きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:学祭恐怖症

11/3 晴れ 

 今日は人文演習のレジュメを印刷がてら、学祭に赴いてみた。結果、とても疲れた。

ほんの3時間、しかもほとんどの時間は日陰で過ごしていたのに、ここまで体力が減るとは思わなかった。今もヘトヘトになりつつ、ようやく図書館に逃げ込んで、日記を書いている。体力的な疲れというよりは、精神的な疲労感だ。このタイプの疲れはしつこく心に留まり続けるものだ。非常にタチが悪い。

 

 そもそも、なぜに私はここまで疲れているのだろうか。

まさしく、それは学祭に蔓延っている大量の売り子、そして学祭そのものの空気の所為だろう。

祭りの空気というものが、私は昔から苦手だ。人がやたら多い上に、連れに自分の声が届きづらくなるのが気に入らないからだ。

そして、売り子問題である。

私は何故だか知らないが、やたら顔が利く。この学祭ではそれが裏目に出て、多くの友人・知り合い・はたまた全く話したことのない同じ言語クラスの人にまで声をかけられてしまった。

コミュニケーション能力に難のある私にこれらの誘いをスパッと切り捨てることは困難であった。相手の方もそれを察してくれればいいものを、やたらとしつこく勧誘するのだ。

自らのサークルのために、売り子を頑張っているというのは物凄く伝わる。だからこそ、買ってくれそうにない相手からはさっさと身を引いて欲しい。そちらの方が、買ってくれる心優しい相手に巡り会える回数が増えてとても経済的だと思うのだが。全く学祭にお金を落とす気のないこちら側からしても、とても助かる。まさにwin-winの関係である。

 

 売り子状態の友人たちをできるだけ避けたい理由がもう一つある。

それは、彼らのテンションが普段より異常に高くて、一貫性に欠けているからだ。私はそこに恐怖を感じる。

彼らは一日中売り子をしたからか、それとも売り高を上げようとしているのか、もしくは学祭の空気に毒されたのかは分からないが、とにかく総じてテンションが高い。

売り子という行為が積極性を求められる行為だからだとは思うが、結構いつもは言葉数が少ない人でも、商品をハイテンションで売り込んでくる。決して彼らを責めているのではない。二回目になるが、頑張っているのが十二分に伝わってくるからだ。勝手に自分が恐怖心を抱いているだけである。

これらのことを頭では理解していても、謎の恐怖を私は感じてしまうものだ。これはなかなか説明のしづらい恐怖心である。女子高生が友達と談笑していて、「じゃあね」と別れた後に真顔で携帯を触りだすあの感じと言ったら伝わるだろうか?

一貫性に欠けるというのは悲しいことである。せめて、自分くらいは態度を一貫しておきたいものだ。

 

 そういや、人文演習のグループが同じ女子に「私は学祭で一銭も使う気はない」という旨のことを伝えたら、「え〜っ! なんで学祭に来てるの!?」と返された。私もできれば大学には行きたくなかったが、先述した通り人文のレジュメを印刷しなければならないという不可抗力が働いたのである。仕方のないことだ。

そもそも、大学に赴く本来の目的は勉学である。学祭の日であろうが図書館は空いているのだ。学祭の空気にキャンパスが包まれていても、大学図書館まではその本分を忘れていない。このやり取りに私立大学が持つ遊びの場・学びの場という二面性がギラリと光ったような気がした。

本を読み終えた後は、遊びの場と化した図書館から正門までの道を、どう売り子を避けて通るか模索することにしよう。