きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

日記:私がブログを有料にしない理由

2/10 自分の製作した動画がyoutubeに無断転載されていた。と言っても、私にコンタクトを取る方法がニコニコからは存在しないので仕方ないのかもしれない。

無断転載が嫌いなわけでも無いので、もししてくれるならどんどん動画を転載してほしい。そうすれば、より汚いインターネットの世界へと変わっていくだろう。それは快感。

 

 ツイッターで、「ブログを配信することをビジネスにしませんか?」という誘いが来た。私自身は全くこのブログがお金に変わるものだとは思っていなかったので、心底意外な誘いだった。私の返答を先に言えば、ブログを使ってお金を稼ぐことは嫌だ

 

 理由その1。このブログを配信してお金を稼ぐような仕組みを作ってしまうと、私の書くことにある程度の責任が発生してしまう。『無責任に振る舞える』という学生特有の権利を失うことは大きなデメリットになる。

それに、これまでのように不定期更新や、煮詰まって途中で執筆を投げ出すということがおちおち出来なくなってしまう。私のような変態クソ自由人にそれは堪えるのだ。

 

 理由その2。私は学生のうちからビジネスを行うことを愚策だと思っている。お金は普通のバイトで十分に稼げるし、わざわざ起業をしなくても経営のノウハウなどはサークルや生協委員会の活動で体感的に学ぶことができるからだ。

マーケティングがしたいのなら、一回自分で再生数を稼ぐことを目的に動画を制作してみるといい。最低限のPCスキル、動画サイトのユーザーが何を必要としているか、サムネイルはどのような画像にするか、動画の作りは人が楽しめるものかなど、マーケティングのエッセンスをこれ以上ないほどに学び、習得することができる。しかも無料で。

よくわからない肩書きだけの講師をセミナーに招くまでもない。私たちにはインターネットも、大学図書館もある。これ以上何を望むというのだろうか? ビジネスを行う人はただ別のベターな方法が見えていないだけだと思う。

 

 理由その3。有料でブログを配信すると、タダで配信している今よりも閲覧が減る。そして、情報というモノにおいて、タダで配信されるより価値の高い状態はない。

テレビ・ラジオ・インターネット、これらは機器さえ揃えば安価に情報を得ることが出来るモノたちだ。情報を得る機会はスマホの普及によって近年ますます増加している。

大正時代、本の価格は今の約8倍だった。現在の価格にして一冊二、三万円である。比較的情報吸収能率の悪い紙媒体でさえ、この有様なのだ。昭和30年のテレビの値段は、サラリーマンの月収が約三万円なのに比べてなんと三十万円。馬鹿高い。情報の価格は昔に比べて下がっていることは明らかだ。

しかし、それとは対照的に価値は上がっている。情報に触れる人の数が増えるたびに、情報の質はより洗練されるからだ。面白いもの・感動するものが多くの人の目に触れることにより厳選されていく。ツイッターでRT数の多いツイートはまあ面白いというのが最たる例だろう。そして、何遍も繰り返すが、この洗練された情報は無料で得ることが出来るのだ。逆に言えば、情報は無料でなければ多くの人の目に触れることが出来ない。大人数の人間なくして情報の価値が向上することはありえないのだ。

個人的な体験を述べれば、無料で情報を得ることができたおかげで、私は動画制作が少しできるようになったし、様々な素晴らしき知識にも出会うことができた。タダは機会を生む。情報を選別できる鑑識眼さえあれば、無料の情報は至上の価値を孕む。

私のこのブログにも同じことが言える。もしかしたらここに書き込んだ私のアイデアが、誰かが転用して世界を変える革新を引き起こすかもしれない。決してありえないことではない。ブログが無料であるからこそ、その可能性が生じる。人に触れることで爆発的な化学反応を起こすという情報特有の性質のおかげで、世界はこれまで進歩して来た。これからもより情報は安くなり、より革新が起こるようになるだろう。情報のおかげで人類は加速する。加速したまま崖に突っ込むかもしれないが。

 

 ここまで、私が日記を無料にしない理由を書いてきた。「ブログを有料化すれば閲覧してくれる人は興味を持って来ているので、そちらの方が効率は良いのではないか?」といった批判が寄せられるかもしれない。そのことに対しては、理由1・2と、「興味を持っていない人に無理やり興味を持たせる楽しさを知りたいから」という個人的な雑い理由で反論できる。

というか、学生のうちからビジネスをしている人は目的と手段が食い違っているように思う。株をやるにしても、学生がやるより人工知能にさせた方がよっぽど稼げる。人間の判断がそこまで合理的でないというのは既に行動経済学がの研究結果が証明している。

意識高い系学生への怨念が吹き出したので今日はこの辺で。