きんこんぶろぐ

大学院生の私が日々思うことを綴っていくブログ

童貞が性病になった話 前編

7/25 晴れ

 

 パソコンで多変量解析の授業を受けたり、VRchatでお絵描きをしたり、ゆっくりした一日を過ごした。

 今日は天神祭りだったらしいが、一緒に行く相手もいないので、家に引きこもって好きなことをした。

 

 このような生活をしているので、長期休暇がやってくるたびに、新学期の最初はコミュニケーションに支障をきたすようになっている。

 

 この夏は、コミュ力が落ちないようにしたい。

 無理そうだが。

 

 

 私は童貞なのに、性病になったことがある。

 

 今は完治しているが、恥辱と痒みと焦燥感に追いつめられる二か月間を、私は過ごした。

 その日々を、ここに書き綴っておきたい。

 

 

 高校時代、私はヨット部だった。

 

 ヨット部というのは大抵、「え、ボート部?」と一週間に一回間違われるくらいに、マイナーな部活である。

 逆に、ボート部は「え、ヨット部?」と間違われている。

 どちらも、なかなかに可哀そうだとは思う。

 

 実際は、ヨットとボートは全く別のスポーツである。

 

 ヨットは風を船の帆に取り込んだり、揚力を使ってレースを行うスポーツである。

 一方のボートは、オールをもって漕ぎ、ゴールまでの速さを競うスポーツである。

 

 ヨットのほうが運要素が大きく、ボートのほうが筋肉要素が大きい、と覚えていただければ良い。

 

 私はヨット部だったので、あまり波の立たない川のほうで競技を行うボートと違い、沖の方へ出ることが多かった。

 

 

 練習場所は主に、工業地帯である西宮や芦屋の方であった。

 

 工業地帯の海というのは、総じて汚い。

 

 昭和の時期に比べて法の整備が進んだとはいえ、工場の数があまりに多いし、生活排水も垂れ流しになっているので、このあたりの海は日常的に淀んでいる。

 

 今でも、土気色をした海が曇り空を映して銀色にぎらぎらと光っているさまを、ありありと思い浮かべることができる。

 「これが海洋汚染か」と、小学生のころの教科書の知識と、よく照らし合わせをしたものだ。

 

 巨大なミズクラゲが悠々と水面に浮かび、ボラが畜生道から逃れようと船に飛び込んでくる海は、高級住宅の街並みと相まって、いかにもディストピア的であった。

 

 

 高校2年生の5月、お金持ちの食べ残しが含まれた栄養豊富な排水が、ヨットの練習場に流れ込み、プランクトンがそれを良しとして大繁殖した。

 その後気温は急上昇、大量のプランクトンが息絶え、赤潮の海が生まれた。

 これが全ての始まりである。

 

 日本のブラックな部活が猛暑でも練習を行うのと同じように、赤潮でもヨットの練習はある。

 腐敗臭を放つ不吉な色をした海と、何故だか白目を剥いているボラが浮かんでいるさまを睨みつけながら、私たちはヨットの練習を行った。

 

 これだけなら、まだ大丈夫だったのかもしれない。

 

 赤潮の海に浸かるだけでも、インド人もびっくりの不潔さだとは思う。

 それでも、かつて泥んこ少年だった私は、強靭な免疫を武器にそれにも耐えることができたはずだ。

 

 だが不幸にも、深爪治療のために私はその時期に抗生物質を服用していた。

 これは膿んだ深爪の菌を弱らせるもので、その代償として、全身の常在菌も弱らせるものだった。

 

 赤潮の海と抗生物質、この二要因により、私は地獄を経験することとなる。

 

 

 破滅的に不潔であった部活から5日後、股間が無性に痒くなった。

 

 はじめ、私は「股間が蒸れているのかな?」と思った。

 「夏は股間が痒くなる」は国民的なフレーズであり、もちろん私もそれを承知であった。

 

 5月といえども、25度あたりの気温だったので、別に股間が痒くなってもおかしい気温ではない。

 特に気にすることもなく、時折股間を掻きながら私は帰宅した。

 

 風呂で息子の皮を剥いてみると、普段より恥垢が多い気がする。

 「抜きすぎたか?」と、阿呆な私はそのようなことを考えながら、普段より丁寧丁寧丁寧に息子を洗った。

 

 

 次の日、異常に股間が痒くなった。

 

 朝起きた瞬間から股間が痒い、とても前日の比ではなかった。

 

 このレベルで「夏は股間が痒くなる」なら、電車内は大混乱に陥るであろう。

 そう思わせるほどに、股間が痒かった。

 

 平日ではなく土曜日だったのが、不幸中の幸いであった。

 

 何時間にもわたって、体を「く」の字にして股間を掻き続ける私を不憫に思ったのか、それともきしょいと思ったのか、親は私に医師の診察を進めた。

 

 高校生にして一人で泌尿器科に行けというのか!

 息子を掻きながら、私の自尊心はひっそりと傷ついた。

 

 それでも、このまま放置してはまずい、というのは何となく気づいていたので、月曜日の放課後に医者に訪ねることを心に決めた。

 

 そのまま、土曜日の夜も、日曜日の日中も股間は痒いままだった。

 

 全ての動作が痒い、何かを考えることすら痒かった。

 

 

 日曜日の夜、股間を洗うと痒みが引くことを昨日の夜に知ったので、早めに風呂に入った。

 

 もちろん、昨日は湯船に浸かることはなかった。

 明らかに「ヤバい」からだ。

 風呂に駆け込んで、さっそく息子の皮を剥いた。

 

 その瞬間、なにか白いものが息子から飛び出した。

 

 一瞬、「ミルクか」と思ったが、飛び出したものをよく見ると、ほのかに黄色い。

 

 膿だ、と思った。

 

 私の親指の深爪から、染み出してくるそれと、非常に似ていたからだ。

 

 肝心の息子も、チーズのようなものでデコレーションされていた。

 なんてこった、息子がチーズ工場になっちまった。

 

 私はうなだれた。

 

 しかし、性病の本当の地獄は、ここから始まるのだった。

 

 次回に続く。