きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

地中の天国

9/22 曇り

 

 新学期が始まった。といっても、履修している授業は1コマしかないので、どことなくダラけた日々を過ごしている。

 それでも、院ゼミの方にお邪魔させていただくことになったりと、色々と新しいことを始めている。

 

 かつてはネトウヨだったり、アメーバピグで荒らし行為をしたりと、薄汚い底辺中高生だった私が、このように真面目に研究しようとしているのは感慨深い。

 5年も経たずに、私の人生は一変してしまった。5年後に私がどのような景色を見ているか、少し楽しみだ。

 


 「純粋な悪意」というものについて近頃は考えを巡らせている。しっかりとした形にはなってないので曖昧になるかもしれないが、メモがてら、ここに記しておく。


 ツイッターを眺めていて思うのが、「こうあるべき」とか「こうあってほしい」のような、道徳規範そのものを一新しろ、みたいな言説がよく人気になる、ということだ。

 「性悪説に基づいて日本の会社は運営されているので効率が悪くなる」という言説があったとすれば、それは道徳規範を性善説の方へと転換していこう、ということを表しているように思われる。

 

 別に生産性だの仕事効率に限らず、フェミニズムヴィーガン等々、社会のあり方自体に疑義を投げかける運動は、道徳規範の改革みたいなことを掲げている。

 やはり、こういう言説は共感を呼ぶし、ごもっともであることも多いので、よく人気になる。働き方改革、男女平等、大いに結構である。

 


 だが、これらの道徳規範の改革を唱える言説が「純粋な悪意」に立ち向かえるか、と言われれば、首を傾げざるを得ない。

 ここで述べる「純粋な悪意」とは、男女平等のようなごもっともな思想を自覚的に真正面から否定し、破壊しかねない考えのことである。ミソジニーミサンドリーや容姿至上主義(ルッキズム)などがこれに当たる。もっと凡庸な例を出せば、シリアルキラー・強盗・誘拐犯でもいい。

 

 シリアルキラーは「人を殺してはならない」という道徳規範を軽々と乗り越えていく。それを抑止するための法律は、事後的な対応の手順書に成り果てる。

 シリアルキラーのような「純粋な悪意」は、幸いにも徒党を組むことは稀である。だが、もちろん集団的な「純粋な悪意」も存在する。

 

 気をつけてほしいことは、「純粋な悪意」イコール悪ではない、ということだ。

 


 ここで書くのに飽きた。

 まあ、こういう「純粋な悪意」を包括していかないと、まともに道徳規範をアップデートできないよ、ということを言いたかった。

 「純粋な悪意」の包括に成功したシステムとして資本主義や家父長制を、包括に失敗し分断を招いたシステムとして共産主義なんかを上げる予定だったが、知識不足だし眠いし、そこまでブログに本気になることもないだろう、と考え、ここらで止めることにした。

 

 

 徹底的に物事を論じる体力が私には備わっていないことに最近気づいたので、筋トレを始めた。最初は腹筋が20回もできなかったが、一週間経って45回はできるようになった。

 このまま毎日100回できることを目標にして、見事なシックスパックを身につけよう。

 涼しくなってきたのでランニングも始めたい。目指せ細マッチョ。

 

 余談だが、「純粋な悪意」を包括できなければ理想的な社会はたちまち輝きを失い埋没していく、との意味を込めて「地中の天国」というタイトルにした。全ておじゃんだ。

 元ネタとしては、lobotomy corporationというゲームに出てくる同名のアブノーマリティに由来するものなのだが。

 

 何だかんだ書いているうちに、低気圧による頭痛を抑えるためのカフェインが切れてきた。カフェインを再び摂取し、読書に戻ることにしよう。

 あぁ、専門外のことなど語らない方がいいと、脳髄の奥まで刻み込まれていたはずなのに。