12/13 晴れ
私は子供のころから、『ウルトラマン』シリーズの防衛隊が嫌いだった。
理由は単純で、彼らは無力だからだ。
怪獣が出現すれば戦闘機を飛ばし、それがことごとく撃ち落される。
出会い頭にどういう光線銃を撃ちまくっては、それがまったく怪獣には効かない。
私がウルトラマンを見ていた頃は、ちょうど『コスモス』や『ガイア』の頃だっただろうか。
特撮オタクではないので、あまり各作品の防衛隊については詳しく知らない。
それでも、防衛隊を画面越しに眺める私は幼心ながらに、彼らの無力さに呆れたものだ。
単純なお金や命の勘定ができるようになってからは、防衛隊がますます嫌いになった。
毎度のこと怪獣を倒せないのに、戦闘機やら洗車やら大層なものを持ち出しては数分で怪獣に破壊されていく。
「それを購入した税金はどこからやって来ているのだろうか」
そんなことを考えたりした。
何もかも、防衛隊の行動は無駄に思えた。
ウルトラマンが来ると、どうせ3分以内に倒してくれるのに、防衛隊は何を必死になって街を守っているのだろう?
そんな無邪気で残酷な感想を抱いたりした。
時は過ぎて、私は背丈が伸びた。
多くの子供がそうであるように、私は年を経るにつれて、ウルトラマンなどの特撮物にはあまり興味を示さなくなった。
怪獣にはもちろん、何に対しても脅威を感じなくて済むような安寧の日々。
泥のような平穏の中で、私は生活している。
しかし、雨がいつか止むのと同様に、のっぺりとした日常はいつまでも続かない。
周囲にも、就活について考える人が増えてきた。
インターンに参加したり、企業説明会に赴いたり。
ドラマや小説で見たそのままの姿で、就活というイベントはやってきた。
私は大学院に進学を志望しているので、斜め下からその風景を眺めている。
絶景かな絶景かな、いや、あまりいい眺めではない。
就活とともに目立つようになったのが、公務員試験への対策を始める人たちだ。
私の周囲にも何人かいる。
私は公務員というものがあまり好きではない。
小中学校の教師が嫌いだったこともあるが、公務員という職業については無個性で形式ばっていて、窮屈なイメージがある。
そのような職に自ら志望するという、その心情があまり理解できなかった。
もちろん、公務員になって行政側から自分の目的を成し遂げたい。そのようなことを考えている人もいるだろう。
私もそう思っていた。
だが、周囲の公務員を目指している人たちに動機を聞いてみれば、「安定しているから」と、口をそろえたように皆が同じことを言う。
本当にそれでいいのか? 一回きりの人生だぞ?
『全体の奉仕者』なんかになっていいのかよ。
身勝手な怒りに駆られた私の脳裏に浮かんだのは、かつての防衛隊の姿だった。
無力、無駄、無益。多数の人間に自分の生命を投げ出すことのできる、その不気味さよ。
今の世で言えば、ある人にとっては中国が、また別の人にとってはテロリストが『怪獣』のような存在かもしれない。
人の命を軽々しく吹き飛ばすことのできる力を持ち、気まぐれで、恐れを抱かせるもの。
個々の存在を薙ぎ払う圧倒的な事象たち。
それは日本国自体も例外ではない。
自分の意識がどこまでも薄く溶かされていき、日本という怪獣と一体になる。
否が応でもリヴァイアサンの一部として組み込まれてしまう。
これは私が最も嫌悪することだった。
怪獣が健康なら、私も体内の共生菌として、もしくはがん細胞として生きる道を選んだかもしれない。
おこぼれを怪獣からあずかることができるからだ。
しかしながら、日本は老いぼれて、いつ地に沈むかも分からない怪獣だ。
私は、このままこの国と共倒れになるつもりはない。
理由もなく産み落とされ、夕焼け小焼けでさようなら。
壮大な歴史の小さな小さなノイズになることは、私の望むことではない。
そのような考えを抱くことは、傲慢だろうか?
全身全霊で足掻けば、全ては上手くいくと。
赤ん坊のような、万能感の夢に微睡んでいる。
そのような青年期を過ごしている。
安定はいらない。ただ、納得のいく人生を送りたい。
「私は確かにここにいた!」と号哭することができる、最高の事実が欲しい。
要は、私はウルトラマンになりたかったのだ。
自分の名前がタイトルにつくような、自身を主人公として人生を生きることができる。
そんな、自惚れた願望。
その心中とは裏腹に、何かを為すことはできず、ただ無銘の日々が続いていく。
散々「嫌いだ」などと書き連ねておいて可笑しい気もするが、私は公務員志望者をいい意味で「大人だ」と思っている。
自分の人生について本当によく考えているし、みな真面目な人ばかりだ。
チンパンジーが操作しているゲームキャラのように、したばたと四肢を振り回すように生きている私とは真逆である。
『ウルトラマン』の防衛隊は、善意に溢れていてエリートぞろいで、眩しいくらいに良い人たちである。
そんな人たちでも、怪獣には敵わない。
当然、私も怪獣には勝てっこない。
ならば、武器を磨くしかない。
聡明な生き方が出来ないのであれば、大きな力にへし折られないように。
例えば、『ウルトラマン』のゼットンを倒した無重力弾のような、比類なき武器を持つしかない。
それが、不器用な生き方しかできない私の、数少ない対抗策なのだと思う。
私はウルトラマンになれない。
私たちはみんな等身大の人間で、少し群れれば埋もれてしまうほどの能力と個性しか持たない存在だ。
ある意味では、誰もが怪獣から逃げ惑う市民か、小さな力でそれに立ち向かう防衛軍だ。
それでも、私は夢を見る。
自分の力が怪獣に届き、真に恐れから解放される。
そのような夢を。
今日は寒空に星が栄える夜だ。
夜空を眺めていたら、ゆらゆらと星が揺れ動きだした。
『自動運動』という錯覚の一つである。
「宇宙が震えた」なんて詩的な表現でごまかすまでもない。
私には知識があり、思考があり、身体がある。
この手がいつかM78星雲にも届くことを願って、私は今日も静かな夢に潜り込む。