きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

新宿でのイベントとVRスケベ

2/18 晴れ

■□

 先日、新宿でVTuberに関する公開インタビューをおこなった。平日なのにも関わらず、ハコが満杯になるほどの来場者に恵まれ、議論も盛んで大変楽しい夜となった。あらゆる方面の協力者にあらゆる感謝を送りたい。

 

 この公開インタビューは主催しているVTuber批評誌の企画の一環としておこなったものである。

 VTuber批評誌を立ち上げようとした理由はいくつかある(自分は乗り気になれるような理由が3つ以上見つからないと、基本的に行動を起こさない)。

 

 一つ目は、文学フリマ東京に去年の11月参加し、こういうイベントで本を配ることが面白そうだと感じたから。

 もともと同人誌の制作に興味があったし、どうせやるなら早いほうがいいと思った。それに、文学フリマ、そして同人での批評本に勢いがあることを私の嗅覚が感じ取った。

 

 二つ目は、VTuber文化のアーカイブに意義があると考えたから。

 VTuber文化は儚い。企業がIPとして切り捨てれば、これまでのアーカイブはすべて消えてしまうし、個人勢の活動でさえ、10年後も痕跡が残っているかと考えると、それが保障されているとは言い難い。

 また、各時点でのVTuberに対する私たちの考えや感じ方も、ここ数年だけで見ても、大きく変わっている。これらを適宜記録し、まとめることは重要だと思っている。

 

 インターネットのエンタメが企業活動に覆われようとしている今のタイミングだからこそ、文化のアーカイブを始めるべきだとも思った。

 インターネットは確実に倫理資本主義から逃れることができない。

 「死」や「殺」といった字がプラットフォームから排除され、コメント欄は常にモデレーターが監視し、大地震が起きればVTuberは活動を自粛する。

 そういう流れがVTuber文化を覆いきってしまう前に、文化のアーカイブは開始するべきだと思った。これ以上時間が経つと、前のことを多くの人は思い出せなくなってしまうだろう。

 私は古き悪きインターネット文化に浸ってきた人間なので、そういう流れを「しゃらくせえ」と感じるのだが、アナーキーな思想とアーカイブを大切にする思想は両立すると考えて、活動していく所存だ。

 

 三つ目は、SNSでの議論にもう何も期待していないから。

 同人誌というメディアをVTuber文化のアーカイブの手段として選んだ理由がここにある。同人誌であれば、都合のいい一部分を文脈を無視して、誰かが切り抜くことは減るだろうし、そもそも手に取る人のリテラシーが高くなる。

 議論の過程も含めて本にまとめて、国会図書館に寄贈するなり、多くの人に広めるならダウンロード販売すればいい、と考えた。そういう手段をとったほうが、現時点でのVTuber文化への論考をまとめアーカイブするという目的にかなう気がした。

 SNSは議論が散逸するし、適当な言葉がソースなしに拡散されるし、アホのエコーチェンバーがカスすぎる。SNSでのあらゆる議論にもう私は何も期待していない。

 学問バーに参加して改めて感じたが、質の良い情報がリアルでの対面やdiscordサーバーに集合するという、サロン文化への回帰はもう避けられないと思った。

 

 真面目な観点からは、以上の三つの理由が大きい。他にも「誰もVTuber批評誌を作ってねえから」とか「VTuberしゅきしゅきピッピだから」とか、色々理由はある。

 インタビューの自動文字起こしを終えファイルを確認したら、文字数が9万文字ほどになっていて白目を剥いた。ぼちぼち編集作業と構成作業を進めていく。

 

 

■□

 "Virt A Mate"というVR向けのスケベソフトに触れてみた。

 個人ユーザーがVRのえっちな3DCGシチュエーションを作成し、配布しているので、それを取り込んで楽しむというソフトだ。日本人のプレイ人口は悲しいほどに少ない。

 

 もっと悲しいのは、VR空間内でさえ、自分が童貞すぎることを自覚させられたことだ。

 意気揚々とえっちな女体とディルドが置いてある空間に飛び込んだのだが、どの穴にディルドを入れれば良いのかわからない。数分間、女体にグニグニとディルドを押し込み試行錯誤するうちに、穴が開いて玩具が入り込み、「あっ、ここが穴だったんだ」と気づくことができた。初めてがリアルじゃなくてよかった。

 好奇心が湧いたので、「こっち側を突っ込んだらどうなるんだろう」と、ディルドの金玉側を穴に突っ込むと、想定より大きいオブジェクトの挿入に耐えきれず、女体が無表情のままガクガクと震え出し、しまいには何処かにぶっ飛んでいってしまった。

 スケベ心全開でVR空間に没入していたので、目の前の異常な光景に変な汗が止まらなかった。

 

 VRスケベソフト、かなり性教育に有用かもしれない。

 

www.youtube.com

新宿でのイベントとVRスケベ

2/18 晴れ

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 先日、新宿でVTuberに関する公開インタビューをおこなった。平日なのにも関わらず、ハコが満杯になるほどの来場者に恵まれ、議論も盛んで大変楽しい夜となった。あらゆる方面の協力者にあらゆる感謝を送りたい。

 

 この公開インタビューは主催しているVTuber批評誌の企画の一環としておこなったものである。

 VTuber批評誌を立ち上げようとした理由はいくつかある(自分は乗り気になれるような理由が3つ以上見つからないと、基本的に行動を起こさない)。

 

 一つ目は、文学フリマ東京に去年の11月参加し、こういうイベントで本を配ることが面白そうだと感じたから。

 もともと同人誌の制作に興味があったし、どうせやるなら早いほうがいいと思った。それに、文学フリマ、そして同人での批評本に勢いがあることを私の嗅覚が感じ取った。

 

 二つ目は、VTuber文化のアーカイブに意義があると考えたから。

 VTuber文化は儚い。企業がIPとして切り捨てれば、これまでのアーカイブはすべて消えてしまうし、個人勢の活動でさえ、10年後も痕跡が残っているかと考えると、それが保障されているとは言い難い。

 また、各時点でのVTuberに対する私たちの考えや感じ方も、ここ数年だけで見ても、大きく変わっている。これらを適宜記録し、まとめることは重要だと思っている。

 

 インターネットのエンタメが企業活動に覆われようとしている今のタイミングだからこそ、文化のアーカイブを始めるべきだとも思った。

 インターネットは確実に倫理資本主義から逃れることができない。

 「死」や「殺」といった字がプラットフォームから排除され、コメント欄は常にモデレーターが監視し、大地震が起きればVTuberは活動を自粛する。

 そういう流れがVTuber文化を覆いきってしまう前に、文化のアーカイブは開始するべきだと思った。これ以上時間が経つと、前のことを多くの人は思い出せなくなってしまうだろう。

 私は古き悪きインターネット文化に浸ってきた人間なので、そういう流れを「しゃらくせえ」と感じるのだが、アナーキーな思想とアーカイブを大切にする思想は両立すると考えて、活動していく所存だ。

 

 三つ目は、SNSでの議論にもう何も期待していないから。

 同人誌というメディアをVTuber文化のアーカイブの手段として選んだ理由がここにある。同人誌であれば、都合のいい一部分を文脈を無視して、誰かが切り抜くことは減るだろうし、そもそも手に取る人のリテラシーが高くなる。

 議論の過程も含めて本にまとめて、国会図書館に寄贈するなり、多くの人に広めるならダウンロード販売すればいい、と考えた。そういう手段をとったほうが、現時点でのVTuber文化への論考をまとめアーカイブするという目的にかなう気がした。

 SNSは議論が散逸するし、適当な言葉がソースなしに拡散されるし、アホのエコーチェンバーがカスすぎる。SNSでの議論にもう私は何も期待していない。

 学問バーに参加して改めて感じたが、質の良い情報がリアルでの対面やdiscordサーバーに集合するという、サロン文化への回帰はもう避けられないと思った。

 

 真面目な観点からは、以上の三つの理由が大きい。他にも「誰もVTuber批評誌を作ってねえから」とか「VTuberしゅきしゅきピッピだから」とか、色々理由はある。

 インタビューの自動文字起こしを終えファイルを確認したら、文字数が9万文字ほどになっていて白目を剥いた。ぼちぼち編集作業と構成作業を進めていく。

 

 

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 "Virt A Mate"というVR向けのスケベソフトに触れてみた。

 個人ユーザーがVRのえっちな3DCGシチュエーションを作成し、配布しているので、それを取り込んで楽しむというソフトだ。日本人のプレイ人口は悲しいほどに少ない。

 

 もっと悲しいのは、VR空間内でさえ、自分が童貞すぎることを自覚させられたことだ。

 意気揚々とえっちな女体とディルドが置いてある空間に飛び込んだのだが、どの穴にディルドを入れれば良いのかわからない。数分間、女体にグニグニとディルドを押し込み試行錯誤するうちに、穴が開いて玩具が入り込み、「あっ、ここが穴だったんだ」と気づくことができた。初めてがリアルじゃなくてよかった。

 好奇心が湧いたので、「こっち側を突っ込んだらどうなるんだろう」と、ディルドの金玉側を穴に突っ込むと、想定より大きいオブジェクトの挿入に耐えきれず、女体が無表情のままガクガクと震え出し、しまいには何処かにぶっ飛んでいってしまった。

 スケベ心全開でVR空間に没入していたので、目の前の異常な光景に変な汗が止まらなかった。

 

 VRスケベソフト、かなり性教育に有用かもしれない。女性の穴に金玉を突っ込むとブッ飛ぶ。そのことを実感をもって学ぶことができた。

 

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2023年銀こんにゃくが選ぶ面白かったコンテンツ

■ アニメ

 今年は副業のこともあって、アニメをよく観た。

 進撃の巨人、推しの子、葬送のフリーレン、水星の魔女、BLEACH無職転生鬼滅の刃、呪術廻戦、スキップとローファーあたりはリアルタイムで追っていたが、安定して面白かった。

 まだ観てないけど、ウマ娘 season3、君のことが大大大大大好きな100人の彼女、16bitセンセーション、PLUTO、天国大魔境はかなり気になっている。そのうち観ると思う。

 

■ 映画

 映画はあまり観なかった。劇場に行ったのはゴジラ-1、君たちはどう生きるかくらい。あと今年中に鬼太郎誕生ゲゲゲの謎は観に行くと思う。

 配信だとグリッドマンユニバース、ガーディアンズ・オブ

ギャラクシーVol.3あたりはべらぼうに面白かった。

 まだ公開の見通しは立っていないが、オッペンハイマーも上映され次第観に行く。

 

VTuber

 ホロライブ・にじさんじ・ぶいすぽっ!・深層組・ななしいんく・ネオポルテ……箱に関係なくVTuberを視聴しまくった一年だった。あと赤見かるびなど個人勢も観た。

 大型企画だとV最Apex S5、V最valorant、にじさんじのスプラ大会あたりはべったり張り付いて視聴した記憶がある。

 儒烏風亭らでん・小森めと・空澄セナ・周防パトラ・ましろあたりの雑談が面白かったのでよく作業がてら聴いていたと思う。

 最近だとVCR GTA2の胡桃のあの泥酔配信、シスタークレアのアホほど沼ってるピクミン、星川サラの恋愛研究所はリアタイしていてクソ面白かった。

 出会いあれば別れもあり、好きだった大浦るかこが引退して悲しい一年でもあった。勇気ちひろとかも引退するしなぁ。

 

■ 実写系配信者

 はんじょう・加藤純一・おにや・ゆゆうた・よしなま・バトラ・k4sen・スタヌ・布団ちゃん・おおえのたかゆき・すもも・たいじ・へしこ・naohiro21・マスタードあたりはムチャクチャ観た。

 えぺまつりとか、CR CUPとか、SF6の大会とか、大型コラボ企画も見まくった。

 naohiro21のスト鯖RUST、へしこのVCR GTA、はんじょう・加藤純一らの狂気山脈は腹がちぎれるほど笑った。

 年末の予定だと、第二回はんじょうラップ選手権が楽しみすぎて仕方がない。

 

e-sports

 ApexはTSM・RIDDLE・FC Destroyを、ValorantはZETA・MRGを、スマブラかになべ・うめき・ミーヤーを応援した。来年はSF6とかも観戦したい。

 

■ 音MAD

 MDM天、ElevenLabsによるAI動画、布団ちゃんMAD、ゴートゥー大都会・人マニアの音MADなんかを漁った。25歳にもなっていまだに音MADを見続けているとは思わなかった。

 

■ 音楽

 文藝天国・NEE・People1・ネクライトーキー・King Gnu・米津玄師・星野源サカナクション・YOASOBI・ズーカラデル・クリープハイプ・Tele・秋山黄色・harhaあたりを聴きまくった・

 あとボカロ全般・長瀬有花・藍月なくる・メガテラゼロ・VTuberの歌ってみた系から、花譜やヰ世界情緒のようなバーチャルシンガー、界隈曲まで色々聴いた一年だった。

 

■ 読書

 今年もなんやかんや300冊くらい本を読んだ。

 千葉聡「招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠」、マーカス・デュ・ソートイ「レンブラントの身震い」など面白い本にも沢山出会えた。

 

  インドアなコンテンツでは今年はこんな感じ。書くことが増えたらジャンルごとにもう少し細かく書こうと思う。

 

 

俺ガチャ

9/16 曇り

 今日はゼミ内で卒業研究の発表会があった。学部生に混ざって、修士2年である私も発表した。初めてレーザーポインターを使ってみたが、なぜか発表開始3秒で電池が切れてしまい、活用することができなかった。トホホ。肝心の発表は大学院生以上のみならず学部3年生からも質問があったので、わかりやすく研究内容を伝えられたと信じたい。

 来月末には今年2回目の学会発表が控えている。それまでにデータを出し、上手くまとめることを直近の目標として研究を進めていく。学振のことは、考えないようにする。

 

 「親ガチャ」なる言葉がツイッターでバズっていた。言葉の意味については述べるまでもないだろう。いわゆる「毒親」持ちの人は自身の境遇を「親ガチャに外れた」と思うだろうし、そうでない人は「親ガチャなんて言葉、自分の親に失礼だろ」と憤るかもしれない。というか、そういうツイートばかりが目に付いた。

 こういう問題は、つまりは偶然性にまつわるものなのだと思う。私たちは自分の意志のみならず、偶然性が絡むことにより現在の境遇に置かれる。つまりは、学振に通るかどうかは「学振ガチャ」であり、晩ごはんに何が出てくるかについても「晩ごはんガチャ」なのだ。今日の夕飯はホッケの塩焼きとお味噌汁と大根の煮物に、デザートで梨までついてきた。晩ごはんガチャはSSRだ。学振ガチャは、う、うううう頭が。

 偶然性が絡む問題は、学歴とか運動神経とか、そういうトロフィーが対象になると一気に話がややこしくなる。個々人の能力や環境がガチャで決まると一度考えれば、恵まれなかった境遇に対する怨嗟が渦巻くことになる。残酷なことに、こういうガチャはたいてい一回きりか、多くても2、3回しか回せない。回してしまった後は、どんなに藻掻いても「今ここにいる私自身」しかいない。ショーペンハウアーの言葉を借りるなら、「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する」ということだ。

 

 

 

 

 

 

僕さボクサー

11/15 晴れ
 久々に日記を書く。長文を書いたり、論理的に物事を考えたりする力が明らかに落ちているのを感じる。

 瞬発的に行動して、それが祟って失敗をする、ということを近頃は繰り返していたので、今日から一挙手一投足をよく考えるようにしたら、頭の右側が痛み始めた。一体どうしちまったんだ、と我ながら思う。


 私は日記を書かなければ、人間として腐ってしまうタチなのだと、このところ思うようになった。きっと、ウンウンと悩みながら、思考を文章として捻り出すこの作業が、私の知力を下支えしてくれていたのだ。

 修論という重労働に向けて、試合前のボクサーが身体を搾り上げていくように、日記によって文章を構成するトレーニングをしていこう。といっても、普段通り取り止めのないことばかりを書くのだが。
 


 漢字の読み間違えが酷いことを強く自覚するようになった。直近の例を挙げれば、「その期に及んで」を「そのきにおよんで」、「金を湯水のように使う」を「かねをぬくみずのようにつかう」と間違えて読んでいることを指摘された。

 ちょっと前までは「字幕」は「じぼ」、「簿記」は「はくき」だと思っていた。まさか、「ぼき」なんて破廉恥な響きをもつ言葉が、大学生の間で日常的に用いられていることなど、誰が想像できようか? 「ぼき」なんて、一人称のバグったオタクか、お、ぉちんちん……(照)にしか使わない言葉だと思っていた。これらの読み間違えは、いずれもボクサーの右ストレートのように強烈なショックを私に与えた。


 私は本をよく読む方だと自負している。それでも酷い読み間違えをしてしまうのは、漢字というものが別に読めなくても意味が類推できてしまうせいなのだと推考している。

 小学生の頃から勉強をサボって、漢字の読み書きをナアナアに済ませてきた結果がこれだ。なんとなく知らない単語も、漢字から意味を類推し、適当にやり過ごしてきた。そのツケを成人してから払い続けている。


 知らない言葉は逐次調べる、というのが今日から始めた習慣のもう一つだ。街路樹を縫うようにしてフットワークの鍛錬に励むボクサーの如く、日常的な習慣によって読み間違いや知ったかぶりを無くしていければ、と思う。

 実際、「鍛錬」を「きんれん」と読んでいたことに、今気づいた。電気の紐でシャドーボクシングをするボクサーのように。階段を昇り降りするボクサーのように……。

 

蛙化現象とアイスクリームシンドローム

9/10 晴れ

 書いた論文がレビューに回った。初稿はショートペーパーとして昨年の10月に書き終えていたのだが、追加で実験や分析をしているうちに、立派なフルペーパーが出来上がった。結果として、初めての論文として胸を張れる出来栄えになったので満足している。来るべきリバイスも頑張っていきたい。

 

 皆さんは「蛙化現象」という言葉をご存じだろうか。蛙化現象とは、異性が自分を恋愛対象として見ていることを知ったときに、相手に興味を失ったり、気持ち悪く感じてしまう現象を指す言葉である。私の嫌いな言葉ベスト10に入る言葉だ。

 余談だが、1位はダントツで「もっと怒るべき」だ。この言葉を見るたびに「手前に感情を決められる筋合いはないわ、ヴォゲが」と内心思っている。扇動的な連中がよく使う言葉であることも、嫌われポイントが高い。

 

 私はこの蛙化現象というものにトラウマを抱いている。4年前のことだろうか。当時好意を抱いていた女性を食事にさそったところ、「私、男の人と二人きりで食事するの無理だから」と断られたことがあった。

 話が合う人だったのだが、そのことをきっかけに、会話がギクシャクするようになってしまった。蛙化現象という言葉を知ったのも、ちょうどこの時期だった。「好意を下手に伝えたから、関係が修復不可能になってしまったに違いない」と思い込んで、メソメソ悩んだものだ。

 しかしその後、その女性が宅飲みで同級生と熱烈なディープキスをしたという話を聞いて、「サシで飯は無理なのに、ディープキスはいいのかよ!」と私は荒れに荒れた。今では「まあ、そんなこともあるよね」と思うが、じくじく痛む記憶の一つだ。

 

 それから、女性へのアタックに信じられないほど奥手になってしまった。相手との相性を確かめるのに1年間。相手の好意を確かめるのに数年間、という有様だ。このせいで、産まれてこの方マトモな恋愛にありつけたことがない。すべて、自分の自業自得なのだが。

 なんというか、相手の外堀を埋めていたはずが、埋めすぎて気が付けば塀が完成し、余計に攻めづらくなってしまうのだ。そして、現状に満足してしまって「快適だし、もうここに住もうか」と塀の脇に家を構えて安住してしまう。現状が変わることを極端に恐れてしまっている。

 

 スキマスイッチの「アイスクリームシンドローム」という歌がある。これは本当に歌詞が良い曲で、蛙化現象という概念を恐れる私を「このままではいけない」という気にさせてくれた。ここに一部歌詞を引用する。

 

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もう何年演じているんだろう 親友としてのキャスティング
距離感はいいんだが でも本音を言えばツライや

相談しやすいっていうけど いつも君の恋愛トーク
微妙な心の中 バレないようにして

この目の奥に映っている笑顔を 僕だけのモノにしたいんだ
どうにか焼き付けられないかな

そっとファインダーを覗いたら
想像よりずっとずっと遠くに君がいる気がした
いつかは誰かと消えていってしまう
見上げれば青い空真っ二つに割ってくジェット機

遥か空へ 夏が飛んでいく
季節がもう 過ぎていく

 

 もう、全部の歌詞が良い。特に好きなのは下のフレーズだ。

 

友情って名前のシンドローム 出口のない永久迷路
動くのも怖いから 踏み出せないでいる

食べようとしていたはずのアイスクリーム ベタベタに溶けていたんだ
運命って待ってくれないんだなぁ

 

 私はもの見事にアイスクリームシンドロームに罹患してしまった。アイスクリームシンドロームの行きつく先は「孤独」であり、それは死に至る病である。

 アイスクリームシンドロームの特効薬は知っている。99%の関係を深める努力と、1%の現状を壊す勇気だ。理解はしているのだが、心と体が言うことを聞いてくれない。それゆえ、99%から最後の1%を超えられずにいる。この1%の跳躍が、できないのだ。

 

 蛙化現象とアイスクリームシンドローム。この二つが合わさって、史上最大の敵となって襲い掛かってくる。最近は恋愛について悩みすぎて、深夜2時まで眠れないのが日常的になってきた。

 解決策を探すついでに、最近気になっている「『非モテ』からはじめる男性学」という本でも買って読もうと思う。実は、店員さんにタイトルを見られるのが恥ずかしくて、なかなか買えずにいる。私、もしかして勇気なさすぎ?

 

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破壊・暴力・台湾まぜそば

9/7 晴れ
 ネズミとイチャイチャして疲れたので帰路についたら、電車が人身事故で止まっていた。なので、西宮ガーデンズの大広間のベンチに座って、この日記を書いている。
 お腹が空くと私は極右思想になるので、それを避けるために手頃なお店を探したら、「OIMO LAB.」という大学院生にぴったりのお芋屋さんを見つけた。そこで大学芋を買って頬張っている最中である。
 ふと、「大学芋」という言葉の響きが幼少期から好きだったことを思い出した。大学生になったら、帰りに大学芋を買うのが密かな憧れだったのだ。その語源を調べてみると、どうやら本当に東大前で売られ学生に人気だったことが由来らしい。こうして考えると、自分も東大生な気がしてきて、気分が良くなってきた。
 
 今朝は「神の杖」という実在が疑われているリーサル・ウェポンで、大阪とか西宮とかの全てを破壊し尽くす夢を見た。起きたとき、こんなに破壊衝動に苛まれていたのかとびっくりした。
 振り返れば、私はMinecraftでクリエイティブモードをするときは手始めにTNTを100個ほど爆発させるし、さらに昔はレゴブロックで巨大建築を作っては破壊をくり返すような子供だった。生まれ持ってのナチュラルボーン・デストロイアーだ。
 
 破壊衝動といえば、台湾まぜそばである。あの整列された色とりどりの具材を、暴力的にかき混ぜるあの瞬間が堪らない。あの行為には中毒性がある。もし、シューティングゲームや戦闘物アニメが「青少年の情操教育に有害だから」と規制される世の中になったのなら、次に規制されるのは間違いなく台湾まぜそばだと思う。
 あの全てをぐちゃぐちゃにする快楽を味わうために、先日も「いっちょう」という麺屋に訪れた。
 
 今年の初めに大腸検査を受けてから、油分の多い麺類を食べるとほぼ確実にお腹を下すようになってしまったのだが、そんなことはお構いなしに食べにいった。久々に食するまぜそばは、官能的に美味かった。
 
 電車が少しずつ動き始めたようなので、日記はここまでにする。最後の大学芋に竹串を刺して口に運ぼうとしたら、蜜に覆われた外皮をブチ破って、中の黄色い芋がショットガンから放たれたかのように、顔面に着弾した。
 こんな絶妙な気分のときは、NEEの「aLaLe」を聴きながら帰る。これを読んでいる皆さんも、ストレ解消に破滅的なメロディの曲をご賞味してみてはいかがだろうか。それでは、いい夜を。