ふと、昔のことを思い出したので書く。
僕が高校生だった頃、言葉にできない、あいまいな関係を築いていた男の子がいた。仮に、ここではYくんとする。
彼は虚弱で、しかも勉強もできなかった。それに加えて、側から見れば根拠のない自信に溢れていて、少し虚言癖があった。宿題の忘れ物もよくしていたし、それを注意されてもいつもヘラヘラ笑っていたので、教師からの評判も良くなかった。
それが自然であるかのように、彼はいじめられた。「男子校ではいじめはない」なんてことが、さも真実のようにネットでは囁かれていたが、どこでもいじめは起こるものなのだと、僕は認識を改めるしかなかった。
そのような苦境の中でも、Yくんは孤独ではなかった。それは単に、彼がお喋り好きだったからだ。色んなクラスメイトに積極的に話しかけていたおかげか、決して一人ぼっちではなかった。
根拠のない自信に溢れている、というところにシンパシーを感じたのか、Yくんは特に僕にやたらと話しかけてくれた。
僕は話しかけられたら会話をする、というタイプの、あまり能動的ではない人間だったので、例のごとく、彼に話しかけられたら返事する、という風にしていた。そんなことをしているうちに、Yくんとは『そこそこ』に仲良くなった。
ある日の放課後、Yくんと二人で学校の近くにあるハンバーガーショップに行った。「学校の近くの飲食店は原則立ち入らない」というのが不文律になっていたが、実際守っている人は少なかった。それは僕らも同じだった。
注文を終えて二人で席に座り、あの教師はどうとか、このソシャゲが面白いとか、そういった他愛のない話をした。雑談をしているうちに、一体どういう流れか、「互いに秘密を明かしあおう」という話題になった。
Yくんが自分から秘密を打ち明けるのを渋ったので、
「実はオレ、立ちションしてるところを担任やった女教師に見られたことあんねん」
と、もったいぶるように告白した。
「それはヤバいな」
Yくんが半ば愛想笑いでそう言った。
「中学の時。これはまだ誰にも言ってないからな」
僕はYくんから面白い話を引き出そうと、ひと摘みほど追い討ちをかけた。
えー、と一拍。間を置いてから、「これはそんなに面白い話でもないけど」と、Yくんはぽつぽつと語り出した。
「……実は小学生の頃、いじめられてたことがあんねん」
「それは確かに面白い話でもなさそうやな」
僕は苦笑いした。高校だけなく、小学校でもいじめられていたことに同情した。
「持ち物に落書きされたり、蹴られたりもした」
「うわ、辛い」
「いや、でも、自分はいじめられても当然やと思ってるから」
Yくんは「『いじめはいじめられる方も悪い』ってやつ、あれホント」と、普段のヘラヘラした笑顔のまま続けた。それに対して、僕が何か意見できるはずはなかった。
「誰かに助けを求めたりせんかったん?」
「主犯格的な、俺をいじめてたヤツの親が自分の親と仲が良かったから、誰にも言えんかった」
それでも、と口を衝いて言葉が出そうになるのを堪えた。「親の関係なんてどうでもいいだろ」など、綺麗事に過ぎない。そんなこと、当事者である彼には百も承知であっただろう。
「……ストレスとか溜まったりするやろ?」
時間の感覚がわからないほどのシンドい沈黙があって、僕は苦し紛れに言葉を紡いだ。
「だから、ストレス解消してた」
「え、どんな?」
「バッタを道路の脇の草むらで捕まえて、小学生の頃やったから、そのバッタを車が走ってる方へ投げて、それが踏まれるのを観察してた」
平然と残酷なことを告げる彼に対して、上手く返事をすることができなかったので、「おぉ」とか、そんな中途半端なリアクションをしたのを覚えている。
「それで、ストレス解消」
「うん。触覚をちぎるとあまり動かなくなるから、それで逃げないようにして、車に轢かせてた」
若干引き気味の僕に対して、Yくんは形容しがたい、そんなにやけ顔をしていた。
少し周囲が気になって、僕は首の凝りをほぐす振りをして店内を見渡した。隣の席の主婦であろう人たちは、見るからに自分たちのお喋りに夢中になっていた。他のお客さんも賑やかに雑談に花を咲かせたり、一人の場合はイヤホンをつけて自分だけの世界に入り浸っていたりしていた。カウンターの方も、注文が完成したのや、ポテチが揚がったのを知らせる電子音がひっきりなしに鳴り響いていた。
大丈夫。僕らの話なんて誰も聞いちゃいない。自身にそっと、そう言い聞かせた。
「それで、いじめられてたとき、いじめてきた相手の家族とかと一緒にキャンプに行ったことがあってん」
Yくんは誰に尋ねられたというわけでもなく、唐突に語り出した。その時の彼の目には、自分の過去しか映っていないようだった。こちらを見据えているようで、それを気にも留めていないような、虚ろな目をしていた。
「自分をいじめてるやつと一緒に一晩泊まるなんて、そんなん最悪に決まってるやん?」
僕はうんうん、と頷くことで精一杯だった。
「キャップ場に着いたら、予想どおり、最悪やった。親に『子供たちは向こうで遊んできなさい』って言われて、遊具のあるエリアに行った。ひと気がなかったから、何人にも囲まれてボコボコにされたわ」
こちらから、彼の肩が細かく震えているのが見えた。胃腸に住み着いた蛇を力づくで吐き出しているような、そんな語り方だった。
「それで日が暮れて、夕方にはみんなでバーベキューをしよう、という話になってて、先に他のやつらは誰が先に戻れるか、みたいな競争を始めて、偶然、俺と主犯格が二人きりになってん。それで、そいつと一緒に親のところまで戻るハメになった」
彼の汚泥のような言葉は、堰を切ったように止まらなかった。すっかり、僕は彼の話に取り憑かれてしまっていた。
「なんでこいつと、とか他にもボロクソに言われた。あんま覚えてないけど」
「……それで?」
「それで、親の方へはずっと山道やってん。ガードレールから向こうは真っ暗でなんも見えんくらいの」
Yくんは強張ったような、引きつった笑みを浮かべていた。いつもの柔和な彼からは想像できない表情だった。
「で、ずっとおちょくったり、そんなことをしてきて、肩を殴られたときに、耐え切られんかった。ブチっときて、訳わからんこと叫んで、そいつに突っ込んでいった。そいつはガードレールの方までいって、バランスを崩して、そのまま、見えへんようになった」
「……」
「そのあと、そいつがおらん、って騒ぎになって、どこにいったか知らん? って聞かれたけど、わからん、って言った。泣きながら」
僕はぼんやりと、最近英語の授業で習った『ワニの涙』を思い出した。
「それからは、そいつは見つからんくて、学校でのいじめもなぜかなくなった。これで、この話はおしまい」
そう言って、彼はストローの入っていた袋をいじり出した。
「……そいつは結局どうなったん?」
「いや、まだ見つかってない」
何なら調べてみる? ◯◯キャンプ場。彼はヘラヘラしながら言った。教師に怒られているときと変わらない、いつもの彼の表情に戻っていた。
僕はおもむろにスマホを取り出そうとして、自分の手のひらが汗でびっしょり濡れているのに気付いて、またポケットにスマホを仕舞った。
その後は、また他愛のない会話に戻った。30分ほどだらだらしてから、二人別々の電車で帰路についた。
数ヶ月後、Yくんへのいじめはエスカレートして、彼は別の高校へ転入学していった。それから、彼とは一度も連絡を取っていない。きっと、もう会うこともないだろう、とも思う。
キャンプ場でのことについても、未だに調べられていないままだ。もしかしたら、いつもの彼の虚言癖なのかもしれない。彼が単に演技派だっただけ、ということもあるかもしれない。
それでも、彼のあの時の語りは、数年がたった今でも、しっかりとしたリアリティを伴って脳裏にこびりついている。
Yくんをいじめていた彼はどうなったのか。それは谷の底のみぞ知るところだ。
ここまで長々とお読みくださってありがとうございます。
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