11/6 晴れ
実験をしたり、妄想を書き留めたり、論文を読み読みしたり、好き勝手にいろんなことをやっている。
今日は朝から久々に芸術的な形のウンチを出産したのでご機嫌だ。一日の始まりに良いことがあると、朝から晩まで気分よく過ごすことができる。
そういえば、「朝の通勤・通学中に『ルージュの伝言』を聴くといい」というツイートを最近見かけた。
『ルージュの伝言』は確かに良い。家出少女の歌のはずなのに、なんだか自分が何らかの主人公であるかのような気にしてくれる。
自分が物語の主人公であるかのように日々を過ごすのは脳に良いと、茂木健一郎も言っている(ウソです)。
普段はモブモブしている私も、明日くらい『ルージュの伝言』を聴きながら電車に乗ってみようと思う。
ここ数日、自分の妄想をひたすら書き留めている。
精緻な世界設定を伴った妄想が興ったのは久々なので、全身のリンパをドクドクいわせながらキーボードを叩き続けている。しかも、書けば書くほど妄想が湧き出てくる。うおォン、俺はまるで人間妄想発電所だ(要出典)。
たかが妄想、されど妄想だ。何らかの役に立つかもしれないので、一応思いついた全てをメモしている。
妄想であれアイデアであれ、ポケーっとしてると直ぐに内容がどこかへ飛んでいってしまう。
鉄は熱いうちに打った方がいいし、チンポは勃っているうちにコいた方がいい。普遍的な真理だ(いつもこんなことを考えているわけではないんです。ここから出してください。出して。出せ!!!!)。
妄想癖との付き合いは長い。
小学生の頃は学校の授業がつまらなさ過ぎて、いつも妄想ばかりしていた。
最初は人気の漫画をベースにした可愛げのある妄想だったが、現代の禁忌・インターネットを手にしてから、妄想は老人の運転するプリウスのように加速していった。
『ひぐらしのなく頃に』から『新世紀エヴァンゲリオン』、『とある魔術の禁書目録』などなど、様々な世界で私は活躍したり、活躍しなかったりした。
最盛期では、妄想によって完全に視界が“ジャック”され、物語の世界に浸っているうちに一時間が経っている、なんてことはザラにあった。
今では考えられないが、当時は妄想の中での五感が現実の身体にもある程度反映されていた。
ステーキを食べる妄想をすれば、ぶ厚い赤身を噛みしめる食感や、そこから肉汁が溢れ出てくる感じまで、こと細やかに再現できた。きっと、精神的には非常にボーダーな状態だったのだと思う。
ただ、妄想をしまくったせいで中学校や塾での授業をほとんど聞けず、内申点がすこぶる悪くなり、それが男子校に入学する遠因になったのはご愛嬌である。人生に及ぼした影響はまったく可愛いものではないが。
そんなこんなで、大学生の今になって再び妄想が湧き出てきた。
流石に昔のように、五感を妄想にハイジャックされるということはなくなったが、物語の続きをスラスラと出力するくらいならまだ余裕だ。
書きに書きまくった妄想の世界設定を友人に見せたら、「小説にしたら良くね?」という話になった。「添削して欲しいならするで」と、彼もなかなか乗り気だった。
『小説家になろう』や『カクヨム』に投稿してみるのもアリかもしれない。
今こそ、3年に渡って続けたブログで培った文章力を活かす時だ。金こんにゃく先生の次回作にご期待ください。
ところで、卒論の進捗は?