きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:花は枯れず

12/27 雨のち曇り 

 数ヶ月ぶりに須磨海浜水族園に行ってきた。水槽で悠々と泳いでいる魚を見ていると、何故だかわからないが、自分の行く末だとか死についてだとか深刻なことばかり考えてしまう。気分は沈むばかりで、全くリフレッシュにならなかった。

それでも、私は水族館という場所が好きだ。というより、生き物が好きなのかもしれない。イワシの大群や巨大なピラルクを見ていると、いかに自然が偉大かを実感することができる。実感することは最高の勉強法だ。久しぶりに頭が痛くなった。

 

 SMAPがいよいよ解散するらしい。昨日、テレビで「世界に一つだけの花」を歌っているところを見た。5人ともいつもより喉に力が入っているようだった。28年間お疲れ様、と上から目線でエールを送ってやりたい。

私にとっても、この歌は思い出深いものの一つだ。

まだ幼稚園児だった頃、卒業式で母を含む保護者がこの歌に合わせながら踊っていた。そういうものが卒業式のプログラムに組み込まれていたらしい。ぎこちない動きで踊る母の姿が頭の片隅にこびりついている。

私は幼稚園児の頃、どうしようもないクソガキだった。自然に関すること全てに関心を持っていたことはまだ良かった。しかし、関心で押さえておけば良いものを、好奇心が暴走したのか、バッタを道路に放り投げ車に轢かれるところを見て楽しんだり、カメムシを種類ごとにすりつぶして匂いの違いを調べたりと、当時の私は非常に行いが残酷だった。まだ子供だったから仕方ないとはいえ、恥ずべき黒歴史の一つだ。

 

 私が育ったのは、ちょうど世界に一つだけの花の「NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」という歌詞と共鳴するかのごとく、子供の個性がやたらと尊重されていた時だった。今でもそうかもしれない。

2000年代は本当に子供の個性が重要視されていた。その教育方針が果たして成功したのかどうかはわからない。それは今後10年ほどで明らかになることだろう。だが、自分をオンリーワンと思い込んでいる人が増えているのは確かだ。

周囲がオンリーワンだらけなので、さらにその中で己の個性に磨きをかけようとして迷走している人が大学によくいる。少し昔の私もそうだった。周囲から理解も得られないような趣味を一人でやりこみ、周囲から理解も得られないような量の本を読みふけってきた。その結果、手元に残ったのは、使いどころのない技術と無駄な知識だった。

オンリーワンを求めすぎて、気がつけば自分が得体の知れないものになってしまったように思えた。退屈と絶望感の隙間で身をよじってモゴモゴする日々をしばらく過ごした。

そんな時、自分の中にあるガラクタたちを改めて眺めてみた瞬間、一つのアイデアが思い付いた。「このガラクタたちでナンバーワンを狙えるのではないか?」と思い始めたのだ。生まれ持ったキチガイじみた好奇心でかき集めたガラクタたちは、突如として強力な武器へと変貌した。今ではナンバーワンを目指している。成功するか、行き倒れになるかはまだ分からない。

 

 自分語りのクッセエ日記になってしまった。これだから自分のことを語るのは嫌いだ。

オンリーワンだらけでは必ず皆揃って仲良く沈没していく。個性の沼から這い出るには自信をつけるか、ナンバーワンを目指すしかない。後者を目指せば前者も伴ってついてくる。それが、この短い人生で得られた教訓の一つである。

世界に一つだけの花」は枯れる。ナンバーワンの花は枯れない。ドライフラワーになったとしても、後世に名を残すことができる。それだけは間違いない。