きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:恋の始まり、童貞の終わり

9/21 曇り 

新学期スタート。彼女を今学期中に作ると高らかに宣言してしまった。その後、考えれば考えるほど自分の将来に暗雲が立ち込めているのが見えた。

フランスの哲学者アランは著書『幸福論』で「不幸になるだけなら椅子に座っているだけで十分である。幸せになりたいのなら行動を起こすべきだ」といったことを述べている。

そうしたほうが良いのは判っている。しかし、どういった風に行動を起こせばいいのか判らないのが童貞の童貞たる所以である。

 

 ギリシャ神話にアンドロギュノスという怪物がいる。二つの頭、四本の腕と脚を持ち、転がって移動する。

この怪物がギリシャ神話の主神であるゼウスに歯向かったため、ゼウスはこの怪物を二つに分けて力を奪った。

これがギリシャ神話での人間という存在の始まりである。

男と女はこの時より分離し、それゆえ互いを求め合うと太古の昔は信じられてきた。

 

 私が恋愛をするに当たっての致命的な弱点はここにある。

つまり、求めている相手が現時点でこの世界に存在しないということだ。

ただでさえウブな性格なのに、完全に目標を見失った状態で行動を起こすことはなおさら難しい。それゆえ、私は動けない。

なんらかの鎖に縛られている訳でもなく、ひたすらにだだっ広い不毛な地に放置されている理由から動けないのだ。

私にとっての恋愛とは、未だぺんぺん草も生えていないような荒涼としたものである。

 

 このような状況で一般感覚に近い恋愛観が育めるわけもなく、どんどん歪な方向へと自分の恋愛観がねじ曲がっているような気がする。

それでも、私はどこかに幸せの種が埋まっていることを期待して行動を起こさねばならない。

童貞プライドという蛹を脱ぎ捨て、可憐な蝶でも妖艶な蛾でもぶんぶん飛び回る蝿でも、なんでもいいから変身しなくてはならない時が来たのだ。

 

 ついでに、先ほどの神話にはオチがある。

それは、アンドロギュノスには男と女の合わさったものだけでなく、男と男、女と女が合わさったものもいるということだ。

自分が男と男のアンドロギュノスから生まれたものでないことを祈ろう。