きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

俺ガチャ

9/16 曇り

 今日はゼミ内で卒業研究の発表会があった。学部生に混ざって、修士2年である私も発表した。初めてレーザーポインターを使ってみたが、なぜか発表開始3秒で電池が切れてしまい、活用することができなかった。トホホ。肝心の発表は大学院生以上のみならず学部3年生からも質問があったので、わかりやすく研究内容を伝えられたと信じたい。

 来月末には今年2回目の学会発表が控えている。それまでにデータを出し、上手くまとめることを直近の目標として研究を進めていく。学振のことは、考えないようにする。

 

 「親ガチャ」なる言葉がツイッターでバズっていた。言葉の意味については述べるまでもないだろう。いわゆる「毒親」持ちの人は自身の境遇を「親ガチャに外れた」と思うだろうし、そうでない人は「親ガチャなんて言葉、自分の親に失礼だろ」と憤るかもしれない。というか、そういうツイートばかりが目に付いた。

 こういう問題は、つまりは偶然性にまつわるものなのだと思う。私たちは自分の意志のみならず、偶然性が絡むことにより現在の境遇に置かれる。つまりは、学振に通るかどうかは「学振ガチャ」であり、晩ごはんに何が出てくるかについても「晩ごはんガチャ」なのだ。今日の夕飯はホッケの塩焼きとお味噌汁と大根の煮物に、デザートで梨までついてきた。晩ごはんガチャはSSRだ。学振ガチャは、う、うううう頭が。

 偶然性が絡む問題は、学歴とか運動神経とか、そういうトロフィーが対象になると一気に話がややこしくなる。個々人の能力や環境がガチャで決まると一度考えれば、恵まれなかった境遇に対する怨嗟が渦巻くことになる。残酷なことに、こういうガチャはたいてい一回きりか、多くても2、3回しか回せない。回してしまった後は、どんなに藻掻いても「今ここにいる私自身」しかいない。ショーペンハウアーの言葉を借りるなら、「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する」ということだ。