きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

幽玄の未来

3/12 曇り

 

 昨日、20歳になり、久々に中学生の頃の友人たちと遊んだ。

 充実した誕生日になった。

 20代の始まりは上々である。

 

 昔からの友人と話をしていると、本当に過去の自分はロクデナシだったのだな、と思う。

 大学生になった今、ようやく中学時代の禊を済ませつつある。

 早く人間になりたい。

 大人への道のりは遥かである。

 

 

 19歳の誕生日、20歳の自分に向けて、私は手紙を書いた。

 その内容が以下の通りである。

 

 拝啓、二十歳の私。元気にしてますか? 

 19歳の私はたまに落ち込むこともあるけど基本的には元気です。

 最近は、心理学関連の本を読み直したり、青春小説を読んだり、汚い動画を作ったりしています。

 二十歳の私は何をしているでしょうか? 

 今私がやっていることは継続できていますか? 

 それとも何か新しいことを始めていますか? 

 ご飯はちゃんと食べてますか? 

 彼女はできてますか? 

 単位は十分にとれてますか? 

 友人は増えていますか? 

 フォロワーは増えていますか? 

 賢くなっていますか? 

 健康に日々を過ごしていますか? 

 というか生きていますか? 

 

 19歳の自分は明らかに質問過剰である。

 改めて読み直すと、これまで継続できていることは、ブログと読書しかない。

 彼女もできていなければ、賢くなった気もしない。

 ありがたいことに、20歳まで健康体で生きることだけはできた。

 編入試験にも去年は落ちたし、私はいつも、自分の期待に応えられていないようだ。

 悲しみを感じる。

 

 

 正月頃のことである、自宅に一通のある封筒が届いた。

 差出人は小学校の頃の教師であった。

 結婚したのか、名字が変わっていた。

 

 封筒の中身を開けて見ると、そこには小学生の自分から、20歳の私に宛てた手紙が入っていた。

 昔、そういうものを書いたという記憶は微塵も残っていなかったので、それなりに驚いた。

 全文ママで、ここに書き写す。

 

二十の自分へ

 どーも十二の自分です

 まず最初に

 幸せになってますか?

 幸せならうれしいです。

 

 京大うかってますか?

 たまねぎ食べれてますか?

 自動車めんきょとれてますか?

 結こんしてますか?

 いろんなききたいことがあります。

 もしかしたら死んでいるかもしれないけど

 生きていることを願います。

 

 夢はなんですか?

 

 これがいちばんききたいことです

 二十になったらここにかいてください。

 「            」

 元気なことを祈ります。

 十二の自分より。

 

 

 手紙の端には、太陽の塔を模したような謎のキャラクターが描かれてあった。

 手紙を読む限り、未来の自分を質問責めにするのは、いつも変わらないらしい。

 

 だが、12歳の自分が現在の私に会ったところで失望するだけだろう。

 私は彼の願いを何も叶えられていないからだ。

 京都大学に通いながら結婚生活を送れるほどの胆力は私は持っていなかった。

 そして、たまに幸福になり、不幸になったりもする。

 そのような不安定な存在が今の私である。

 せいぜい生きていること、玉ねぎが食べられるようになったことくらいしか、昔の自分の期待に沿うことができていない。

 無力感に苛まれる。

 だが、夢はある。

 

 

 ふと、手紙を読み終わってから、ギリシア神話の「パンドラの箱」のエピソードを思い出した。

 人類最初の女性とされるパンドラは、ゼウスから「絶対に開けてはならない」と忠告された箱を好奇心から開けてしまい、それにより様々な災いが世界中に飛び散ってしまう。

 こうして疫病、悲嘆、欠乏が世界に満ち、後世の人々はそれらに苦しむようになった。

 だが、箱から唯一「エルピス」だけは出ていなかった。

 「パンドラの箱」はこのような話である。

 

 エルピスは主に希望や期待と訳されるが、それらの言葉のニュアンスによって、このエピソードの真意は変わってくる。

 エルピスが希望なら、希望があるからこそ、災いだらけの世界でも人間は生きていける、という解釈になる。

 一方、エルピスを期待とすると、期待があるからこそ人間は期待と絶望の間で、苦しみ悶えながら生きていかなくてはならない、という意味を持つ話になる。 

 

 

 子供の頃、世界は整合性が取れている場所だと、私は思っていた。

 「やさしさに包まれたなら」の「小さい頃は 神様がいて 不思議に夢を 叶えてくれた」という歌詞にも、今なら共感できる。

 

 世界に神はいなかった。

 世界は混沌を極め、様々な物事が絡み合いまるで予測ができない場所だ。

 パンドラの箱が開けられた後の世界で、人は多くの災いに対して鈍感になりながら、麻痺しながら、エルピスを抱いて生きている。

 

 私はまだ、それらにどのように向き合っていけばいいのか分からない。

 災いとエルピスに対し、受容するのか、もしくは拒絶するのか。

 自分が納得できる方法を探すことが、20代の大きな課題になってくるのだと思う。

 

 小学生の自分からの手紙の最後に、20歳の私が夢を書き込む空白が設けられていた。

 私はペンをとって、夢を書き加えた。

 「研究者になること」。

 それが、20歳の私の夢である。

 

 最近、ようやく自分の興味関心が固まってきたが、未だ何もかもが不明瞭である。

 大学院試験、低収入、ポスドク、自分の精神状態など、数多の障壁が未来に立ちはだかっている。

 だからこそ、夢に向かうことは退屈しなさそうだ。

 

 実りある希望か、空虚な期待か。

 残されたエルピスと共に、明日も夢へと向かっていこう。