きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

自分症スペクトラム

5/9 雨のち晴れ

 

 家を出る頃は雨が降っていたので、傘をさして学校へ向かった。

 大阪に着くと雨はもう止んで、西宮では空が晴れた。

 これが通学片道2時間の力である。

 

 起きている時間の結構な時間が通学時間に取られているという現状はかなりしんどい。

 この時間が私の狂気的な読書習慣の元になったのも確かだ。

 

 通学時間に論文が読みやすいように、タブレットの購入を検討している。

 予算を決めようとATMで残高を調べたら、四千円しか入っていなかった。

 焦ってもう一つの銀行口座も覗いてみた。七百円しかなかった。

 

 

 

 心理アセスメントの授業を受けていると、自分が自閉症スペクトラムではないかとヒヤヒヤする。

 

 いや、ほとんどの診断項目に自分は当て嵌まっていないし、むしろ国語の読解問題なんかは得意だったのだが。

 しかし、ところどころ自閉症スペクトラムの診断基準に心当たりのある項目が存在し、心中不安でならない。

 

 小学五年生の頃、壮年の女教師に「お前は空気が読めない」と言われ続けたことを思い出した。

 義務教育の時は本当に辛かった。

 周囲が見えない。

 他人の動きに興味がない。

 恋愛や結婚の良さを、言葉で説明することができない。

 この辺りの自分の性質は、自閉症スペクトラムにも当てはまるものである。

 自分は大丈夫ということは頭で分かっていても、なんだか落ち着かない。

 

 定型発達者の中でも、極めて自閉症スペクトラムに近いところに私はいるのではないか? 

 そう思えてくる。

 すると、誰からでもなく、「お前は異常だ」と後ろ指をさされているかのような気持ちになるのだ。

 

 

 どこまでを異常、どこまでを定型とするか、というのは臨床心理学を含め医学にとって切実な問題だった。

 

 医学では、病気に対する知見が確実に蓄積されてきたが、これは病気が目に見えるようになってきたということが大きいと思う。

 MRIといった検査機器の発展もこれに拍車をかけている。

 治療法は確立とともに、病気の分類も近年かなり進んでいる。

 

 これに対し、いわゆる『心の病気』はなかなか目に見えない。

 例えばうつ病は、本人が主観的に最近やる気が出ない、眠れないといった症状を判断することは可能だが、これを外見から判断するのは難しい。

 なので『心の病気』を可視化するために、質問紙やカウンセリングといったアセスメントが心療内科などでは行われる。

 

 ここで、異常と定型を分けるわけだが、この区分がなかなか難しい。

 DSM-4などでは、アセスメントによって得られた情報がどの診断基準に当てはまるかによって区分が行われてきた。

 これを病理的基準という。

 

 また、質問紙による検査でのクライエントの得点が±2標準偏差までを定型、これを超えると異常、という判断がなされてきた。

 つまり、人口の5%を異常とするのだ。

 これを統計的基準という。

 しかし、この統計的基準では、例えば日本には1000万人の予備軍がいるとされる糖尿病などを考えると、5%より多くの人が異常と判断されてしまう。

 

 そのため、統計的基準の他に、社会一般において大多数に支持されている価値観から定型・異常を区別する価値的基準、問題を抱える人が社会で主観的・客観的に適応できているかを判断する適応的基準といった判断基準が用いられる。

 

 これらの判断基準を考慮すると、病理的基準・適応的基準からすれば、私は定型ということになる。

 DSM-5の自閉症スペクトラムの診断基準を私は満たしていないし、社会から完全に孤立しているというわけではないからだ。

 

 反対に、価値的基準からすれば、私は定型とは言い難い。

 社会の大多数は私を異常と判断するだろうし、それに私も異論はない。

 統計的基準については、質問紙などをやってみないとわからない。

 

 これら四つの基準を総合的に見て、クライエントの定型・異常が臨床の場で判断される。

 私はギリ定型だろうか、わからない。

 

 

 臨床の場での、定型・異常の判断は本当に難しいと思う。

 極端な例だが、私の所属していたボランティア施設にいたカウンセラーは、ある同僚を自閉症スペクトラムっぽい」と公言していた。

 私はその同僚に一度会ったことがあるが、私が未熟なせいか、とてもそのようには見えなかった。

 この時、彼は定型・異常どちらになるのだろうか。

 

 定型と異常の境目が曖昧なのが自閉症スペクトラムの『スペクトラム』たる所以である。

 誰しも初対面の人には控えめな対応になる。

 さらに、勘違いから話が噛み合わなくなるという経験をしたことが無いという人はほとんどいないだろう。

 黒色はあっても、完全な白はどこにもない。

 ただ灰色の部分がどこまでも続いている。

 

 

 ツイッターで自分のことをADHDと名乗る人が増えた。

 

 彼らについて私は何も知らないので、知ったようなことは言えない。

 だが、ADHD傾向はあっても、完全にADHDという人は少ないと思う。

 ADHD自閉症スペクトラムと同じく、どこまでも灰色の平原なのだろう。

 

 そういった人たちにも、臨床心理学はどのように自分の特性と向き合っていけばいいのか、といった有用な知見を与えてくれる。

 自閉症スペクトラムADHDの人が生活しやすくなる仕組みは、彼らと同様に様々な個性を持つ定型の人たちの生活にも役立つのだ。

 

 

 人間誰しも個性を持つものであり、自らの個性によって自分が苦しんでいるのなら、それはどげんかせんといかんのだと思う。

 

 また、自分の個性は誰かの個性の延長線上にあるということを考えれば、人を見る目が変わってくるだろう。

 

 誰もが、灰色の広い平原で、自分を探して彷徨う存在である。

 架空の白を求めるより、黒い部分を見つめてそこに親愛を抱けたなら、世界は変わる。

 みんなスペクトラムの仲間たちだ。

 

鏡と見ゆる月影は

5/2 曇りのち雨

 

 多忙につき、しばらくブログを更新することができなかった。

 

 新生活もひと段落し、人生が好転し始めたので、精神的な余裕ができ始めた。

 空いている時間につらつらとパソコンに書き込んで、これからもブログ、もとい日記を継続していこうと思う。

 

 文字数がかさむのでここには書かないが、ブログを続けていると様々なメリットがあるものだ。

 メリットを感じている限り、ブログは続ける。

 

 

 最近、塾講師のバイトを始めた。

 

 講師の机に『サピエンス全史』が置いてあるような、意識が高めの職場に勤務している。

 『サピエンス全史』、確かに面白かったが、そんなに売れるほどか? とずっと個人的に思っている。

 

 まだ研修期間なので時給は安いが、講師になった暁には結構な給与が貰えるし、シフトも融通がきく好待遇である。

 友人たちには「あれだけ働くのが嫌だと言っていたのに」と散々馬鹿にされたり、呆れられたりしている。

 シンプルにお金が足りなくなったので仕方ない。

 

 できるだけ社会に貢献することがないよう、情熱無しサボりマシマシ真面目さカラメで働いている。

 塾講で稼いだ分は貯金して、本の購入や大学院の学費に充てよう、と考えている。

 実際は音ゲーに溶けそうだ。

 

 

 プライバシーが云々なので詳しいことは書けないが、私は塾講で現在、小学生の子供を教えている。

 中学受験を志しており、頭の回転も早いので、私としては教えるのがとても楽な生徒である。

 塾に来る前にも、様々な習い事を詰め込まれているので、塾で教えている最中に彼の集中が切れてしまうのが玉に瑕である。

 

 出会った当初は彼も緊張していたが、週に一回、何週も会っているうちに、私にもそれなりに心を開いてくれるようになった。

 

 

 「こんなこと勉強しても、何の役にも立たないのに」

 

 月の満ち欠けや天体の動きについて教えていると、その生徒はこのようなことを口にした。

 なるほど、終わりの見えない勉強に飽き飽きした子供が、必ず口にする典型的な台詞である。

 

 ここで世間の大人の代弁者のように、「勉強しないと立派なシャカイジンになれないよ」と言い聞かせるのも酷だと思った。

 

 なので、どうしてそんなことを言うのか問いかけた。

 心理学科特有の傾聴である。

 心理学は、結構役に立つ。

 

 するとポロポロと、締まりの悪い水道管のように、生徒は学校での不満を漏らし始めた。

 

 曰く、

 

 「授業での勉強をさっさと終わらせて、教科書の問題を先へ先へと解いていたら、教師に『そんなことをしていたらテストで100点を取れないぞ』と叱られた。意趣返しにテストで満点を獲得してやったら、教師に理不尽に怒られた」

 

 「学校の授業は進むのが遅い。ただひたすらに退屈」

 

 などと、愚痴をこぼした。

 

 

 そういった彼の話に頷いたり、空っぽな同情を示したりしているうちに、その生徒が何だか自分の過去と重なって見えてきた。

 

 小学校での六年間、私はただひたすらに退屈だった。

 最初のうちは教科書を先に読み進めるなどして、時間を潰していた。

 そのうち、限界がやってきた。

 

 その結果、私は授業時間のほとんどを空想遊びに費やすようになり、中学校での深刻な学力低下を招いた。

 

 小学校で私と成績を張り合った人たちは、いずれも旧帝大に進学した。

 あの退屈を勤勉に勉強で埋めたか、妄想で費やしたかによって、私と彼らの明暗が分かれた。

 全く、私の自業自得である。

 

 

 生徒はまだ退屈の霧の中にある。

 生徒の能力を妥当に評価しようともしない無能教師により、モチベーションは落ちつつあるが、まだ私のように妄想の泥濘に嵌ってはいない。

 

 「私立中学に入れば、いくら勉強しても文句を言われることもないよ」

 

 その場凌ぎに、私はこの言葉を彼に投げかけた。

 

 「まじ? そんなの勉強し放題じゃん」

 

 生徒は桃源郷を彼方に見たような表情をした。

 ああ、この子は単純に勉強が好きなんだな、と私は思った。

 勉強を『何かの役に立つ知識』で味付けすることなど、彼には必要なかったのかもしれない。

 

 それでも、真に彼が『何かの役に立つ知識』を求めていた時のために、今勉強していることがどのようなことに役立っているのか、講釈を垂れておいた。

 

 「太陽が光り輝く仕組みは、塾の教室や日本中に電気を届けている原子力発電所の仕組みと似ている」と、私は生徒に伝えた。

 少しばかり、彼は興味を持ったようだった。

 

 こう言う話は子供に結構効く。

 私も小学生の頃、科学に関する小話が好きだった。

 何なら今も好きだ。

 

 しかし、太陽は核融合原子力発電所核分裂、実際はほぼ真逆の仕組みである。

 そのことに彼が気づくのは、当分先のことになりそうだ。

 

 

 勤務を終えて塾を出る頃には、時刻は九時頃になっていた。

 自転車をこぎながら、小学校や、中学校の頃の自分の生活をぼんやりと思い出した。

 どういう視点から見ても、ロクな人生を歩んでいなかった。

 

 後悔は多いが、過去には戻れない。

 今の私にできることは、自分と同じ轍を生徒に踏ませないよう、知識を伝えてやることである。

 そうすることで、過去の自身に対して、ツケを払うことができるような気がした。

 

 「中学受験までは、それなりに真面目に教えてやるか」

 

 そのようなことを思いながら、私は帰路に着いた。

 夜の街を照らす月が、背中をずっとついてきた。

 

 

ラーメンつけ麺、僕ザーメン

4/10 晴れ

 

 新学期が始まった。

 精神状態は良好。

 

 ゼミの女子はキラキラしていて、チキンハートの私はすっかり萎縮してしまった。

 まあ、何とかなるだろう。

 

 そろそろ「デキるやつ」とやらになってみたいが、その機会も素質も無い。

 チャンスが来るまで、日々鍛錬するしかないようだ。

 「こいついつも鍛錬してるな」と自分でも思う。

 使い所がなければ、いかなる技能も無用の長物に成り果てる。

 動画作りも音ゲーもオチンポも、全てが無用の長物(短物)である。

 

 

 自分が生物だという事実に、最近は一周回って感心している。

 知識として「人間は動物」ということはわかっているのだが、それを実感するのは難しい。

 

 心理学というのは言わば「人間の生物学」という側面もあって、科学者たちは多くの実験から人間の動物性を明らかにしてきた。

 そのような学問をやっていてなお、私は自身が一生物であるという実感が湧かない。

 

 私に限った話ではなく、人は少し自分たちの知覚・認知の特性を当たり前のものとしすぎているのかもしれない。

 言葉を発する過程や、私たち自身の意識さえ、未だ解明されていないのだ。

 よく分からないものを当たり前のものとしながら生きている。

 これって結構凄いことだと思う。

 

 「私たちは、『コウモリである』ということはどういうことか、理解することができない」という有名な話がある。

 実際のところ、私たちは人間であるということがどういうことかさえ、分かっていないのかもしれない。

 

 

 心のような、目に見えないもの以外にも、私たちはよく分からないものを伴って生活している。

 

 野郎共の場合、その代表例は「精子」である。

 一つ一つは小さすぎて見ることができないが、白いゼリー状のものとして、これを見たことがない男は特殊な例を除いてまずいないはずだ。

 

 精子といえば、私たちはまずおたまじゃくしのような形を思い浮かべる。

 遺伝情報の詰まった丸っこい先端に、糸状のものをくねらせ前進する。

 このような姿が、一般的な精子の姿である。

 この程度の知識なら、男女関わらず知られていることだろう。

 生命の原初として、精子卵子とともに保健の教科書などで説明されている。

 

 しかし、従来までのこの精子像は、最近になって覆ろうとしている。

 低温電子顕微鏡断層撮影法という長ったらしい名前の新技術によって、精子が初めて立体的に撮影できるようになったのだ。

 

 これにより、精子のしっぽの部分(これを鞭毛という)の先端に、左巻きのらせん構造が存在することが明らかになった。

 この発見は今年の二月のことである。

 

 AIがなんだのビックデータがなんだの言っている間に、私たちは己の金玉に潜んでいる者たちの形さえ知らずにいたのだ。

 精子の形が判明したことによって、不妊症の治療に応用できることが期待されている。

 一見フケツな精子に関する研究も、世の中の悩めるカップルに貢献することができるのだ。

 

 

 私たちの存在も、元を辿れば精子である。

 私は時々、自分が精子であった時のことを夢想する。

 

 もし「私」の受精がワンテンポ遅れて、違う「私」が生まれていたのなら、彼は今の「私」よりも上手くやれていたのだろうか、と。

 

 「最速で受精した精子が一番優秀」なんて俗説は、少し考えれば嘘とわかる。

 ほんの少しの偶然で、受精の順番は容易に変わりうる。

 「私」が受精の順番を譲った方が、「私」はより良い人生を送れたのかもしれない。

 だが、仮定は仮定である。

 結局存在するのは「私」だけだ。

 

 一回の射精に含まれる精子の数は一億から四億ほどである。

 ありえたかもしれない無数のパラレルワールドを思いながら、私は精子を無駄撃ちした、ザーメン(アーメン)。

 

 

 こんなことばかり調べているからか、精子の研究施設を設立するためのクラウドファンディングの要望がメールで届いた。

 私は500円ほど、寄付しておいた。

 彼らが無事研究所を設立し、精子の謎について寄与することを願っている。

 

 精子について知ることは、私たち自身の理解にも繋がるはずだ。

 精子無くして人間は愚か、全生命の繁栄はあり得なかった。

 

 精子を経由し万物は流転する。

 らせんの鞭毛は回り回って輪廻を描く。

 その延長線上に、私たちは確かに存在しているのだ。

 

四分の一の永遠

4/8 曇り

 

 大学二年生の春休み、最終日。

 四月になって私は三回生になったが、授業の開始までその実感が伴うことはなかった。

 明日からはまた、当たり前の日々が始まるのだろう。

 

 編入試験の失敗が私の気づかぬところで心身を蝕んでいたらしく、この春休みはずっと疲れていた。

 四月に入る頃からは回復し、様々なことにこれまで通り集中できるようになった。

 

 今年度はアルバイトやゼミなど、新しく始まることが多い。

 中だるみした人生が刺激的になることを期待して。

 20歳の私は一味違う。

 

 

 春休みは感情が摩耗していた。

 長期休暇に私はあまり人に会わない。

 バイトでもしていれば、この孤独はマシだったのだろうか。

 

 この数カ月で、「一人で延々と何かに打ち込み続けるのは無理がある」と思い知った。

 大学受験の時に浪人しなくて、本当に良かったと感じた。

 数ヶ月、たった一日数時間の孤独にすら、私は耐えることができなかった。

 

 

 何回もこのブログに書いていることだが、孤独は本当に辛い。

 焦燥、嫉妬、不安、憂鬱などの感情が私の中で喰らいあう。

 この春休みに、最後まで生き残ったのは虚無だった。

 私を埋めていた感情たちは生き絶え、心は冷たい洞穴になってしまった。

 

 こうして私は無気力な春休みを過ごした。

 

 この孤独をゆうに乗り越え、大学の籍を勝ち取った浪人生に尊敬の念を抱く。

 指定校推薦にしろ、浪人にしろ、これらを経た人たちは私には無いものを持っている。

 継続力、忍耐力がその例だ。

 継続して勉強できなかった私は指定校推薦の校内選考に落選し、継続力の無さによって編入試験に合格することができなかった。

 そして、この休みのうちに、明日へと向かう翼はすっかり萎えきってしまった。

 

 

 普段は何が自分を助けてくれるのかと言うと、悔しさである。

 自身のピンチの時、私は常に悔しさに頼ってきた。

 

 親は放任主義だし、恩師もいない。

 いざという時にそんな私を助けてくれたのは、傲慢さから沸き立つ無尽蔵の悔しさだった。

 自分をはみ出しものにした詰まらぬ義務教育の学校社会を恨み、模試で得点を急上昇させて嫌いな人間を嘲笑い、より高位の大学にいるまだ見ぬライバルを妬んだ。

 浅ましきプロレタリア精神というか、そういったものを私はエネルギー源にしてきた。

 

 だが、春休みの中盤には、何に対しても悔しさが全く湧かなかった。

 誰かの活躍にも、誰かの誹謗にも、何も感じなくなっていた。

 それは仏教でいう「悟り」なのかもしれないが、そんなものはクソ食らえだと思った。

 今でもそう思う。

 

 

 春休みはあまりにも長すぎた。

 その時間が私の悔しさその他諸々の感情を台無しにした。

 

 この休暇から私が得た教訓は、「休みに対する休みを得ること」である。

 旅に突然出てみたり、図書館で気持ちを奮い立たせて本を乱読してみたり、TOEFLを目指して英語の勉強をしてみたり。

 あえて忙しくすることで、私のメンタルは回復していった。

 

 今では、編入試験から立ち直って勉強を再び始めたり、音ゲーのスコアが負けたことで悔しい思いをし音ゲーの練習に励んだりと、必要なことやどうでもいいことにまで、悔しさを発揮することができている。

 こちらの方が、僅差で無気力より生産的だ。

 

 翼が萎えてしまったのなら、必死にそれを動かすだけだ。

 そうすればハチドリのように、少なくとも地に堕ちることはなくなる。

 そのぶん、甘い蜜を吸い続けなければならないが。

 自分の成功か人の不幸か。

 どちらでもいいのだと思う。

 

 

 ようやく、明日から授業開始である。

 三回生からは統計にパソコンのソフトを使ったり、ゼミが始まったりと、専門的な授業が増える。

 見るからに難しそうだが、そのぶん楽しみでもある。

 明日になるまで、あとは寝るだけだ。

 

 ここまでの三ヶ月間は本当に長かった。

 さらば、四分の一の永遠よ。

 私が忙しさに嫌気がさしたら、また会おう。

 

はたらキング

4/7 曇り

 

 新年度になり、大学の入学式があり、愛犬は10歳になった。

 私もそろそろ新しいことを始めようと、着々と個別指導塾の講師や大学のラーニング・アシスタントとして働く準備を始めている。

 どちらの研修でも、私のこの世で一番嫌いなものである自己紹介を強いられたので、ここ数日は暗澹たる心持ちが続いている。

 

 自己紹介は本当に嫌いだ。

 吐き気がするし、手汗が止まらなくなるし、ただで遅い思考がさらに鈍くなる。

 春は自己紹介をする機会が多い。

 まだ学校も始まっていないので、ゼミなどの場で数多の自己紹介が待ち構えていると考えると、それだけでゾッとする。

 

 

 働く準備をしていて、働いている人ってスゲェな、と思った。

 正社員やアルバイト関係なく、働いているだけですごい。

 そのような感情が日に日に強まっている。

 

 それと同時に、自分の社会不適合者感にもうんざりしつつある。

 自己紹介一つも満足にこなせない、そんな現状に焦りを覚えている。

 こなせることと、こなせないことの差が、私の場合は大きすぎる。

 

 

 自分の社会不適合者要素は数多い。

 

 人間の集団が嫌い。

 なんの根拠もない言説を押し付けられ、思考停止を強いられるのが嫌い。

 実績も無く、年齢しか誇るものがないのにマウントを取ってくる人間が嫌い。

 怒鳴り散らす人間が嫌い。

 無意味な経験論を長時間講釈垂れる人間が嫌い。

 狂った社会のシステムが嫌い。

 

 こうして見ると、社会の何もかもが嫌いな気がする。

 

 

 私が研究者を志している理由の一つは、論理がしっかりと通っている世界に逃げ込みたいからである。

 自分の考えが論理以外の理由で犯されることなく、むしろ論理によって考えが論破されるなら、それに勝る幸福な環境はない。

 

 しかし、現実は学問の世界すら、アカハラがまかり通る修羅道らしい。

 また、自分が研究者になれるという確証は無い。

 前途多難である。

 

 

 ともかく、私は人間の集団が嫌いだ。

 これは、社会そのものが嫌いだと言い換えてもいいかもしれない。

 

 別に人間自体は嫌いじゃない。

 むしろ好きな方だ。

 人と話すのは楽しいことだし、得られるものも多い。

 

 だが、それが集団になると話は別である。

 私が集団を嫌っているのは、これまで良い集団と出会わなかったからかもしれない。

 もしくは、私の価値観が碌でもなさすぎて、どの集団とも適合しなかったからかもしれない。

 イソップ童話の「狐と葡萄」みたいだが、後者の方があり得そうだ。

 

 

 社会不適合者の私だからこそ、すでに働いていたり、これから就活に臨もうとしている先輩や、インターンを考えている同級生を見ていると、「凄すぎるだろ」と思うのかもしれない。

 研修などに出向くと、みんな自己紹介が上手でたまげることが多々ある。

 彼らはスラスラと自分が働こうとしている理由や、自分の経緯を口頭で説明できている。

 しかもわかりやすく、即興で。

 私には絶対に真似できない領域である。

 そんな時、私は立派な動機を持ち合わせていないので、言いよどんでしまう。

 

 おそらく就職でも、彼らはうまいこと自分を企業にアピールして、内定を獲得していくのだろう。

 私にはそのようなこと、到底できない。

 せいぜい一人で地道に実績を積み上げていき、それを下手でもいいからアピールするしかない。

 

 このままでは私は変人一直線である。

 誰にも理解されず、独り身のまま腐っていくしか無いのだろうか。

 

 彼らの領域にどのように近づけばいいのだろうか。

 貧民と王族のように、埋めがたい差がそこにはある。

 

 

 今日の記事はかなり踏み込んだ内容になった。

 いつも私のブログを見ている人たちに、私がかつて所属していた集団に今も属している人がいるのは確実で、彼らには嫌な思いをさせてしまったかもしれない。

 

 だが、『ツイートとは違い、ブログ記事は積極的に人が読みにくるものだから、好きに自分の思いを綴ってもいい』というブログ開設当初の私の考えに基づくなら、この記事も公開した方がいいと考えた。

 

 このような記事も公開できなくては、この先いよいよ何も表現することができなくなるだろう。

 

 これからもそうのようなスタンスで、このブログを続けていこうと思う。

 今年度はもうちょっとブログ映えする日常を過ごしたい。

 

近状

3/26 晴れ

 

 久しぶりのブログ更新。

 ブログを書く以外にも、「東京シティアンダーグラウンドという題で先日の旅行についての日記を書いたり、「ラーメンつけ麺、僕ザーメン」という題のブログ記事を書こうとしたのだが、公開するクオリティに仕上げられることができなかった。

 そのうち書き終えたら、ブログに更新したい。

 下ネタでもエッセイでも、何かについて語る勇気というのは、体力がある時期しか湧いてこない。

 私の体力は退屈すぎる春休みによってもうヘロヘロである。

 

 しかし、今日の裁判傍聴は楽しかった。

 裁判は異様な緊張感に包まれていた。

 生手錠も、生弁護士も初めて見た。

 手錠はドンキホーテのおもちゃ売り場で見たものとは違い、ガッチリとしていて変な冷たさを感じた。

 自分がこの場に立つ想像をふとして、ゾッとした。

 我が身が被告人にならないことを祈りたい。

 

 ただ祈るだけでなく、日頃の行動を見直したいと思った。

 ツイッターでも、公共の場でも、最近私は下ネタを発しすぎている。

 このままでは公然猥褻で検挙されそうだ。

 検挙されないように、謙虚になりたい(ここうまい)。

 

幽玄の未来

3/12 曇り

 

 昨日、20歳になり、久々に中学生の頃の友人たちと遊んだ。

 充実した誕生日になった。

 20代の始まりは上々である。

 

 昔からの友人と話をしていると、本当に過去の自分はロクデナシだったのだな、と思う。

 大学生になった今、ようやく中学時代の禊を済ませつつある。

 早く人間になりたい。

 大人への道のりは遥かである。

 

 

 19歳の誕生日、20歳の自分に向けて、私は手紙を書いた。

 その内容が以下の通りである。

 

 拝啓、二十歳の私。元気にしてますか? 

 19歳の私はたまに落ち込むこともあるけど基本的には元気です。

 最近は、心理学関連の本を読み直したり、青春小説を読んだり、汚い動画を作ったりしています。

 二十歳の私は何をしているでしょうか? 

 今私がやっていることは継続できていますか? 

 それとも何か新しいことを始めていますか? 

 ご飯はちゃんと食べてますか? 

 彼女はできてますか? 

 単位は十分にとれてますか? 

 友人は増えていますか? 

 フォロワーは増えていますか? 

 賢くなっていますか? 

 健康に日々を過ごしていますか? 

 というか生きていますか? 

 

 19歳の自分は明らかに質問過剰である。

 改めて読み直すと、これまで継続できていることは、ブログと読書しかない。

 彼女もできていなければ、賢くなった気もしない。

 ありがたいことに、20歳まで健康体で生きることだけはできた。

 編入試験にも去年は落ちたし、私はいつも、自分の期待に応えられていないようだ。

 悲しみを感じる。

 

 

 正月頃のことである、自宅に一通のある封筒が届いた。

 差出人は小学校の頃の教師であった。

 結婚したのか、名字が変わっていた。

 

 封筒の中身を開けて見ると、そこには小学生の自分から、20歳の私に宛てた手紙が入っていた。

 昔、そういうものを書いたという記憶は微塵も残っていなかったので、それなりに驚いた。

 全文ママで、ここに書き写す。

 

二十の自分へ

 どーも十二の自分です

 まず最初に

 幸せになってますか?

 幸せならうれしいです。

 

 京大うかってますか?

 たまねぎ食べれてますか?

 自動車めんきょとれてますか?

 結こんしてますか?

 いろんなききたいことがあります。

 もしかしたら死んでいるかもしれないけど

 生きていることを願います。

 

 夢はなんですか?

 

 これがいちばんききたいことです

 二十になったらここにかいてください。

 「            」

 元気なことを祈ります。

 十二の自分より。

 

 

 手紙の端には、太陽の塔を模したような謎のキャラクターが描かれてあった。

 手紙を読む限り、未来の自分を質問責めにするのは、いつも変わらないらしい。

 

 だが、12歳の自分が現在の私に会ったところで失望するだけだろう。

 私は彼の願いを何も叶えられていないからだ。

 京都大学に通いながら結婚生活を送れるほどの胆力は私は持っていなかった。

 そして、たまに幸福になり、不幸になったりもする。

 そのような不安定な存在が今の私である。

 せいぜい生きていること、玉ねぎが食べられるようになったことくらいしか、昔の自分の期待に沿うことができていない。

 無力感に苛まれる。

 だが、夢はある。

 

 

 ふと、手紙を読み終わってから、ギリシア神話の「パンドラの箱」のエピソードを思い出した。

 人類最初の女性とされるパンドラは、ゼウスから「絶対に開けてはならない」と忠告された箱を好奇心から開けてしまい、それにより様々な災いが世界中に飛び散ってしまう。

 こうして疫病、悲嘆、欠乏が世界に満ち、後世の人々はそれらに苦しむようになった。

 だが、箱から唯一「エルピス」だけは出ていなかった。

 「パンドラの箱」はこのような話である。

 

 エルピスは主に希望や期待と訳されるが、それらの言葉のニュアンスによって、このエピソードの真意は変わってくる。

 エルピスが希望なら、希望があるからこそ、災いだらけの世界でも人間は生きていける、という解釈になる。

 一方、エルピスを期待とすると、期待があるからこそ人間は期待と絶望の間で、苦しみ悶えながら生きていかなくてはならない、という意味を持つ話になる。 

 

 

 子供の頃、世界は整合性が取れている場所だと、私は思っていた。

 「やさしさに包まれたなら」の「小さい頃は 神様がいて 不思議に夢を 叶えてくれた」という歌詞にも、今なら共感できる。

 

 世界に神はいなかった。

 世界は混沌を極め、様々な物事が絡み合いまるで予測ができない場所だ。

 パンドラの箱が開けられた後の世界で、人は多くの災いに対して鈍感になりながら、麻痺しながら、エルピスを抱いて生きている。

 

 私はまだ、それらにどのように向き合っていけばいいのか分からない。

 災いとエルピスに対し、受容するのか、もしくは拒絶するのか。

 自分が納得できる方法を探すことが、20代の大きな課題になってくるのだと思う。

 

 小学生の自分からの手紙の最後に、20歳の私が夢を書き込む空白が設けられていた。

 私はペンをとって、夢を書き加えた。

 「研究者になること」。

 それが、20歳の私の夢である。

 

 最近、ようやく自分の興味関心が固まってきたが、未だ何もかもが不明瞭である。

 大学院試験、低収入、ポスドク、自分の精神状態など、数多の障壁が未来に立ちはだかっている。

 だからこそ、夢に向かうことは退屈しなさそうだ。

 

 実りある希望か、空虚な期待か。

 残されたエルピスと共に、明日も夢へと向かっていこう。