちゃいますが。人は皆、不合理的信念の塊のような存在なので、それがほつれて飛び出てくることもままあるだろう。それがこれだ。This is it.
マイケル・ジャクソンも早逝の天才だ。好き。
「武器としての決断思考」「僕は君たちに武器を配りたい」と、本を2冊手にとってエスカレーターを降りていたら、国連の難民支援だかの人に捕まってしまった。
妙齢の女性にかなり長時間にわたり、ロヒンギャとかシリアとかの難民の現状を語られた。全て知っていたことなので聞き流した。
女性が漆のような艶のある黒目で、こちらを凝視しながら話しかけてくるので落ち着かなかった。
そのうち便意を催したので、お腹の調子が悪い旨を伝えてそそくさと店を去った。
善意に取り憑かれたような、そういう人は一定数いるが、彼らはどうしてこうもエネルギッシュなのだろうか。いや、エネルギッシュだからこそ、他人に目を向けたり、助けたりする余裕が生まれるのかもしれない。
所謂「卵が先か鶏が先か」というところなので、さっさと思考と切り替えてトイレを探しに行った。
探しに探して、阪急電鉄の駅構内に空いているトイレを見つけたので、ウンコをした(私はアイドルではないのでウンコをする)。
「“音姫”の対義語って“光王子”かな」と考えながら、お尻を拭いた。こういう思索の繰り返しが、いつか歴史を変えるアイデアを生むのです。
でも、“音姫”が「浦島太郎」の乙姫のもじりだということにたった今気づいて、別に“光王子”でもないな、となった。こうしている間にも、アフリカでは今チーターがトムソンガゼルの子供を追い回しています。苦しいね。
トイレでスッキリしたので、サンマルクに入って本を読み、この日記を書いている。そして、過去と未来の狭間に至る。
未来のことは書けないので、日記はここで終える。
一応、18時から友人たちとご飯を食べに行く予定だ。
それまでに地球が爆発してビックバンが起こるかもしれないが。でもさ、地球爆発したら一緒にお風呂入れないよ?(ANNYUI姉貴)
これで、おしまい。