きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

おっぱい再考

10/22 晴れ


 ここ数日は実験室に一日中籠ったり、ニフレルに行ったりした。
 一気に溜まっていた予定がなくなったので、がらんどうの気持ちでいる。数千万円の借金を返し終わったときにも、きっと同じような心情になるだろう。いや、そこまで追い詰められた状況に陥りたくはないが。
 何はともあれ、予定がなくなったのは助かった。飢えた農夫が穀物を胃腸に流し込むように、予定を頭に詰め込んでいくような生活はあまり好きではない。


 だが、一人の時間が少なくなりすぎると、なんだか辛くなってくる。
 だからといって、人と会わなさすぎるのも寂しい。我ながら面倒臭い人間だと思う。

 


 献血ポスターについての話題がよくタイムラインに流れてくるので、おっぱいについて考えることが増えた。

 「巨乳は性的か」とか、「おっぱいに対応する男性の身体部位はどこか」とか、ぼんやりと考えている。

 

 思い返せば、おっぱいについて考えるのは久しぶりだ。

 このブログを書き始めた3年前、おっぱいについて長々と書いたことがある。昔の私はおっぱいによく想いを巡らせていたらしい。きもい。


 http://kinkonnyaku.hatenablog.com/entry/2016/09/13/175247

 記事を読んでみると、最初から変なことを述べている。

 

 3段落目から「おっぱいというのは大きさ・形・他の身体部位とのバランス・乳首・谷間といった構成要素で成り立っている」とある(金こんにゃく, 2016)。

 どうやら、3年前の私はおっぱい要素還元主義者だったらしい。おっぱいを様々な要素に分け、それぞれについて分析することにより、真のおっぱいの姿が掴めると信じていたようだ。


 今の私はおっぱいゲシュタルト主義者である。

 大きさ・形といった様々な要素はそれ自体で独立するのではなく、要素の組み合わせが一つの総体を取ることでおっぱいになる、という考えを支持している。

 乳首だけ、谷間だけではおっぱいに成り得ないのだ。

 

 しかるべき音階が組み合わさってパッヘルベル「カノン」のメロディが出来上がるように、大きさ・形・本人の性格までもが組み合わさって始めて、おっぱいの姿を掴むことができる。おっぱいゲシュタルト主義ではこう考える。


 もちろん、これは現在の考えでしかないないので、思索を続けることでおっぱい行動主義やおっぱい認知主義、おっぱいプラグマティズムに考えを変更するかもしれない。

 献血ポスターの例なんかは、おっぱいプラグマティズムで論じることができそうだ。おっぱいプラグマティズムってなんですか? 正気に戻りました。

 


 話は少し変わるが、「おっぱいに対応する男性の身体部位は筋肉だ」という言説を見かけた。

 女性が性的な魅力を感じるのが男性の筋肉だから、というのが根拠らしいが、個人的には違和感がある。

 

 繁殖戦略が異なる分、男性と女性の身体部位の単純な比較はできないのではないだろうか。

 つまりは、「性的な魅力」自体の質が男女で異なるのではないか、という話だ。

 男性の筋肉は強さのディスプレイになるだろうが、女性のおっぱいは強さのディスプレイにはならない。

 おっぱいが大きいほど身体能力が高い、ということはない。

 

 おっぱいに近い男性の身体部位は、筋肉というよりむしろチンコではないだろうか。小さいとつらいし。

 合宿だったり、銭湯だったりに行くと、自分のチンコが小さくてつらくなる。

 その気になれば有意に大きくすることもできるが、お風呂場で常に勃起していると変態だと思われてしまいそうだ。こんなブログを書いている時点でピンチなのに。

 

 弁解しておくと、膨張率はスゴイのだ。p < .001なのだ。

 有意差が見られないよりはマシだと、自分を慰めている。

 


 3年ぶりにおっぱいについて長々と綴った。

 どこからか学術論文を引用してこようと思ったが、Ciniiで調べてみたら授乳の話がほとんどだった。

 さすがにおっぱいについて英語の文献を漁る元気はなかった。

 メラニー・クラインの「良いおっぱい・悪いおっぱい」の概念がどこかで論じられてそうだ、と思ったのだが……。気になる人は調べてみてもらいたい。


 ともかく、数千字にわたって語れるくらいに、おっぱいは奥が深い。

 皆さんも秋の夜長はおっぱいについて熟考してみてはいかがだろうか(別にしなくてもいいですよ)。

 

 それでは、おっぱい最高。