きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

僕さボクサー

11/15 晴れ
 久々に日記を書く。長文を書いたり、論理的に物事を考えたりする力が明らかに落ちているのを感じる。

 瞬発的に行動して、それが祟って失敗をする、ということを近頃は繰り返していたので、今日から一挙手一投足をよく考えるようにしたら、頭の右側が痛み始めた。一体どうしちまったんだ、と我ながら思う。


 私は日記を書かなければ、人間として腐ってしまうタチなのだと、このところ思うようになった。きっと、ウンウンと悩みながら、思考を文章として捻り出すこの作業が、私の知力を下支えしてくれていたのだ。

 修論という重労働に向けて、試合前のボクサーが身体を搾り上げていくように、日記によって文章を構成するトレーニングをしていこう。といっても、普段通り取り止めのないことばかりを書くのだが。
 


 漢字の読み間違えが酷いことを強く自覚するようになった。直近の例を挙げれば、「その期に及んで」を「そのきにおよんで」、「金を湯水のように使う」を「かねをぬくみずのようにつかう」と間違えて読んでいることを指摘された。

 ちょっと前までは「字幕」は「じぼ」、「簿記」は「はくき」だと思っていた。まさか、「ぼき」なんて破廉恥な響きをもつ言葉が、大学生の間で日常的に用いられていることなど、誰が想像できようか? 「ぼき」なんて、一人称のバグったオタクか、お、ぉちんちん……(照)にしか使わない言葉だと思っていた。これらの読み間違えは、いずれもボクサーの右ストレートのように強烈なショックを私に与えた。


 私は本をよく読む方だと自負している。それでも酷い読み間違えをしてしまうのは、漢字というものが別に読めなくても意味が類推できてしまうせいなのだと推考している。

 小学生の頃から勉強をサボって、漢字の読み書きをナアナアに済ませてきた結果がこれだ。なんとなく知らない単語も、漢字から意味を類推し、適当にやり過ごしてきた。そのツケを成人してから払い続けている。


 知らない言葉は逐次調べる、というのが今日から始めた習慣のもう一つだ。街路樹を縫うようにしてフットワークの鍛錬に励むボクサーの如く、日常的な習慣によって読み間違いや知ったかぶりを無くしていければ、と思う。

 実際、「鍛錬」を「きんれん」と読んでいたことに、今気づいた。電気の紐でシャドーボクシングをするボクサーのように。階段を昇り降りするボクサーのように……。