きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

麻の小袖を着回して

3/22 曇り


 卒業式等々を終えて、大学院生活が目前に迫りつつある。

 最近は財布の中身をスラれたり、慢性的に便秘だったりと調子がよろしくない。気分転換に日帰りの旅行にでも行きたいが、新型コロナがどこで蔓延しているか分からない以上、迂闊な外出が出来ずにいる。

 目に見えないものに悩ませられるのはいつだって不快だ。それは平常時は人の気持ちだったり、親から借りた借金だったりする。これらには「自身を害するかもしれない」という共通点がある。見えなくて危ないものに人はとことん弱い。それを実感する毎日だ。


 新型コロナの影響で、楽しみにしていたイベントがことごとく無くなって憂鬱だ。既に中止になったものばかりではなく、申し込み済みの学会や待ちわびていた美術展までが、怒涛の勢いで危機に立たされている。

 こうなると、毎日にどんどんメリハリがなくなっていく。変化に乏しい、やけに滑らかな時間が何処までも続いているような感覚に陥ってしまう。

 そのせいで、「非日常」というよりむしろ「日常の劣化版」とでも形容すべき日々を過ごしている。完全に「非日常」となっていないのは、たぶん多くの人たちのお陰なのだろう。

 それでも、ハーバード大の実験室が閉鎖されたというニュースを見て、戦々恐々としている。同分野の学問をやっている私も、いつ同じ目に遭うかわからない。焦燥感の積もる毎日だ。


 こういう時、よく太宰治『葉』の最初の文章を思い出す。


 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。


 僅かなものにでも楽しみを見出していくことが、自分を生き存えさせることに繋がるのだと思う。

 今日はAbemaTVでFateの映画を見た。どうやら来週の土曜日に最新作が公開されるらしい。人の少ない映画館にでも観にいこうと思った。

 それまで、日常のタスクを地道にこなしていこう。きっとまた、楽しいことが待っているはずだ。

 麻の小袖を着回すように、こういう時にこそ、日常を素朴で楽しいものできたらな、と思う。